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天国の嘘・ゼロ 深流の仮面  作者: やまざかたかす
第五章 棘の玉座と遺言の檻

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第十九話 棘の種

 深夜の永田町。外界の喧騒から遮断された、国会議員・柿枝改二の執務室。

 その隠し扉の奥には、政治家の部屋にはおよそ不釣り合いなほどの超高スペックな並列演算サーバが、青白い光を明滅させながら低く排熱音を唸らせていた。

 悠一は、暗闇の中で複数並んだモニターを見つめている。一切の感情を排した瞳に、暗号化された無数のデータパケットが滝のように流れては反射していた。


 笹山巌が裏で動かしたインドの知人を経由した合弁会社設立という狡猾な一手。悠一がその通信傍受データを手に入れた瞬間から、恐るべき反撃の演算はすでに開始されていた。


 悠一の指先が、流れるような速度でキーボードを叩く。笹山が頼ったインド側のフィクサーの素性を、サイバー空間の底の底まで潜って徹底的に調べ上げた。そして、彼らが技術と莫大な利益に飢えた強欲なハイエナであることを確信すると、悠一自身は強固な暗号化通信と、出所を完全にロンダリングした莫大な暗号資産を駆使し、第三者のコンサルタントとして極秘裏に接触を図った。


『日本サイバトロニクスの技術を、より効率的に、かつ巨万の富へと変換するためのグランドデザインを提供する』


 悠一がインドのフィクサーに提示した報酬は、彼らが一生かかっても稼げないほどの莫大な暗号資産と、この先の日本政府からの継続的な資金流入を約束する青写真だった。


 インド側にとって、コンサルタントが何者であるかなど関係なかった。彼らは目の前に積まれた金と、その青写真のあまりにも悪魔的なビジネスモデルに舌を巻き、嬉々として悠一の描いた台本を笹山陣営――とりわけ、新プロジェクトの代表として承認欲求を肥大させていた笹山の孫、智行へと流し込む手駒となった。


 悠一がインド側を経由して智行へ送り込んだ計画書。それは、為政者にとってこれ以上ないほど甘美な、究極の搾取スキームだった。


『一部の特権階級が永遠の命を得て、その魂をクラウドに一時退避させるというのなら。その間、高価な新しい器が完成するまでの膨大なコストは、誰が支払うのか。答えはシンプルである。国民全員を、仮想空間システムの中で永遠に休眠させればいい』


 悠一は、自らが組み上げた悪意のロジックを冷徹にテキストへと変換していく。


『肉体の不要な仮想空間へと国民を移住させる。その見返りとして、現実世界における彼らの基本的人権、不動産、金融資産、すべてを合法的に国家が吸い上げる。そして、その搾取した莫大極まる富を使い、特権階級だけが永遠の享楽を貪るための、現実世界における『絶対的な楽園』を築き上げるのだ。愚民には仮想の夢を、特権階級には現実のすべてを与えよ』


 タイピングを終えた改二の顔に、冷酷な笑みが浮かんだ。

 国民からすべてを奪い、権力者たちに極上の特区を作らせる。それが一見、笹山一族に永遠の春をもたらす悪魔の提案に見えることは百も承知だった。いや、だからこそ提示したのだ。


 悠一の真の狙いはただ一つ。笹山巌をはじめとする特権階級という名の醜い豚どもに、絶対的な楽園という極上の餌を与え、彼らを物理的に一つの隔離された場所へ完全に集約させること。


(……豚どもを広い野に放っておいては、狩るのに手間がかかる。お前たち自身の手で、豪華な檻を作れ)


 全員がそこに集まり、油断しきって眠りについた時――マスターサーバからただ一つのコマンドを叩くだけで、奴らを一網打尽に皆殺しにしてやる。特権階級のための楽園。それは悠一にとって、彼らを丸焼きにするための巨大なオーブンに過ぎなかった。


 しかし、この計画を笹山陣営の中枢に食い込ませるためには、もう一つ超えるべき心理的な壁があった。それは、提案の窓口となる笹山智行の、実力が伴わないくせに肥大化しきった無駄な自尊心だ。


 誰かから与えられた計画書の通りに動くなど、彼の俗物的なプライドが許すはずがない。そこで悠一は、計画書の重要なコア・コンセプトの記述に、あえて大仰で非科学的なファンタジー用語――『ホムンクルス』という言葉を散りばめた。


 純粋なエンジニアであれば絶対に用いない俗悪な響き。しかし、自分は選ばれた神のような存在だと錯覚している若い笹山智行にとって、この仰々しい言葉は麻薬のように彼の虚栄心を激しくくすぐるはずだった。


