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君色の花束に恋をした  作者: れおにゃり
第二部 泥臭い温度と、失敗する権利
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第十四話:火傷の跡と、失敗する権利

 スクラップ・タウンの広場の片隅にある共同炊事場は、むせ返るような熱気と白煙、そして名状しがたい有機物の匂いに支配されていた。

 錆びたドラム缶を半分に切った即席のかまどがいくつも並び、その下で赤い炎が不規則に舌を伸ばしている。煙はドーム状の天井に滞留し、朱音の目を容赦なく刺激して生理的な涙を滲ませた。


「ほら、突っ立ってないで手を動かしな。エデンみたいに、口を開けてればペーストが飛んでくるわけじゃないんだからね」


 白髪を乱雑に束ねた集落の老婆が、皺だらけの指で分厚い木製のまな板を叩いた。

 まな板の上には、泥がついたままの、ひどく歪な形をした根菜が転がっていた。エデンの教科書で「旧時代の人類が摂取していた非効率なエネルギー源」として画像データでしか見たことのない、本物の野菜だった。

 表面は凸凹で、所々に細い根が生えている。完璧な球体でも、均一な立方体でもない。


「これを……私が、切るの?」

「あんたの分の飯だろ。自分の胃袋に入れるもんは、自分で責任持ちな」


 老婆は、木の柄が黒ずんだ古びた包丁を朱音へ差し出した。

 朱音は、少し震える右手でその柄を握った。ずしりと重い。刃先は所々が欠けており、金属の冷たさが掌を通して脳へと伝わってくる。


 朱音はまな板の前に立ち、左手でその不格好な根菜を押さえた。

 刃を当てる。

 どれくらいの力を込めればいいのか。どの角度で刃を入れれば、自分の指を切り落とさずに済むのか。

 すべてを自分の脳で計算し、筋肉に命令を下さなければならない。


 トンッ、と。

 恐る恐る刃を押し込むと、鈍い音と共に根菜が半分に割れた。

 だが、切り口は斜めに歪み、大きさもバラバラだった。

 しかし老婆は何も言わず、ただ鼻を鳴らして次の食材を放り投げた。


 朱音は額に脂汗を滲ませながら、ただひたすらに刃を動かした。

 硬い繊維に刃が引っかかる。左手の指先を切りそうになり、心臓が跳ね上がる。その度に、刃の角度を微調整し、押し込む力を変える。


 切り終えた不揃いな食材を、煮えたぎる黒い鉄鍋の中に放り込む。

 かまどから立ち昇る炎の熱が、朱音の顔の皮膚をジリジリと焼いた。パチッ、と薪が爆ぜる音に肩を揺らしながら、朱音は木杓子で鍋の中をかき混ぜる。


 味付けもまた、手探りの連続だった。

 老婆から渡された粗塩の結晶を、指先で摘んで鍋に落とす。適量がわからない。少し舐めては「薄い」と感じ、また塩を足す。

 その時だった。

 手元の狂いから、朱音の右手の指先が、熱せられた鉄鍋の縁に触れた。


「――っ!」


 チリッ。

 皮膚の表面が焼け焦げるような鋭い痛みが走り、朱音は反射的に手を引っ込めた。

 指先を見ると、人差し指の腹が赤く腫れ上がり、ヒリヒリとした熱を伴う激痛が脈打っている。


 痛みで顔を歪める朱音を見て、老婆が皺だらけの顔をほころばせた。


「なんだ、やっちまったか」

「……はい。ごめんなさい、私……不注意で」


 朱音がシステムに謝罪するように頭を下げると、老婆は不思議そうな顔をした後、腹の底からガハハと大声で笑った。


「謝ってどうすんだ。火が熱いってことを、自分の身体で1つ学んだだけじゃないか」

 老婆はそう言って、ポケットからよれよれの絆創膏を取り出し、朱音の指先に乱暴に巻きつけた。

「エデンの連中は、失敗を『エラー』だっつってすぐに無かったことにしちまう。だからいつまで経っても、自分で火も熾せねぇ赤ん坊のままなんだ。……いいかい、嬢ちゃん」


 老婆は、絆創膏の上から朱音の指をぎゅっと握った。

 その老婆の手には、数え切れないほどの火傷の跡と、刃物で切った無数の傷跡が刻み込まれていた。


「失敗して、火傷して、痛い思いをする。それは『自分の頭で考えて、自分の足で踏み出した』証拠だ。ここではな、火傷の跡は生きてる勲章なんだよ」


 朱音は、絆創膏の巻かれた痛む指先を、もう片方の手でそっと包み込んだ。痛い。だが、その痛みはどこまでも熱く、誇らしかった。


 やがて、朱音の初めての料理が完成した。

 広場の隅の木箱に腰掛けていた蓮の前に、凹んだブリキの椀を差し出す。


「……なんだこれ」

 蓮は、椀の中の濁った茶色い液体を見て、あからさまに眉をひそめた。

 野菜の切り方はバラバラで、火にかけすぎたせいでスープ全体が少し焦げ臭い。


「私が……作ったの」

 朱音は、少しだけ顔を赤らめながら言った。


 蓮は無言のまま、木の匙でその濁ったスープをすくい、口に運んだ。

 ゆっくりと咀嚼し、喉の奥へ流し込む。

 その瞬間、彼の顔が盛大に歪んだ。


「……しょっぱ。それに、焦げ臭ぇ」

「えっ……」

「野菜も硬い。完全に火が通ってねぇぞ、これ」


 容赦のない評価だった。

 朱音は自分でも一口飲んでみた。

 ――不味い。

 塩辛すぎて舌が痺れるし、焦げた苦味が鼻に抜ける。


「ごめんなさい……私、やっぱり何もできなくて……」

 朱音が椀を引っ込めようとした時、蓮の大きな手がそれを遮った。

 彼は朱音から椀を奪い取ると、顔をしかめながら、無言で次々とそのしょっぱくて焦げ臭いスープを口へ運び始めた。


「待って、無理して食べないで! 身体に悪いわ!」

「うるせぇ。せっかくお前が指の皮焼いてまで作った飯だ。……残すかよ」


 蓮は、絆創膏の巻かれた朱音の人差し指をちらりと見やり、そのまま一滴残らずスープを飲み干した。

 空になったブリキの椀を木箱に置き、乱暴に口元を拭う。


「……ま、次はもう少し塩を減らせ」


 朱音は、空の椀と、自分の火傷した指先を交互に見つめた。

 失敗した。不味かった。

 でも、彼はそれを「エラー」として排除せず、すべて飲み込んで、一緒に共有してくれた。

 朱音の頬を、熱い涙が静かに伝い落ちた。

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