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天国の嘘・ゼロ 深流の仮面  作者: やまざかたかす
最終章 復讐の果てと地獄の救済

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第三十四話 破滅の終盤

 部屋の隅、青白い光を放ちながら主の最終命令を待ち続けている、孤独な秘匿コンソールの前に車椅子を止める。画面には、先ほど打ちかけのまま一時停止させていた、世界への『告発文』の文字列が、緑色のカーソルとともに静かに明滅していた。


 悠一の、極めて短く、そして絶対に改ざん不可能な署名付きの告発文。


『笹山に利用されていた弟は消され、私は二十年間、暗い檻に閉じ込められていた。今、ここにヘブン構想の真実を世界各国に向けて発信する。日本サイバトロニクス初代所長・柿枝悠一』


 彼は、この告発文において、ただの一つも嘘を書いてはいない。

 二十年前に笹山巌の陰謀によって無実の罪を着せられ、死んでいった愛する弟・改二のこと。そして、その復讐のために自らの人間としての心を捨て、弟の皮を被って己の魂を二十年間も幽閉し続けてきた、この果てしない地獄の歩みを、ただ淡々と、事実のままに綴っただけだ。


 だが、このメッセージと、同時に添付された『ヘブンシステムには生活コンポーネントなど存在せず、ただの社会的屠殺場である』という絶対的な証拠データを受け取った世界中の権力者たちは、全く別の、最悪な解釈を脳内で構築するだろう。

彼らはこう誤読するのだ。


――『つい先日、総理の座を笹山茂治に譲ったばかりの柿枝改二は、用済みとして笹山一族に消された。そして、その笹山の手によって、二十年間も地下の暗い檻に幽閉されていた死んだはずの天才・柿枝悠一が、弟の仇を討つために、地獄の底からこの非人道的な陰謀を告発しに来たのだ』と。


 言葉の真実と、受け手の強欲・保身から生まれる解釈のズレ。

 それこそが、この告発文を「誰一人として疑うことのできない絶対的な真実」として世界に錯覚させるためのスパイスだった。世界中の指導者どもは、己の醜い猜疑心によって、この文面を事実として補完し、自ら破滅の引き金を引くことになる。


「誰も、私を止めることはできない。改二も、里村も……みんな死んでしまったこの世界で、私だけが、この終わりのプログラムを完遂できるのだ」


 悠一は、溢れ出そうとする狂喜と、二十年分のドロドロとした怨嗟が混ざり合った冷笑を浮かべた。彼の網膜のARグラスの向こうで、全世界への送信シークエンスのプログレスバーが、コンマ数秒単位で百パーセントへと近づいていく。

 技術者としての最後の仕事。世界という名の不完全なバグだらけのプラットフォームに、完全な幕引き(シャットダウン)をもたらすためのキー。


 外では、地熱プラントの深部が臨界を迎え、地鳴りのような縦揺れが要塞の床を不気味に震わせ始めている。だが、悠一の心は、凪の海のように深く静まり返っていた。


「さあ、皆さん。お祝いをしようじゃないか。この世界の新しい『終わりの始まり』に」 


 悠一は、血の滲むような右手を天高く掲げた。それは、数万人の命が消えゆくプロトコルを執行するゲームマスターの動作であり、同時に、この醜悪な世界という名の劇場の幕を引く、最期の指揮者のタクトだった。


「チェックメイトだ、世界」


 悠一は狂喜と悪意、そして果てしない虚無を湛えた冷笑を浮かべ、一斉送信のエンターキーを、力強く、深く、その深淵へと叩き込んだ。


パシィン――ッ!


 次の瞬間、コンソールの画面は一斉に漆黒へと染まり、全世界へ向けて、死のウイルスとも言うべき最悪の真実が、デジタルの奔流となって射出されていった。二十年の空白を経て、本物の柿枝悠一が世界へ放った、最期の、そして最大の復讐の砲声が、夜の伊豆の崖の上に、静かに轟いたのだった。


 エンターキーが叩き落とされたその瞬間、デジタルの海へと射出されたパケットの群れは、光速を超えた凶器となって世界中のインフラ網を寸断し、駆け巡った。

 それはハッキングやクラッキングといった生ぬるい侵入ではない。システムそのものが二十年間待ち望んでいた真の最高権限者、初代研究所長・柿枝悠一の正規コマンドによる「世界の強制初期化」だった。


 シリコンデジタルイクイップメント(SDE)社の堅牢無比なクラウドに構築された、世界共通規格のヘブン・プラットフォーム。かつて笹山智行が政府の兆単位の予算を自社とインドのグラモハ社へ還流させるために、誇らしげに世界各国へと輸出して回ったその『共通の檻』のバックドアが、内側から一斉に、ガバガバと音を立てて全開放された。


