老人ホームの落とし穴〜好物の和菓子の差し入れが
老人ホームに入居する高齢の親へ、少しでも喜んでもらいたい――そんな家族の思いが、思いもよらない結果を招くことがあります。
都内で働く斉藤健一さん(仮名・50歳)の父、昭男さん(仮名・79歳)は、3年前から介護付き有料老人ホームで暮らしていました。年金は月19万円ほどで、不足分は貯蓄を取り崩しながら穏やかな生活を送っていました。
昨年の父の日、健一さんは妻と小学生の娘を連れて面会に訪れます。手には、昭男さんが昔から大好物だった老舗の和菓子がありました。
「おお、わざわざ来てくれたのか。これ、大好きなんだよ」
孫から似顔絵を受け取り、うれしそうに和菓子を口にする父。その笑顔を見て、健一さんも「親孝行ができた」と心から喜んでいました。
ところが、その日の深夜、施設から緊急の電話が入ります。
昭男さんが食後に激しくむせ込み、高熱を出して救急搬送されたというのです。
病院で医師から告げられた診断は「誤嚥性肺炎の疑い」。差し入れた和菓子の一部をうまく飲み込めず、気管に入ってしまったことが原因でした。
医師は、高齢になると嚥下機能は体調によって大きく変化し、普段食べられていたものでも危険になることがあると説明しました。
「少しなら大丈夫だと思っていました……」
健一さんは自分を責め続けました。
しかし、本当の試練はその後に訪れます。
昭男さんは肺炎の回復が遅れ、入退院を繰り返すようになりました。そして入院から3か月が過ぎた頃、老人ホームから思いがけない言葉を告げられます。
「申し訳ありませんが、お父様には当施設をご退去いただくことになります」
長期入院による契約条件の超過、医療依存度の上昇、そして誤嚥リスクの増大により、施設での生活継続が難しいと判断されたのです。
現在、昭男さんは医療ケアに対応できる別の施設へ移りました。しかし費用は以前より大幅に増え、健一さん一家は毎月数万円の負担を抱えることになりました。
高齢の親に好きなものを食べてもらいたい、笑顔になってほしい――その気持ちは誰もが抱く自然なものです。
しかし、施設で暮らす高齢者にとっては、その一口が命に関わることもあります。
差し入れをする際には、「これくらいなら大丈夫」と自己判断せず、必ず施設職員や看護師に相談し、食べ物の種類や大きさ、量などを確認することが大切です。
健一さんは今も、父の日の出来事を振り返るたびに、こう語ります。
「父を喜ばせたかっただけなんです。あのとき、職員さんに『この和菓子を食べても大丈夫ですか』と、一言聞いていれば……」
家族の善意だからこそ、慎重な確認が必要なのかもしれません。




