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天国の嘘・ゼロ 深流の仮面  作者: やまざかたかす
第七章 愚かな豚と鉄壁の逃亡

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第二十八話 庇護の独裁

 鈴木が強制抽出のボタンを押し、巨大なモニターにデータが展開されていく。

 だが、画面を埋め尽くしていたのは、溝落としで峠を攻める旧時代の車、首都高を悪魔のように疾走する、数千冊に及ぶ『レトロな車系コミック』の電子データだった。


『貴様っ、ふざけやがって!!』


 鈴木の怒号が響く。拘束衣の中で、幼い02の姿をした柚木健は、喉を鳴らして大爆笑していた。


『俺が、命懸けで守った愛読書だ。お望みなら全巻くれてやるよ。心して読め!』


 どこまでも不遜で、どこまでも技術者のプライドを曲げない最後の悪あがき。だが、その直後、02のバイタルデータが急激に危険水域へと突入した。強引なデータ抽出の負荷による器の不調。


 悠一が鈴木へ連絡しようとテンキーデバイスへ指を伸ばしかけた、その刹那だった。

 彼の操作よりも早く、センター最下層の管理セクターに、あの謎の凄腕ハッカーによる暴力的なキルコードが再び割り込んできた。


 パシィン、と不気味な破裂音と共に、隔離室の全電源が強制遮断される。鈴木たちが予備電源の確保に右往左往する一瞬の隙を突き、ハッカーはセーフティを全解除して02の隔離室の電子ロックを完全に解錠してしまった。


(またあのハッカーか……! 俺の一歩先を行くこの速度、一体何者なんだ)


 悠一は驚愕と焦燥に突き動かされながらも、すぐさま広域インフラの監視データに意識を集中させた。バックアップ用の独立回線から辛うじて死守した敷地外の監視カメラが、網膜の隅に非情な光景を映し出す。


 そこには、本能のままに夜の闇へと駆け出していく、幼い02の姿があった。

 だが、強引なデータ抽出の負荷に耐えかねた小さな体は、たちまち限界を迎え、冷たいアスファルトの上に力なく崩れ落ちてしまう。


 悠一が救出のコマンドを割り込ませようとしたその瞬間、闇の中からヘッドライトを消した一台の古いトラックが猛然と現れ、滑り込むようにして02の小さな姿を完全に覆い隠した。


 数秒の後、遮蔽物となっていたトラックが白煙を上げて慌ただしく過ぎ去る。だが、再びカメラの映像に映し出された路面には、ただ夜風に揺れる植え込みの低木と、センターの冷徹な塀が残されているだけだった。そこにあったはずの、大切な親友の遺産は、影も形もなく消え去っていた。


(どうしてこうなるのか……!)


 悠一は車内の暗闇で、血が滲むほどに奥歯を噛み締めた。

 まただ。またしても、自分の無二の親友だった里村の大切な弟子たちまでもが、自らの手の届かない暗部へとこぼれ落ちてしまう。肥え太らせた豚どもを一網打尽にするための復讐のシナリオが、外側から乱暴にかき乱されていく。


 高井戸の狙いはこれだったのか。あの老獪な豚と、その牙として動いているお抱えの飼い犬ハッカー。奴らが自分たちの利権のために、里村の遺産を力ずくで強奪しようと動いているに違いない。悠一の瞳に、絶対零度の冷徹な殺意が宿る。奴らのこれ以上の邪魔は、何が何でも徹底的に叩き潰し、止めなければならない。


 部屋の中央の椅子には、鈴木の第二班によって連行されてきた長泉良朗が、縛り付けられた状態で静かに目を閉じていた。天見たちの居場所を守るため、拷問すら覚悟しているその悲壮な横顔。


「人払いだ。誰も入れるな。監視カメラも切れ」


 総理大臣の冷徹な命令により、周囲のSPたちが一斉に退室していく。重い防音扉が閉まり、室内には二人きりとなった。

 長泉がゆっくりと目を開ける。その瞳に映るのは、一国を支配する冷酷な独裁者・柿枝改二の姿だ。


「初めまして、柿枝総理。まさかあなたが直々に尋問にお越しになるとは。……学生時代、悠一さんからあなたの才能の話はよく聞いていました。プログラマブル人工細胞核の発案者。いつか会ってみたいと願っていましたが……」


 天見たちの居場所を隠し通そうと、あえて挑発的に、しかしどこか哀しげに紡がれる長泉の言葉。


 悠一はしばらく無言で立ち尽くしていた。総理大臣としての純白の仮面が、その内側から内出血を起こすようにボロボロと崩れ落ちていく。やがて彼はゆっくりと眼鏡を外し、ひどく、ひどく哀しそうな、歪んだ笑みを浮かべた。


「いや。君の希望は、結局叶わなかったんだよ。……良朗」


 その懐かしい、一切の妥協を許さない傲慢な天才の声の響き。

 長泉の呼吸が完全に止まった。目の前にいる権力者の醜悪な皮の奥底に、海に消えたはずの、あの一緒にデスマーチを戦い抜いた最高の親友の知性が、確かに息づいていた。


 里村の死、柚木たちの逃亡、そして狂気のヘブン構想。すべての最悪の真実が一本の線で繋がり、長泉は震える両手で顔を覆うと、血を吐くような悲痛な叫びを漏らした。


「なんて愚かな選択を……! なぜ俺や里村に相談しなかったんだ、悠一!!」


 親友の涙ながらの叱責。しかし、悠一はもう、光の世界の言葉を忘れてしまっていた。彼は顔色一つ変えず、再び絶対零度の氷の声を響かせる。


「お前は今日、ヘブンへ移行した。長泉良朗という男は、この現実世界から社会的リアルに消滅したのだ」

「……なに?」

「今日からお前は名前を変え、経歴を偽造し、私の専属の主治医として一生私の横で生きろ。……私のこのクローン体は、あと数年のうちに寿命で崩壊する。お前のその『神の指先』で、私を一日でも長く生かして、メンテナンスを続けろ」


 それは、為政者の暴虐による理不尽な拉致であり、身勝手な人質の強要そのものだった。


 だが、長泉を冷酷に見下ろす悠一の胸の奥底では、引き裂かれた心臓から黒い血を流すような、悲痛な叫びが狂ったように渦巻いていた。


(里村も、柚木も、佐伯も……俺の見えない死角で、みんな死んでしまった。お前まで野に放っておけば、あの職権を握る笹山や高井戸の豚どもに必ず目をつけられ、居場所を吐かせるために跡形もなく殺される。……だから、お前だけは、世界で一番安全な、俺のこの目の届く檻の中で、絶対に、何が何でも死なせずに生かしてやる)


 親友をこれ以上、一人たりとも失いたくないという、狂気にも似た苛烈な過保護。


 悠一は、そのあまりにも不器用で必死な情愛を、冷酷な脅迫の裏に隠蔽し、ただ絶対零度の瞳で親友を見つめ続けた。


「私に逆らう権利は、お前にはない。……分かったな、良朗」


 長泉は、目の前の親友が背負ってしまった地獄の深さと、その冷徹な言葉の裏にある狂おしいほどの悲鳴を察し、ただ声もなく、白くなるほど強く拳を握りしめることしかできなかった。


お読み頂きありがとうございました。評価、ご感想を頂けましたら幸いです。


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