第十七話:灯りの配分
停電から三日が経っていた。
スクラップ・タウンの電力は、地上の送電網から違法に分岐した一本の幹線と、旧時代の発電機数台に依存している。東側区画の配電盤が壊されたことで、供給量は三割落ちた。
街の広場に、住人が集められた。三百人ほど。それがこの街のすべてだった。
「順番に言う」
中央に立ったヒロが、煤で汚れた紙を広げた。
「今日から、東側の照明は夜間停止。医療区画の保温は継続。工房の電力は半分。……以上だ」
どよめきが上がった。
「ふざけんな! 東側にはガキが二十人いるんだぞ!」
「工房を半分にしたら、来月の水ポンプが直らねぇ!」
「医療区画だと? あそこにいるのは、もう助からねぇ婆さん三人だろうが!」
怒号が飛び交う。誰も殴らないが、誰も譲らない。
朱音は、広場の隅でその光景を見ていた。
——エデンなら、こんなことは起きない。
資源配分はシステムが最適解を算出し、通知されるだけだ。誰も議論しない。誰も怒鳴らない。誰も納得しないまま、全員が納得した顔で従う。
目の前にあるのは、その反対だった。ひどく醜くて、ひどく時間がかかる。
「静かにしろ!」
老婆が、鉄パイプで地面を叩いた。
「文句がある奴は、代案を出しな。怒鳴るだけの奴は黙ってろ」
場が、少しだけ収まった。
その静けさの中で、一人の男が手を挙げた。
四十代くらいの、痩せた男だった。名前をタケという。工房で配線の仕事をしている、無口な男だと朱音は聞いていた。
「代案じゃない。質問だ」
タケは、真っ直ぐに朱音を見た。
「あんた、いつまでここにいる」
場が、静まり返った。
「……分かりません」
「そうか。じゃあ質問を変える」
タケの声は、淡々としていた。怒鳴らないぶん、余計に重かった。
「あんたが来てから、三日でドローンの巡回が二倍になった。上のセンサーが、この区画の熱源を洗い直してる。……知ってるか」
「……はい。知ってます」
「あんた一人ぶんの電気と、飯と、水。それと、二倍になった巡回。……それに見合うもんを、あんたはこの街に持ってきたか」
誰も、何も言わなかった。
「タケ」
老婆が低く言った。
「あの娘は、あたしが置くと決めた」
「婆さんの決定に文句はねぇよ。俺は数字の話をしてる」
タケは立ち上がった。
「うちの娘は、去年、肺をやられた。薬がなかったからだ。地上には腐るほどある薬が、ここには一つもなかったからだ」
彼は、朱音を見た。憎悪はなかった。それが余計に堪えた。
「俺はエデンが嫌いだ。だが、エデンの下なら娘は生きてた。……その事実を、俺は毎日考えてる」
タケは、それだけ言って広場を出ていった。
誰も、彼を止めなかった。
——
その夜。
朱音は、廃屋の端末の前に座っていた。画面は消したままだった。
「気にすんな」
背後から蓮の声がした。彼は缶詰を二つ持っていた。
「気にするわ。あの人、正しいもの」
「……そうかもな」
蓮は隣に座り、缶を一つ差し出した。
朱音は受け取らなかった。
「食べられない」
「食え」
「私が一つ食べたら、誰かが一つ食べられないのよ。今日それを言われたばかりで」
「じゃあ聞くが」
蓮は缶を朱音の膝の上に置いた。
「あんたが飢え死にしたら、四千八百六十二人はどうなる」
朱音は、顔を上げた。
「あそこの場所を知ってるのは、この地下でたった二人だ。あんたと、俺。……あんたが痩せ細って倒れたら、それは節約じゃねぇ。ただの損失だ」
彼は自分の缶を開け、乱暴に中身をかき込んだ。
「食え。食って、頭を働かせろ。……あんたにできるのは、それだけだろ」
朱音は、缶切りを手に取った。
三日前より、ずっと上手くなっていた。それが少しだけ悔しかった。
「……蓮くん」
「なんだ」
「私、この街の人たちに、何を返せばいいのかしら」
蓮は、しばらく黙っていた。
「エデンを潰す」
「それは、この街の人が望んでることなの?」
蓮が、答えに詰まった。
朱音は、缶の中身を口へ運びながら続けた。
「タケさんの娘さんは、地上にいれば生きてた。この街の人が全員、痛みのある自由を選んだわけじゃないの。……ただ、上から落とされただけの人もいる」
彼女は、天井の暗がりを見上げた。
「私が『痛みは尊い』なんて言ったら、あの人は私を殴っていいと思う」
「……あんた、面倒くさい女だな」
「そうね」
「褒めてる」
蓮は空になった缶を床に置き、立ち上がった。
「けど、覚えとけ。俺は美緒を出す。それだけだ。……この街のためでも、四千八百六十二人のためでもねぇ。俺は俺の妹のために動く」
朱音は、その背中を見上げた。
「それでいいと思う」
「……あぁ?」
「立派な理由じゃなくていいの。あなたが自分で決めたなら、それでいい」
蓮は、何も言わずに出ていった。
——
その翌朝。
朱音が目を覚ますと、街が静まり返っていた。
廃屋を出ると、広場に人が集まっている。中央に、老婆が立っていた。
足元に、切断された太いケーブルが転がっている。街の主幹線だった。
「……誰がやった」
誰も答えなかった。
老婆は、ケーブルの断面を拾い上げた。
切り口は、綺麗だった。工具を使い慣れた人間の仕事だった。
「これはね、破壊工作じゃない」
老婆が言った。
「わざと切ってるんじゃない。これは……繋ぎ直した跡だ」
朱音は、その言葉の意味を数秒遅れて理解した。
切断ではない。
誰かが、この街の幹線を、地上の別の系統へ繋ぎ替えたのだ。
電力を盗まれたのではない。
——この街の位置情報が、上へ流れている。
「タケがいない」
誰かが、そう言った。
広場の空気が、凍りついた。
朱音は、天井を見上げた。
遠く、ドーム状のコンクリートの向こう側で。
キィィィィィィン、と。
鼓膜の裏側を針で刺すような、超高周波の駆動音が、微かに聞こえ始めていた。