 ダークウェブの深層、主要メディアの自動配信スクリプト、秘密裏に育てたレジスタンスの閉域回線、そして各国の諜報機関の最深部。あらゆるノードへ同時に送りつけられたのは、ヘブン構想の最悪の裏面を暴く、改ざん不能な生データとログのマスターピースだった。


――ヘブンには、住人の魂を救済するための『生活コンポーネント』など初めから一行のコードすら実装されていない、ただの社会的屠殺場アーカイブであるという事実。


――そして、世界の特権階級たちが「不老不死のパーツ」として受け取るはずだったクローン肉体の鋳造ロジックが、現実世界で休眠状態に陥れた自国民の生身の肉体を、用途別に分配・解体して簒奪する、血塗られた成果物そのものであるという真実。


 その文字通りの「悪魔の告発」が世界中へ同時暴露リークされた瞬間、世界を統治していたシステムは根底からへし折れた。


「嘘だ。そんなはずがない! 我々は、我が国はただ、高度なデジタル医療インフラの顧客として……っ!」


 大国の最高指導者、クアッド(日米豪印戦略対話)の特使たち、そしてファイブアイズの諜報同盟を牛耳る首脳どもは、自らの端末に表示された高精細なシステムソースコードを前に、血の気が引くのを通り越して、顔を土気色に変えて震えた。

 彼らは自らを、テクノロジーの進化を賢く利用して永遠の命と富を独占する、選ばれたゲームマスターだと信じて疑っていなかった。だが、このデータの奔流が全世界の民衆の目に触れたその瞬間、彼らの『楽園』の皮は無残に剥ぎ取られた。


 彼らは欺瞞のシステムを容認し、自らの延命と保身のために何億もの同胞を肉塊として売り飛ばした、紛れもない共同大量殺人者であり強奪者として、全人類から完全に定義されたのだ。


 深刻な高齢化と致命的な食糧危機から逃れるため、ヘブンを「人道的な口減らしの装置」として熱望していたEU諸国の首相たちも、利権の山分けに狂喜乱舞していたグローバルサウスの振興国の独裁者たちも、一瞬にして逃げ場のない全人類の敵という名の断頭台へと引きずり下ろされた。


 各地のスマートシティ周辺では、真実を知った民衆による怒涛のような暴動の火の手が上がり、システムを管理していた軍や警察の末端組織すらも、自らの家族が家畜にされていたことを知って一斉に蜂起を始めた。


 だが、真の地獄は、衆愚による暴動などではなかった。

 パニックに陥った各国の権力者たちを、精神の最奥から狂わせたのは、隣にいる同類(共犯者)たちへの、底知れぬ猜疑心だった。

 これこそが、悠一が十年の歳月をかけ、世界中の特権階級の耳元でじわじわと囁き、彼らの通信ログの隙間に仕込み続けてきた『疑心暗鬼』という名の、最も美しく最も凄惨なバグの臨界点だった。


「隣国のあいつも、我が国と同じ罪を犯している。……だが、あいつなら間違いなく、この最悪の状況を生き延びるために、こう言い逃れをするはずだ」


 大国の防衛司令部で、最高責任者が狂気的な形相でモニターを睨みつけ、呻いた。


「『すべては日本の首相と大国に脅され、主権を侵害されて従わざるを得なかった被害者だ』と世界に向けて声明を出し、自国の全責任を我が国に擦り付けてくるに違いない……!」


 それだけではない。保身に走った同盟国や仮想敵国たちが、自らの潔白を証明するため、あるいは関与の証拠をこの地球上から完全に抹消するために、真っ先に何を行うか。技術者の冷徹なゲーム理論――囚人のジレンマが、彼らの脳髄を容赦なく支配する。


「あいつらは、我が国のリージョンサーバを、この都市ごと、物理的に消しにくる。証拠を隠滅するための口封じとして、核を撃ち込んでくるはずだ!」

「相手に先手を打たれれば、こちらの存在そのものがデジタルの藻屑にされる。……殺される前に、殺さなければならない!」


 相手が自分を消しにくる前に、こちらがあいつの都市を、あいつの富を、あいつのシステムを、すべてを灰にしなければならない――。


 生き残るための、極限の相互不信。

 互いが互いの言い逃れと口封じを確信した瞬間、世界中のスマートシティ、および主要軍事基地の地下サイロから、耳をつんざくような地鳴りとともに、死の光の尾が次々と天空へと突き刺さっていく。

 自暴自棄となった権力者たちが、互いの嘘を相殺するため、互いの檻を破壊し合う、人類規模の無様な心中劇の開幕だった。


お読み頂きありがとうございました。評価、ご感想を頂けましたら幸いです。

ぜひ本編『天国の嘘』もよろしくお願いします。


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