原爆のきのこ雲
原爆のきのこ雲
さて、久留米市から大牟田へ転校したのは、二年生だったのか、それとも三年生だったのか。記憶は曖昧なままだが、ひとつだけ、はっきりと焼きついている光景がある。
松原公園で遊んでいた日のことだ。型屋が店を出し、粘土を型に押し込んでは抜く、あの素朴な遊びに夢中になっていた。手を動かしながら、ただ無心に遊んでいた、そのときだった。
ふと顔を上げると、遠くの空に白い煙が立ち上がっていた。
最初は誰も気に留めなかった。しかし、その煙はみるみるうちに膨れ上がり、異様な形をつくりはじめる。やがて空を押し上げるように広がっていくその姿は、子どもの目にもただ事ではないと映った。
そして――ボーン、と鈍い爆発音が遅れて届いた。
胸の奥に響くような重い音だった。公園の空気が一瞬で変わり、遊んでいた手が止まる。周囲の子どもたちも、皆同じ方向を見つめていた。
それが、原爆雲のようなきのこ雲だった。
あとになって、大人たちから聞いた話がある。長崎に原爆が落とされたとき、そのきのこ雲は大牟田からも見えたという。信じがたい話だったが、不思議と納得もした。あの日、自分が見た雲と重なっていたからだ。
ふたつのきのこ雲。時代を隔てて現れたそれらは、同じ方向に立ちのぼっていた。有明海の方角である。
もし、あの光景を見たのが二年生のときなら――。いや、三年生だったのかもしれない。記憶は確かではない。それでも、あの白い煙と、遅れて響いた鈍い爆発音だけは、今も消えずに残っている。
転校の時期を思い出そうとするたび、ぼくはあの空へ引き戻される。答えは出ない。だが、あの雲だけは、確かにそこにあったのだ。




