第7話 ヘッセン=カッセル方伯からの褒美
【ラーグ視点】
北方の激戦地ベルリンから、俺たちは無事に帰ってきた。
ヘッセン=カッセル方伯領。ヘッセン地方の一角を治め、カッセルを中心とする広大な領地だ。
戦争は終わった。
そして俺は、何事もなかったかのように、いつもの残土を集める仕事へ戻っていた。
「私もラーグ様のところで働きますわ!」
変わったことといえば、双剣のミラが俺の組へ加わったことくらいだろうか。
凄腕の傭兵である彼女が、なぜか土まみれになる俺のところで働きたいと言い出したのだ。もう知らない仲でもないし、ベルリンではいろいろと世話にもなった。
それに――。
(まあ、あんな夜まで一緒に過ごした仲だしな……)
思い出しただけで、妙に顔が熱くなる。
結局、俺は断り切れず、あっさりとOKを出してしまった。
「ほらほら、新入り。そっちの砂利をまとめな。モタモタしてると日が暮れるよ」
「言われなくても分かっていますわよ、金髪ゴリラ」
「誰がゴリラだい!」
「あなた以外に誰がいるんですの?」
「やるかい、黒髪チビ!」
「望むところですわ!」
「おいおい、仕事しろよ……」
レイラとミラが火花を散らしながら、現場の土砂を片付けていく。
二人とも黙っていれば絶世の美女なのに、やっていることは完全に土方仕事だ。それでも文句一つ言わず、俺のスキル『残土』のために土や石を分類してくれている。
鼻をくすぐる湿った土の匂い。
スコップが小石を弾く、カンッという乾いた音。
頬をなでる、少し冷たい秋の風。
(ああ……やっぱり平和な現場が一番だ)
俺は額の汗を手の甲で拭い、満足げに息を吐いた。
◇◆◇
いつものように残土の分類をしていると、石畳の通りから、この辺りには似つかわしくない音が響いてきた。
パカッ、パカッ、パカッ。
きれいに揃った馬のひづめの音。
そこへ、重い車輪が石畳を踏むゴロゴロという音が重なる。
「ん?」
顔を上げる。
通りの向こうから現れたのは、四頭の立派な白馬に引かれた豪華な馬車だった。
黒塗りの車体には金色の装飾がこれでもかと施され、窓枠まで磨き上げられている。泥だらけの建設現場には、どう考えても場違いだった。
しかも馬車の前後には、銀色の甲冑を身につけた騎士たちまでついている。
「おいおい……なんだありゃ」
隣でダル親方が目を丸くし、持っていたスコップを地面へ落とした。
馬車は、そのまま俺たちの現場の前で止まった。
騎士の一人が扉を開ける。
中から降りてきたのは、上質なビロードの服をまとった、神経質そうな顔つきの男だった。
どう見ても貴族か、その側近である。
男は土ぼこりを嫌うように口元を押さえながら周囲を見回し、やがて俺へ視線を止めた。
「そなたが、残土のラーグか?」
「あ、はい。俺ですが」
俺がスコップを持ったまま答えると、男はわずかに眉をひそめた。
「私はヘッセン=カッセル方伯様の使いである。先のベルリンでの戦い、見事な働きであったと耳にしている」
「は、はあ……」
嫌な予感がする。
こういう偉そうな人が現場まで直接やって来る時は、大抵ろくなことがない。
使者は顎を少し上げ、俺を見下ろした。
「その働きに対し、褒美を与えるとの仰せだ。ラーグよ、三日後に城へ参られよ」
「……ははっ」
なぜか俺は、その場へ片膝をついて頭を下げてしまった。
前世で見た時代劇の知識が、勝手に体を動かしたのだ。
(これで合ってるのか?)
