フランソワーズ・サガンと父――『悲しみよこんにちは』のモデル
### フランソワーズ・サガンと父――『悲しみよこんにちは』のモデル
フランソワーズ・サガンの『悲しみよこんにちは』を読んでいると、17歳の少女セシルと、その父レイモンの関係があまりにも生々しいことに気づく。
父は裕福で、女性に囲まれ、恋愛を繰り返し、娘にほとんど束縛を加えない。
そして娘もまた、そんな父との自由な生活を楽しんでいる。
この父親像は、まったくの空想だったのだろうか。
そう考えると、サガン自身の父、ピエール・クォワレズの存在が浮かび上がってくる。
ピエールは裕福な実業家で、娘フランソワーズを「キキ」と呼んで可愛がった。彼女に大きな自由を与え、文学や読書を妨げなかった。サガン自身も、両親に守られていたと後に語っている。
そして17歳の少女が書いた小説の中心に置かれたのが、まさに「娘を束縛しない父」だった。
『悲しみよこんにちは』のレイモンは、若い女性を次々と愛人にする男である。
娘セシルにとっては、父親であると同時に、人生を一緒に楽しむ親友のような存在でもある。
ところが、父親がある女性との結婚を考え始めた瞬間、その自由な世界が崩れていく。
セシルは父を奪われると思う。
そして父の恋愛を壊そうとする。
つまり、この小説は単なる恋愛小説ではない。
「父親を誰にも渡したくない」という娘の感情を描いた物語でもある。
そして恐ろしいのは、その父親像が、サガン自身の父親を連想させるところだ。
サガンは父をモデルにしたのか。
少なくとも、父親という人物の性格や、父娘の距離感が現実の家庭生活から生まれたことは容易に想像できる。
しかも、出版が決まったとき、父は娘に本名を使わないよう求めた。
フランソワーズ・クォワレズではなく、プルーストの作品から「サガン」という名前を選ばせたのである。
これは、父親にとって複雑な出来事だったに違いない。
自分を思わせる男が、小説の中で女性関係を繰り返す。
その男の娘が、父親の恋愛を邪魔する。
そして、その物語を書いたのが自分の娘なのだ。
もしそこに父親自身の姿を感じ取ったとしたら、穏やかな気持ちでは読めなかったとしても不思議ではない。
ただ、興味深いことに、確認できる資料では、ピエールは原稿そのものを否定したわけではない。むしろ最初に読んだ人物の一人で、作品を評価したと伝えられている。問題は、作品の内容以上に、それが社会的にどのように受け止められるかだった。
つまり父は、娘の才能を認めながら、自分自身がその小説の「父親」に重なってしまうことを恐れたのかもしれない。
そこに『悲しみよこんにちは』の面白さがある。
サガンは父を愛していた。
だからこそ、父を小説にした。
しかし小説にされた父親は、現実の父親とはもう別の人間である。
現実のピエール・クォワレズは、娘を守り、娘の才能を認めた父だった。
小説のレイモンは、女性を愛し、娘の人生を変えてしまう父だった。
その二人の間に、サガン自身の記憶と想像力が入り込んだ。
そして19歳にも満たない少女は、父親との関係を文学に変えてしまったのである。
『悲しみよこんにちは』が世界的なベストセラーになったとき、サガンは「娘」から「作家」になった。
その瞬間、父親もまた、現実の父親から小説の中の人物へと変わってしまったのかもしれない。
父をモデルにして父を文学の中に閉じ込める。
それは、娘にしかできない、最も残酷で、そして最も愛情に満ちた父親への肖像画だった。




