ど演歌の歴史における決定的な転換点
ど演歌というものは、誰かが発明したジャンルではなく、戦後の歌謡曲の中で徐々に形成されていった“濃厚な情念歌”の様式である。北島三郎や村田英雄のような正統演歌の歌手たちが、こぶしや張り上げといった演歌の文法を作り上げたが、彼らの作品はあくまで端正な演歌であり、後に俗に「ど演歌」と呼ばれる泥臭い情念の爆発とは異なる美学を持っていた。ど演歌が社会現象として爆発したのは、正統演歌の系譜ではなく、ぴんからトリオを中心とするボーイズ系の濃厚歌謡の側である。
一九七二年の「女のみち」の大ヒットは、ど演歌の歴史における決定的な転換点となった。この曲は四百二十万枚を超える売上を記録し、三連符の泣き節、下降する哀愁メロディ、ズンチャという伴奏、湿ったコーラス、そして庶民の情念やみじめさを真正面から歌い上げる世界観を国民的レベルにまで押し上げた。これによって、殿さまキングスや平和勝次とダークホースなど、同じような濃厚歌謡が一斉にブームとなり、ど演歌の“型”が一気に様式化された。
この様式化は、著作権の観点からも特異な現象を生んだ。演歌の旋律は民謡や浪曲などの伝統的な節回しの延長線上にあるため、似たようなメロディでも「伝統的な型」として扱われやすく、著作権侵害になりにくい。結果として、どこかで聴いたようなメロディでも新曲として成立する文化が生まれ、ど演歌は“量産可能なフォーマット”として産業化されていった。感情表現は次第に記号化し、泣き節や情念の押し出しは“本当に泣いている理由”ではなく、“泣いているように聞こえる音”として再現されるようになった。
一方で、ビートルズ以降の若い世代は、音楽に“自己表現”や“新しさ”を求める文化の中で育った。ロックやポップスは常に新しいコード進行やサウンド、価値観を更新し続けたのに対し、ど演歌は“変わらないこと”を価値とする伝統芸能的な方向へ進んだ。似たような曲が繰り返し生まれることは、若者にとって停滞に見え、ど演歌は次第に“古いもの”“陳腐なもの”として扱われるようになった。これは単なる好みの問題ではなく、音楽文化そのものの構造が大きく変わった結果である。
こうして、ど演歌は「女のみち」の大ヒットを契機に、濃厚な情念歌としての魅力を持ちながらも、同時に様式化と量産化によって若い世代から距離を置かれる存在となった。正統演歌が築いた文法の上に、ピンカラ系が情念の濃度を極限まで高めて社会現象を作り、その成功が逆にど演歌を“型の音楽”へと固定化していったのではないだろうか。




