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フェイドアウト断章  作者: 石藏拓(いしくらひらき)


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ジョージ・ハリスンの最後

ジョージ・ハリスンの最後

### ビートルズを離れて、静かな生活へ


1990年代のジョージは、かつてのように表舞台へ出ることを好まなくなっていました。


1991年にはエリック・クラプトンと日本公演を行いましたが、その後は大規模なツアーにはほとんど関心を示さず、妻オリヴィア、息子ダーニとともに、イギリスの自宅フライアー・パークで静かな生活を送ります。


庭仕事をしたり、家でギターを弾いたり、曲を書いたりする。


ジョージにとっては、世界中から注目されることよりも、**自分の庭と家族と音楽がある生活**のほうが大切になっていたようです。1990年代には公の場への登場もかなり少なくなっていました。([ザ・ガーディアン][1])


### そして「死」を意識するようになる


ジョージは若い頃からインド哲学やヒンドゥー思想に強い関心を持っていました。


だから、死に対する考え方も、一般的なロックスターとは少し違っていました。


1997年、喉頭がんの治療を受けます。ジョージ自身、当時は喫煙が原因だったと語っています。さらに2001年には肺のがんが見つかり、手術を受けました。やがて病気は脳にも及びます。([ザ・ガーディアン][2])


しかし、その間もジョージは「死」を恐怖だけで捉えていたわけではありません。


彼にとって、生きている身体は永遠のものではなく、もっと大きなものの一部だった。


これは、若い頃からずっと彼がインド音楽や瞑想、宗教を通じて考えてきたことでした。


### 1999年の事件


晩年のジョージには、もう一つ大きな出来事がありました。


1999年12月、フライアー・パークに男が侵入し、ジョージをナイフで襲いました。


ジョージは重傷を負い、肺にも傷を負いました。妻オリヴィアも襲われましたが、彼女が男に立ち向かい、ジョージを助けています。([ウィキペディア][3])


この事件は、ジョージにとってかなり衝撃的なものだったはずです。


それまでにも世界中のファンから追いかけられてきた人ですが、**自分の家、自分が最も安心できる場所まで侵入された**。


それでもジョージは、その後も音楽を続けました。


### 最後まで音楽を作っていた


ここがジョージの晩年で、僕は一番大事なところだと思います。


病気になったから音楽をやめたのではありません。


最後まで曲を書いていました。


最終作となったアルバムが『Brainwashed』です。


ジョージは2001年に亡くなったため、自分で完成させることはできませんでした。しかし、息子ダーニとジェフ・リンが、ジョージが残した指示や録音をもとに完成させ、2002年に発表しました。([ウィキペディア][4])


つまりジョージは、死を前にしても、


**「もう終わりだから何もしない」**


とはならなかった。


最後まで曲を作っていた。


そこには、ジョージらしい生き方がよく表れています。


### 「物質世界」から離れていく


ジョージの人生を振り返ると、非常に面白い変化があります。


ビートルズ時代のジョージは、世界的な名声、金、レコード、女性、豪邸など、いわゆる「成功」の真ん中にいました。


ところが、その成功を全部手に入れたあと、


**「それだけでは人間は満たされない」**


という方向へ進んでいった。


だから彼はインドへ行き、シタールを学び、ラヴィ・シャンカルと出会い、瞑想や宗教を追求するようになった。


晩年になると、その考え方がさらに強くなっていきます。


「自分」というものへの執着を少しずつ手放していく。


これはジョージの人生を理解するうえで、とても重要だと思います。


### 最後の日


2001年11月29日。


ジョージ・ハリスンはロサンゼルスで58歳の生涯を終えました。


妻オリヴィア、息子ダーニ、ラヴィ・シャンカルとその家族、そして親しいハレー・クリシュナの信者たちがそばにいました。最後には『バガヴァッド・ギーター』の詩句が唱えられていたとされています。([ウィキペディア][5])


58歳。


あまりにも早い死です。


しかし、ジョージ自身は若い頃から「死」を人生の終着点というより、別の段階への移行として考えていました。


だから晩年のジョージを見ていると、


**死を恐れて逃げている人というより、少しずつ「物質世界」から離れる準備をしていた人**


という印象があります。


### そしてクラプトン


ここで、以前お話ししたエリック・クラプトンとの関係がつながってきます。


ジョージが亡くなった翌年の2002年11月29日、ちょうど一周忌の日に、クラプトンとオリヴィアが中心となってロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開催したのが**「Concert for George」**でした。


ポール・マッカートニー、リンゴ・スター、クラプトン、ジェフ・リン、トム・ペティ、ビリー・プレストン、ラヴィ・シャンカルら、ジョージと深く関わった人々が集まりました。([The Concert for George][6])


ここがジョージの人生の不思議なところです。


若い頃、ビートルズの中で「静かなジョージ」と呼ばれていた男が、死んだ後には、**世界中の一流ミュージシャンが集まって彼の曲を演奏する存在になった。**


しかも、その中心にいたのが、若い頃からの親友であり、そしてパティ・ボイドをめぐって複雑な関係にもなったエリック・クラプトンだった。


ジョージの晩年を一言で表すなら、


**「名声を追いかけた人生の最後に、名声から離れて、本当に自分が大切にしていたものだけを残した人生」**


だったのではないでしょうか。


そして、その最後に残ったものが、**音楽、家族、友情、そして精神的な探求**だったのだと思います。



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