第15話 本を探しに
遠征へ出て六日目。
午前中の客足が落ち着くと、店から人の気配が途切れた。リオンは修理を終えた品を棚へ戻し、帳簿を閉じる。
ふと本棚へ目を向けた。旅人の手記、市場の記録、古い街道案内。見慣れた背表紙が並んでいる。その中で、『旅人の手記』だけが少し擦り切れていた。
最初にアウグストへ貸した一冊だ。返ってきてからも何人かが手に取り、以前より棚から出されることが増えていた。
リオンは指先で背表紙をそっとなぞる。
「もう少し増やしてもいいかもしれませんね」
ぽつりと呟く。最近は、本を読むために立ち寄る客も少しずつ増えていた。昼まで時間がある。
店先へ『昼休憩』の札を掛けると、王都の図書館へ向かった。石造りの建物へ入ると、紙と木の匂いが静かに迎えてくれる。受付の女性が笑顔で顔を上げた。
「今日は修理ではないんですね」
「はい。本を探しに来ました」
「珍しいですね」
利用者として訪れるのは久しぶりだった。旅の本が並ぶ棚をゆっくり歩く。
北街道の宿、港町の朝、橋の向こうの町、旅するパン屋、七つの宿場、一冊ずつ開く。
橋を渡る旅人、朝早い市場、宿屋の主人との何気ない会話、焼きたてのパンの香り。どれも大きな事件は起きない。けれど、不思議とページをめくる手は止まらなかった。気付けば、同じような本ばかり抱えている。
「何かお探しですか」
司書が声を掛けてくる。
「店へ置く本を探していまして」
「英雄譚ではなく?」
「違います」
「冒険譚でも?」
「それも違います」
司書は抱えられた本を眺め、優しく笑った。
「静かな旅のお話がお好きなんですね」
リオンは腕の中の本へ目を落とした。
言われてみれば、確かにそうだった。
「そうかもしれません」
勧められた棚も見て回り、気になった題名を紙へ書き留める。図書館を出たあと、近くの古本屋にも立ち寄った。
「旅の本を探しているんですが」
「英雄譚じゃなくて?」
「違います」
「じゃあ、こっちだな」
店主が奥から運んできたのは、港町の暮らしや宿場町の日常を描いた本ばかりだった。どれも肩肘張らずに読める。町の匂いや風景が、そのまま伝わってくるようだった。
気付けば十冊を抱えていた。紙袋は思ったより重い。それでも足取りは軽かった。
店へ戻る。札を裏返し、営業を再開する。
客はまだ来ていない。
紙袋から本を取り出す。一冊ずつ棚へ並べる。少し右へ。また左へ。高さを揃え、背表紙を整える。並べ替えているうち、一冊だけ自然と窓際から手の届きやすい場所へ収まった。
『橋の向こうの町』
置いてから手が止まる。
「……ここでいいか」
理由は分からない。他の場所でもよかった。それでも、その位置がいちばんしっくりきた。
少し離れて棚を眺める。以前より旅の本が増えた。窓際からも取りやすい。読み終えたら、次の一冊へ手が伸びる。そんな並びになっていた。
扉の鈴が鳴る。
「こんにちは」
いつもの常連客だった。
薬草を選びながら、世間話を交わす。会計を済ませると、客は本棚へ目を向けた。
「本、増えましたね」
「ええ。少しだけ」
客は何冊か眺めたあと、一冊を手に取った。
「これ、借りてもいいですか?」
「もちろんです」
リオンは本を受け取り、貸出票に名前を書いた。
客が店を出ていく。
扉が閉まり、また店内に落ち着いた空気が戻った。
リオンは本棚へ目を向ける。
新しく並んだ旅の本。
その中にある、『橋の向こうの町』。
なぜそこへ置いたのか、やっぱり分からない。
ただ、そこにあるのを見ると、妙に収まりがよかった。
リオンは小さく息を吐き、作業台へ戻った。




