フランソワーズ・サガンと父
フランソワーズ・サガンと父親ピエール・クォワレズの関係は、彼女の文学人生を考えるうえで、とても興味深いものです。事実関係を踏まえながら、少し文学的にまとめます。
### フランソワーズ・サガンと父
フランソワーズ・サガンという作家を語るとき、どうしても『悲しみよこんにちは』を19歳で書いた少女、そして自動車、恋愛、酒、賭博、スキャンダルといった華やかなイメージが先に浮かんでくる。
しかし、そのサガンの原点をたどっていくと、ひとりの男性に行き着く。
父、ピエール・クォワレズである。
ピエールは1900年生まれ。北フランスの産業界につながる家に生まれ、工学を学んだ技術者だった。娘が生まれた1935年、フランソワーズは一家の末娘だった。しかも、その前に男児を亡くしていたため、家族にとって彼女は特別な存在になった。
幼いフランソワーズは「キキ」と呼ばれた。
父は決して、娘を普通の女の子として育てようとはしなかったようだ。
人形よりも本を与え、幼いころから読むことを許した。写真を撮り、娘の成長を記録した。後のサガンが読書と文学に早くから親しんだ背景には、父親の存在があった。伝記資料には、父が彼女に本を買い与え、娘との間に特別な親密さがあったことが記されている。
そして、もうひとつ重要なのが「自由」である。
父は娘に対して、かなり大きな自由を与えた。車に興味を持てば車を与え、乗馬をしたければ馬を与える。幼い娘を過度に縛らなかった。
その自由は、やがてサガンの人生そのものになっていく。
速い車を走らせる。
恋をする。
夜を遊ぶ。
お金を使う。
社会の常識に縛られない。
もちろん、これは単純に「父親が甘やかした」という話ではない。
むしろ父は、娘に「自分の人生は自分で生きろ」という世界を与えたのではないか。
だからこそ、19歳で『悲しみよこんにちは』を書いたときも、サガンは世間の常識から外れることを恐れなかった。
ただし、そこには父親のもう一つの顔があった。
フランソワーズ・クォワレズという本名で小説を出すことを、父は認めなかった。
そこで彼女は、プルーストの『失われた時を求めて』に登場するサガン公爵から「サガン」という名前を選ぶことになる。こうしてフランソワーズ・サガンが誕生した。
これは不思議な出来事である。
文学者としての娘を最も早くから支えた父が、娘に自分の姓を使わせなかった。
つまり父は、娘の才能を否定したのではない。
むしろ「クォワレズ家を巻き込まないでくれ」という、自分なりの距離を置いたのだろう。
その距離感が、実にサガンらしい。
父は娘を愛していた。
しかし、娘の人生を自分の人生と同じものにはしなかった。
そしてサガンもまた、父親の庇護の中にいつまでもいる女性ではなかった。
『悲しみよこんにちは』が世に出ると、彼女は一気に世界的な作家になった。
「フランソワーズ・クォワレズ」ではなく、「フランソワーズ・サガン」として。
そこには、父から与えられた自由と、父から与えられなかった姓という、奇妙な二つの贈り物があったのではないだろうか。
サガンの人生は、自由すぎるほど自由だった。
そして、その自由の出発点には、娘を「普通の娘」にしなかった父親がいた。
考えてみれば、『悲しみよこんにちは』という小説のタイトルさえ、そんな父娘の関係を思わせる。
幸福だけではない。
悲しみも、孤独も、失敗も、人生そのものとして受け入れてしまう。
サガンは、そういう生き方をした。
その最初の扉を開けたのは、文学だったのかもしれない。
しかし、その扉を開けてもいい、と最初に教えた人物は、父ピエール・クォワレズだったのではないか。
サガンという作家の自由奔放な人生を眺めていると、つい彼女自身の強烈な個性だけに目が行く。
けれど、その背後には、娘に本を与え、自由を与え、そして最後には自分の姓さえ与えなかった父親がいる。
サガンの「自由」は、突然生まれたものではなかった。
父親から受け取った、最初の贈り物だったのである。




