第9話 ハイリゲンローデ村へ!
【ラーグ視点】
カッセルの東門を抜け、なだらかな丘陵地帯へ続く土の街道を歩く。
秋の高く澄んだ空には、羊の群れのような白い雲がぽっかりと浮かんでいた。街道沿いでは、ススキに似た背の高い草が風に揺れ、ザワザワと心地よい音を立てている。
俺の隣を歩くのは、相変わらず白い麻のブラウス姿がまぶしいレイラと、黒い革鎧に双剣を帯びたミラだ。
ベルリンから帰還した後、俺が男爵に叙され、領地まで与えられたと知った二人は、当然のように俺についてくると言い出した。
「いやぁ、まさかアンタが本当に貴族様になっちまうとはねぇ。これからは『ラーグ男爵閣下』って呼んだ方がいいのかい?」
「やめてくれ。俺なんて、ついこの前まで泥まみれでスコップ握ってた三十七歳の土方だぞ。貴族なんてガラじゃない」
「でも、立派な領主なのは事実ですわよ。私たち傭兵にとっては、いい雇い主が見つかって助かりますわ」
ミラも楽しそうに肩をすくめる。
「雇い主って……俺の領地、カッセルから歩いて一時間ちょっとの小さな村だぞ。お前らみたいな凄腕の傭兵が護衛するような場所じゃないと思うんだが」
「まあ、細かいことは気にしないことさ。アタイらはアンタの護衛兼、ラーグ組の組員みたいなもんさ」
「組員ねぇ」
「ホントだしいいじゃない」
そんな軽口を叩きながら歩くこと、一時間と少し。
ちょっとした散歩のような距離だった。
やがて丘を越えると、眼下にこぢんまりとした集落が見えてきた。
「あれか……」
俺は思わず立ち止まった。
あれが俺の領地――ハイリゲンローデ村だ。
村の中心には、石造りの古びた教会がぽつんと建っている。その周囲を囲むように、木と土壁で造られた農家が数十軒ほど寄り添っていた。
村の脇には小川が流れ、サラサラとのどかな水音を響かせている。川沿いには大きな木製の水車が二つあり、上流と下流でゆっくりと回っていた。
「へえ、水車があるのか」
「のどかでいいところじゃない。血の匂いもしないしねぇ」
レイラが両腕を高く伸ばし、大きく伸びをする。
村の入り口まで坂を下っていくと、馬や牛、豚といった家畜の匂いと、薪を燃やす煙の香りが鼻をくすぐった。
「ようこそおいでくださいました、ラーグ男爵様! お待ちしておりましたぞ!」
村の入り口で、白髪交じりの恰幅のいい男が深々と頭を下げた。
その後ろには、大勢の村人たちが集まっている。新しい領主がどんな人間なのか、不安そうな目でこちらを見つめていた。
「俺が新しく領主になったラーグです。あんたが、この村の代表?」
「はい。名主を務めております、ハンスと申します」
ハンスさんは人懐っこい笑顔を浮かべた。
ただ、その目元には長年の苦労を思わせる深いしわが刻まれている。
村の広場へ案内されながら、俺は周囲を見回した。
荷車の車輪を修理する車大工。
カンカンと鉄を打つ鍛冶屋。
木の板を組み合わせ、桶を作っている職人。
規模こそ小さいが、村で暮らすために必要な職人は一通り揃っているらしい。
水車小屋からは、ゴトン、ゴトンと穀物を挽く重い音が絶え間なく響いていた。
「水車が二つもあるんですね」
「ええ。上の水車と下の水車で、近隣の村の穀物まで引き受けて製粉しております。我が村の大切な収入源でしてな」
ハンスさんが誇らしそうに胸を張る。
「じゃあ、結構豊かな村なんですか?」
そう尋ねた途端、ハンスさんの顔から笑みが消えた。
「それが……職人や水車はともかく、肝心の農業がどうにも厳しくてですね。領主様への税も、満足に納められるかどうか……」
「厳しい?」
「はい。このハイリゲンローデは、昔に切り拓かれた開墾村なのですが、いかんせん土地が痩せております。冬作物と夏作物、それに休耕地を回す三圃式農業でなんとかやりくりしておりますが……とにかく畑が石だらけでしてな」