「さあ、食いつけ。自分がこの凡庸なインドのレポートの中から、歴史を変える魔法の言葉を発見したと錯覚しろ」


 悠一はモニターの向こう側にいる標的の心理を、システムのエラーを誘発させるように冷徹にハッキングしていた。


 そして数日後の夜。悠一は執務室の暗闇の中で、じっとその時を待っていた。


 笹山派の重鎮たちが集う極秘の会議が行われている時刻。悠一の視線の先で、笹山陣営のイントラネットに仕掛けたトラフィックの波形が、僅かに変化する。


――ピロリン。


 小さな通知音とともに、悠一の専用端末にひとつのファイルが吸い出された。

 同時に、会議室に仕掛けられていた傍受マイクが、現場のくぐもった音声を拾い上げる。


『――以上が、私が考案した計画の全容です。我々は永遠の命を宿すホムンクルスとなり、彼ら国民を管理する。これこそが、我が一族が世界を支配するためのグランドデザインです!』


 スピーカーから流れてきたのは、笹山智行の自信に満ち溢れた、得意絶頂の声だった。

 続いて、笹山巌の『素晴らしい。まさかお前の頭からこれほど完璧な搾取のロジックが出てくるとはな』という歪んだ賛辞が響く。


 果たして、笹山智行は悠一の罠に完全に踊らされていた。正体不明の第三者によって誘導された思考だとは夢にも思わず、あたかも自分自身の卓越した知性が閃いた画期的なアイデアであると錯覚し、見事にこの悪魔のスキームを自分の発案として会議の場で承認してしまったのだ。


 悠一のディスプレイに映し出されているのは、笹山智行がたった今、自らの強欲と虚栄心に任せて刻み込んだ完全な電子署名付きの決裁データだった。


 国民を騙し、全財産と人権を奪い取り、永遠に休眠状態へと追い込むという、人類史上最悪の国家転覆・搾取計画。その発案者であり、実行責任者が笹山智行であるという、暗号学的に絶対に改竄・否認できない完全な証拠デジタルタトゥーが、悠一の手のひらへと音もなく転がり落ちたのだ。


「……愚か者めが」


 悠一は、画面に表示された智行の署名データを見つめながら、口角を吊り上げた。


 今、このデータを世間に公表しても意味はない。奴らはまだ、権力の絶頂にはいない。豚は、これ以上ないほど丸々と太らせ、自分たちは永遠の安全圏にいると錯覚させたその瞬間に、最も高い場所から地獄へと突き落とさなければならないのだ。

 悠一は静かに画面を閉じ、その決定的な証拠データを、自らの心臓よりも深いシステムの奥底へと封印した。果てしなく続く地獄のゲームの、次なる盤面へと駒を進めるために。


 悠一はデスクの上に置かれた小さな金属片を、祈るように両手で包み込んでいた。シルバーに鈍く光るアルミ筐体で冷たい、親指ほどのUSBメモリ。

 それは、最愛の弟がその純白の魂をすり減らし、泥水に塗れ、最後には自らの命と引き換えにして遺した絶望の結晶だった。


 悠一は、ゆっくりとその手を広げ、自分の手のひらを見つめた。

 白く、細く、しなやかな指先。それは弟の肉体であり、かつて顕微鏡を覗き込み、生命の神秘である人工細胞核を創り出すためだけに使われていた、美しく尊い手だ。


 あんなにも優しかった弟が、一人でこの汚悪な永田町の闇に潜り込み、震える指で笹山一族のマネーロンダリングの証拠や、暗殺指令のログをこの小さなメモリにダウンロードしていた夜のことを思うと、胸の奥で、心臓を直接鷲掴みにされて引き千切られるような凄絶な激痛が走った。


(お前は、光の中だけで生きていればよかったんだ。こんな薄汚い泥の塊は、俺が全部被ってやるべきだったのに)


 懺悔と喪失感、そして笹山巌という怪物に対する、身を焦がすほどの激烈な憎悪。腹の底から煮え滾るマグマのような怒りが、悠一の理性を焼き尽くそうと暴れ狂う。


 だが、悠一はゆっくりと深呼吸を繰り返し、その熱を、意識の最下層へと強制的に封じ込めた。

 燃え盛る炎は、表面しか焼くことができない。笹山という巨大な権力の怪物を骨の髄まで完全に破壊し尽くすためには、熱であってはならない。絶対零度の、一切の感情を排した復讐マシーンにならなければならないのだ。


