第14話 空気の違う午後
遠征へ出て五日が過ぎた。
昼を回る頃には、店の中へ柔らかな日差しが差し込んでいた。リオンは作業台で薬草を束ねている。乾いた葉を揃え、長さを合わせ、細い麻紐でゆっくりと結んでいく。束ね終えた薬草を棚へ並べると、今度は修理品へ手を伸ばした。小さな留め具の歪みを直す。金具を外し、少しだけ力を加える。曲げすぎれば折れてしまう。少し直しては確かめ、また少し直す。その繰り返しだった。
鈴が鳴る。
「こんにちは」
顔を上げると、旅装束の青年が立っていた。
大きな荷物を背負い、靴には街道の土が付いている。長旅の途中なのだろう。
「少し休ませてもらってもいいですか」
「もちろんです」
青年は礼を言い、店内をゆっくり見回した。本棚、薬草棚、窓辺の木彫りの犬。そして自然な足取りで窓際へ向かう。椅子へ腰を下ろし、荷物を床へ置くと、水筒で喉を潤した。
しばらく外を眺め、それから鞄の中から一冊の本を取り出す。旅の記録のようだ。ページをめくる音だけが響く。
工具の音、本をめくる音、窓から吹き込む風。
どれも最近まで毎日のように聞いていた音だった。それなのに、どこか違う。
リオンは工具を動かしながら、首を傾げた。理由は分からない。作業はいつも通り進む。客も静かだ。本を読み、窓際へ座っている。
それなのに、どこかしっくりこない。リオンは考えても答えは出ない。気持ちを切り替えるように薬缶へ水を注ぐ。やがて湯気が立ち始める。薬草を入れ、香りが広がる。今日は客が一人いる。そう思い、一つだけ湯呑みを運んだ。
「どうぞ」
青年は驚いたように笑う。
「ありがとうございます」
両手で受け取り、一口飲む。
「おいしいですね」
「ありがとうございます」
青年は満足そうに頷くと、再び本を開く。店の中は静かだった。けれど、リオンの中の小さな違和感だけは最後まで消えなかった。しばらくして、青年は本を閉じた。
栞を挟み、荷物を背負う。
「助かりました」
「お気をつけて」
穏やかな笑顔を残し、店を出ていく。鈴が鳴る。扉が閉まり、店の中は再び静けさを取り戻した。
リオンは何気なく窓際を見る。椅子は空いていた。ほんの少し前まで誰かが座っていたとは思えないほど、元の景色へ戻っている。そのはずなのに。ほっと息をついた。
「あれ……」
思わず声が漏れる。どうしてだろう。あの青年は感じの良い人だった。
静かに本を読み、薬草茶も喜んでくれた。
迷惑を掛けたわけでもない。それなのに、
今の方が落ち着く。理由が分からなかった。
リオンは考えるのをやめるように木箱を作業台へ載せた。留め具を外し、傷んだ板を交換する。
金槌を持つ。釘を打つ。
カン。カン。
一定の音が店へ響く。
その音を聞きながら、ふと窓際へ目が向く。誰もいない。木彫りの犬だけが、妙な顔で外を眺めていた。
「……静かですね」
ぽつりと呟く。店は最初から静かな場所だった。
薬草の香りがあり、工具の音が響き、本棚が並び、窓から風が入る。何も変わっていない。そう思っていた。けれど、本当は少し違っていたらしい。毎日のように窓際で本を読み、ときどき薬草茶を飲み、返却日を気にして、本を抱えて帰っていく。閉店になると静かに本を閉じ、
「また明日」
そう言って帰る客がいた。いつの間にか、その姿まで、この店の景色になっていた。
西日が窓際をゆっくり橙色へ染めていく。リオンは立ち上がり、木彫りの犬の向きを少しだけ直した。隣には空席がある。その椅子へ視線を向ける。
「……帰ってきたら、また静かになりますね」
返事はない。窓から吹き込む風だけが、本棚を静かに揺らした。リオンは作業台へ戻り、工具を手に取る。店は今日も変わらない。それでも窓際を見るたび、旅の本を静かに開く一人の客の姿だけは、自然と思い浮かんでしまうのだった。




