ロシアに呑まれるよりは、日本と組むほうがまだましだと考えた
「ロシアに呑まれるよりは、日本と組むほうがまだましだと考えた」**
# ◆ 一進会をめぐる歴史的背景
朝鮮半島が揺れていた時代がある。
ロシアと日本という二つの大国が、朝鮮をめぐって静かに、しかし確実に圧力を強めていた。
王宮では親露派と親日派が入り乱れ、民衆は明日の政治すら読めない混乱の中にいた。
そんな中で生まれたのが、一進会という政治結社だった。
彼らは決して「日本に国を売ろう」と考えたわけではない。
むしろ逆だった。
**ロシアに呑み込まれる未来だけは、どうしても避けたかった。**
日清戦争と日露戦争で日本が勝利し、国際的な影響力を強めていくのを見て、
一進会の指導者たちはこう考えた。
**「このままでは朝鮮はロシアの肉になる。
ならば、日本と手を結び、近代化の力を借りるほうがまだましだ」**
その判断は、当時の混乱した情勢の中では、ある意味で現実的だった。
日本が京義線の鉄道を敷くとき、一進会の会員は十数万人規模で無償労働に参加したと言われる。
また、北部から満州へ軍需品を運ぶ作業にも十万人以上が動員されたという記録も残っている。
彼らは武器を取ったわけではない。
ただ、**「ロシアに飲まれるよりは、日本と組むほうが朝鮮の未来に望みがある」**
そう信じて動いたのだ。
しかし、歴史は残酷だった。
日本は一進会が望んだ「対等な連邦」ではなく、
**併合という一方的な支配**へと進んでいく。
一進会の願いは裏切られ、彼らは「親日派」「売国奴」として後世に語られることになる。
だが、当時の彼らの胸の内を想像してみると、
そこにはもっと切実な思いがあったはずだ。
**「どちらに呑まれるかではなく、
どちらならまだ未来を描けるか」**
その選択の結果が、後に悲劇として語られることになったとしても、
彼らは彼らなりに、朝鮮の未来を守ろうとしたのだ。
歴史はいつも、勝者の視点で語られる。
だが、一進会の人々の選択には、
混乱の時代を生きた者だけが知る、
切実な“現実”があった。