ハンスさんは村の外れにある畑を指さした。
見れば、収穫を終えた黒い土の中に、無数の石がゴロゴロと転がっている。
こぶしほどの小石。
人の頭ほどもある石。
中には、地面から半分ほど顔を出した大きな岩まであった。
「毎年、種をまく前に村人総出で石を拾うのですが、畑を耕せばまた次から次へと出てきましてな。作物は育ちにくい。農具はすぐ刃こぼれする。もう、ほとほと困り果てております」
ハンスさんが情けなさそうに肩を落とす。
「ふうん……」
俺は畑に転がる石を見つめた。
「土地が石だらけで、作物が育ちにくいんですよね」
「ええ」
「その石、邪魔なんですか?」
「え?」
ハンスさんが目を瞬く。
「ええ……それはもう。できることなら全部なくなってほしいくらいでして」
「じゃあ、全部もらいます」
「…………は?」
ハンスさんが、きょとんとした。
後ろで聞いていた村人たちも顔を見合わせる。
「いや、もらうと言いましても……ただの石ころですよ?」
「いいんです。俺にとっては宝の山なんで」
俺は畑の中へ足を踏み入れた。
靴の裏で、小石がジャリッと音を立てる。
(こういう余分な石も、俺のスキルなら残土として扱えるはずだ)
頭の中で、畑の土と石を分けるイメージを強く思い描く。
「『残土』」
ズズズズズッ――!
「なっ!?」
ハンスさんが悲鳴のような声を上げた。
俺の足元から波紋が広がるように、畑に転がっていた石や岩が、次々と見えない空間へ吸い込まれていく。
それだけじゃない。
土の中に埋まっていた石まで、ゴボッ、ゴボッと地面を押しのけて姿を現し、そのまま俺の収納空間へ飛び込んでいった。
「お、おお……!」
「石が!」
「畑の石が消えていくぞ!」
村人たちが次々と声を上げる。
ほんの数秒だった。
あれほど石だらけだった畑から、大小さまざまな石が跡形もなく消えていた。
残ったのは、柔らかな黒い土だけだ。
「…………え?」
ハンスさんが口をぽかんと開けた。
「ば、化け物……」
「誰が化け物ですか」
俺は苦笑しながら手を下ろした。
「俺のスキルは、余分な土砂や石を収納できるんです。これで少しは耕しやすくなったでしょう?」
「こ、これは……」
ハンスさんは恐る恐る畑へ入り、しゃがみ込んだ。
両手で土をひとつかみする。
石の混じっていない柔らかな黒土が、指の間からサラサラとこぼれ落ちた。
「おお……」
ハンスさんの手が震える。
「おおおおおっ! なんという奇跡だ! 長年、我々を苦しめてきた憎き石が、跡形もなく消えている!」
土にまみれた手で顔を覆い、そのまま泣き出してしまった。
周囲の村人たちも畑へ駆け寄る。
「本当に石がない!」
「これなら鍬が壊れないぞ!」
「畑が耕せる!」
やがて、歓声が一斉に巻き起こった。
「やるじゃないか、ラーグ」
レイラが腕を組み、感心したようにうなずく。
「アンタのスキル、戦場よりこういう場所の方が向いてるのかもねぇ」
「だから最初から俺は土方だって言ってるだろ」
「軍隊を止める土方なんて聞いたことありませんわ」
ミラが横から冷静に突っ込んできた。
「それは俺も知らん」
俺は肩をすくめる。
そして、自分の収納空間を確認した。
(おお……)
吸い込んだ石は、大きさごとにきっちり分類されていた。
大きな岩。
中くらいの石。
小石。
これなら道路の舗装にも使える。
城壁の材料にもなる。
もっと言えば、石を取り除いた畑へ、別の場所から肥えた土を持ってきて入れることだってできる。
(待てよ……)
痩せた土地から石を取り除く。
必要なら土まで入れ替える。
邪魔だった石は建築資材として利用する。
つまり、俺のスキルなら。
(この村の土地そのものを作り替えられるんじゃないか?)