「お前の遺したこの剣は、俺が最も残酷な形で使ってやる」


 悠一は冷徹なエンジニアの瞳を取り戻すと、USBメモリをメインコンソールのポートへと静かに挿入した。

 幾重にも掛けられていた暗号化ロックは、弟の思考回路を世界で一番理解している彼にとって、もはや何の障害にもならなかった。瞬時に展開されたディレクトリには、笹山一族が裏社会と結託して築き上げた巨額の不正蓄財、インフラを掌握して政敵を葬ってきた暗殺の記録、そしてこれから彼らが実行に移そうとしている数々の違法な利権構造が、生々しいデータの羅列となって詰まっていた。


 これほどの決定的な証拠があれば、警察やメディアにリークするだけで、笹山一族を終わらせることができると普通の人間なら考えるだろう。


 だが、悠一の冷徹な脳は、そのぬるい選択肢を即座に破棄した。世間や司法がどれほど騒ごうと、権力の中枢に根を張る笹山巌という怪物は、巧妙にトカゲの尻尾切りを行い、いずれ必ず復活する。法や世論というシステムには、巨大な権力者を保護してしまう致命的な脆弱性があるのだ。


(ならば、奴が立っている盤面そのものを、すべて俺が書き換えるまでだ)


 悠一の右手が、キーボードの上を滑るように走り出した。同時に、左手が傍らに配置されたマクロ制御用の左手デバイスを正確なリズムで弾き、自作した無数のハッキングスクリプトやトラッキングプログラムを並列で次々と起動させていく。

 視線は複数のモニターに固定されたまま、一切の淀みなくコマンドが叩き込まれる。天才エンジニアとしての極限のフロー状態。


 悠一が構築し始めたのは、血の流れない、しかし決して逃げ出すことのできない見えない包囲網だった。


 彼はUSBのデータを解析し、笹山巌の玉座を支えている強固な柱――すなわち、笹山の息がかかった派閥の有力議員、省庁のトップ官僚、経済界の重鎮、そして裏仕事を引き受ける反社会勢力のボスたちを、完全にリストアップした。

 そして、彼ら一人一人の急所となる最も致命的な汚職データをピンポイントで抽出し、絶対に足のつかない暗号化ルートを用いて、彼らのプライベート端末へと直接送りつけた。

 添付されたメッセージは、極めてシンプルで、氷のように冷たいものだった。


『あなたの命運は、今この瞬間から笹山巌ではなく、私が握っている。来るべき時が来たならば、私のシグナルに従え。さもなくば、このデータは即座に世界の金融当局と司法の手に渡る』


 それは、永田町という巨大な権力の森の中で、音もなく進行する恐るべき浸食だった。

 ある日突然、強固な地盤を持っていたはずのベテラン議員が、改二とすれ違った瞬間に顔面を蒼白にして目を逸らすようになる。笹山の懐刀と呼ばれていた財務省の高級官僚が、改二からの非通知の着信一つで、震える声で絶対の忠誠を誓うようになる。


 裏社会を牛耳るフィクサーでさえ、海外の隠し口座を悠一のハッキングによって一瞬で凍結され、見えないゲームマスターの前に完全に平伏した。悠一は、自らの手を一切血で汚すことなく、ただデータを送るだけで、彼らの魂に重い首輪をはめ、恐怖で支配し、自らの手駒へと強制的に寝返らせていった。


 彼らを手懐け、脅迫し、駒として扱うたびに、悠一は自分の中に残っていた人間性が削り取られ、弟の純白な顔を凄惨な泥で汚していくような、耐え難い自己嫌悪に苛まれた。

 洗面所の鏡に映る、冷酷な怪物になり果てた弟の顔を見るたびに、肺が潰れるほどの悲しみが込み上げる。だが、その痛みが鋭ければ鋭いほど、悠一はそれを推進力へと変換し、キーボードを叩く指の速度を上げていった。


(見ていろ、改二。お前を殺したこの腐った世界を、俺が裏からすべて支配してやる)


 数ヶ月が経過した頃には、見えない包囲網は完全に完成していた。


 表向きの永田町では、笹山巌が依然として政界の頂点に君臨し、取り巻きたちに囲まれながら、不老不死のプロジェクトに向けて傲慢な笑い声を響かせている。


 だが、老怪物は気づいていない。

 自分がふんぞり返っているその巨大な玉座を支える柱が、とうの昔にシロアリに喰い荒らされ、すべてが悠一の指先一つで崩れ去る砂の柱へとすり替えられていることに。


 議事堂の喧騒を遠くに見下ろす執務室で、悠一は一人、ポケットの中のUSBメモリをそっと握りしめた。弟が命懸けで遺してくれた一本の剣は、今や国家を丸ごと包み込む、目に見えない巨大なギロチンへと姿を変えていた。あとは、最も残酷なタイミングで、その刃を振り下ろすだけだ。悠一の冷たい瞳の奥で、復讐の炎が、青白く、静かに燃え続けていた。


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