709/715
一進会会長 李容九
李容九は1868年に生まれ、大韓帝国末期に活動した政治家で、もとは東学党の幹部として日本軍と戦った人物だった。甲午農民戦争で指揮官を務め、逮捕されても供述しなかったほどの強硬な反日派だったが、1901年に孫秉煕らと日本を訪れたことをきっかけに考えが大きく変わった。
日露戦争を前に、朝鮮がロシアに呑み込まれる危険を強く感じ、
日本との協力こそが国を守る道だと考えるようになった。
1904年、宋秉畯とともに一進会を設立し会長となり、日本との軍事同盟や将来的な合邦を主張した。
彼の合邦論は「対等な連邦国家」を理想とするもので、朝鮮人が日本人と同じ待遇を受けるべきだと考えていた。
1909年には皇帝純宗と統監府に「韓日合邦建議書」を提出し、両国が対等に一つの国家を作るべきだと訴えた。
しかし実現したのは対等合邦ではなく、日本による併合だった。
併合後、李容九は失意の中で病に倒れ、1912年に須磨で死去した。
晩年には一進会での活動を後悔する言葉を漏らしたと伝えられている。