俺は思わずニヤリとした。
一見すれば、どこにでもある小さな農村。
だが俺の『残土』にとっては、これ以上ないほど面白い実験場だった。
「いやぁ、ラーグ男爵様はとんでもないお方だ」
ハンスさんが涙を拭きながら笑う。
「この分なら、いつの日か我がハイリゲンローデも、カッセルの街みたいに立派に発展するかもしれませんなぁ」
「カッセルみたいに……か」
その言葉を聞いた瞬間。
俺の頭に、カッセルの本屋で見つけた三冊の本が浮かんだ。
先日、街へ出た時に偶然見つけ、興味本位で買ったものだ。
アルブレヒト・デューラーの『都市・城・村落の築城について』。
ダニエル・シュペックリンの『要塞建築論』。
フランチェスコ・デ・マルキの『軍事建築論』。
どれも、築城や軍事要塞について詳しく書かれた専門書だった。
前世で建設業に関わっていた俺としては、この世界の建築技術が珍しくて買っただけなのだが。
(あれ……俺のスキルなら)
頭の中に、一冊の本で見た図面が浮かぶ。
高いだけの城壁ではない。
低く、分厚く。
外へ向かって鋭く張り出した角。
どの方向から敵が近づいても、別の場所から横撃できるよう計算された形。
幾何学模様のように美しい。
そして恐ろしく強固な防御施設。
星形要塞。
「…………」
俺はハイリゲンローデの村を見回した。
小さな教会。
二つの水車。
数十軒の農家。
その周囲には、まだ何もない広い土地がある。
(作れるんじゃないか?)
いや。
作れる。
俺なら、土はいくらでも出せる。
岩もある。
これからさらに集まる。
せっかく自分の領地をもらったんだ。
ただの農村のままで終わらせる理由なんてない。
(作ってやろうじゃないか)
鉄壁の防御を誇る――星形要塞を!
「よし。ハンスさん」
「は、はい!」
「早速ですが、村人総出で仕事をお願いします」
「おおっ! 何をいたしましょう!」
ハンスさんが期待に満ちた目で身を乗り出した。
「他の畑の石集めです」
「…………石集め?」
「はい」
「それだけでよろしいので?」
「まず石です」
ハンスさんが少しだけ肩を落とした。
「俺のスキルで収納するにしても、ある程度まとめておいてくれた方が楽なんですよ。もちろん、仕事を頼む以上は日当も払います」
「日当までいただけるのですか!?」
「そりゃ働いてもらうんだから当然でしょう」
村人たちが顔を見合わせた。
そして。
「やるぞ!」
「石を集めろ!」
「男爵様のためだ!」
村中が一斉に動き始めた。
◇◆◇
こうして、俺のハイリゲンローデでの最初の一日は。
村人総出による、実に平和な石拾いから幕を開けた。
「ほら、そこの小石も残さず集めるんだ!」
「男爵様! こっちの畑も集まりましたぞ!」
「よーし、じゃあもらうぞ!」
俺が手をかざす。
ズズズズズッ――!
「おおおおおーっ!」
山積みにされた石が次々と消え、村人たちが歓声を上げる。
また別の畑へ行く。
石を集める。
収納する。
また次へ。
その光景を眺めていたレイラとミラが、そろってため息をついた。
「……結局、どこへ行っても土方仕事からは逃れられないみたいだねぇ」
「まあ、ラーグ様らしいと言えば、らしいですわね」
「聞こえてるぞ」
秋の夕暮れが迫る中。
村に響いていたのは、楽しそうな笑い声と、石を積み上げるカラカラという乾いた音だけだった。
こうして始まった、俺の領地経営。
この日の平和な石拾いが。
やがて諸国を震え上がらせる巨大な要塞都市、その最初の一歩になることを。
この時は、まだ誰も知らなかった。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