分からない。
だが使者は満足そうにうなずいたので、どうやら大外れではなかったらしい。
「では、三日後にな」
それだけ告げると、男は再び馬車へ乗り込んだ。
騎士たちが馬を返す。
豪華な馬車は、来た時と同じように石畳を鳴らしながら、あっという間に遠ざかっていった。
後に残されたのは。
ぽかんと口を開けた俺と。
そして、ざわざわと騒ぎ始める作業員たちだった。
「ラーグ……お前、ついに方伯様から呼び出しかよ」
「親方、俺、なんか悪いことしたかな?」
「褒美って言ってただろうが!」
ダル親方のツッコミが、現場いっぱいに響いた。
◇◆◇
その日の夕方。
俺たちは宿舎近くの酒場で、いつものように同じテーブルを囲んでいた。
薄暗いランプの明かりが、油染みの残った木のテーブルを黄色く照らしている。
俺は硬い黒パンをスープへ浸しながら、隣に座るレイラと、向かいに座るミラへ聞いてみた。
「なあ。方伯って、どういう意味なんだ?」
正直なところ、貴族の階級なんて俺にはさっぱり分からない。
王様が一番偉い。
その下に貴族がいる。
俺の知識なんて、その程度である。
「すっごく偉い!」
レイラがエールのジョッキをドンッと置き、自信満々に答えた。
「いや、それは見りゃ分かるんだけどさ。もっとこう……具体的な順位とかあるだろ?」
「説明が雑すぎますわね」
ミラがあきれたようにため息をついた。
「そうですわね。簡単に書くなら、こんなところでしょうか」
ミラは自分のグラスへ指先を浸すと、テーブルの上へ水で文字を書いた。
『伯爵<方伯<公爵』
「あー……なるほど」
俺はその文字を見つめる。
「伯爵と公爵の間くらいなんだな」
「大ざっぱに言えば、そういう理解でもよろしくてよ」
「…………」
数秒考える。
そして気づいた。
「って、めちゃくちゃ偉いじゃねぇか!」
思わず大声を上げる。
ミラは口元へ手を添え、ケタケタと笑った。
「ええ。一国の王に匹敵するほどの力を持つ方伯もおりますわ。そんなお方から直接呼び出されるなんて、ラーグ様もずいぶん出世なさいましたね」
「出世って言われてもなぁ……」
俺は頭をかいた。
「俺、残土を片付けてただけなんだけど」
「その残土で軍隊止めたじゃないか」
「結果的にな」
「結果がすべてなのさ、戦場なんて」
レイラが豪快にエールを飲み干す。
確かに、ベルリンを守る役に立ったのは事実だ。
だからといって、俺の中身まで突然立派な英雄になったわけじゃない。
(まあ、呼ばれたなら行くしかないか)
権力者からの呼び出しを断れるはずもない。
俺は残っていた黒パンをスープごと胃へ流し込み、三日後の登城に向けて腹をくくった。
◇◆◇
三日後。
俺はダル親方から借りた、少しばかり大きめのよそ行きの服に着替え、カッセルの街にそびえる巨大な城へやって来ていた。
「でけぇ……」
思わず声が漏れる。
分厚い石造りの城壁をくぐり、案内役の後ろについて長い廊下を歩く。
床には磨き上げられた大理石。
天井からは大きなシャンデリアが下がり、壁には色鮮やかなタペストリーや歴代の貴族らしき肖像画が並んでいた。
カツン。
カツン。
俺の靴音だけが、やけに大きく響く。
(歩き方、これで合ってるのか?)
気になって歩幅を変える。
すると余計にぎこちなくなった。
(ダメだ。普通に歩こう)
やがて、俺は巨大な扉の前へ案内された。
「ラーグ殿。お入りください」
「は、はい」
扉が左右へ開く。
その向こうには、息をのむほど広い謁見の間が広がっていた。
色鮮やかなステンドグラスから差し込む光が、磨き上げられた床へ赤や青の模様を落としている。
広間の奥。
一段高くなった場所に置かれた玉座の背後には、ヘッセン=カッセル方伯家の巨大な紋章が掲げられていた。
深い青の盾。
その中央では、赤と銀の縞模様をまとった獅子が、黄金の冠を戴いて雄々しく立ち上がっている。
鋭い爪もまた黄金色。
前脚を高く掲げた姿は、まるで今にも盾から飛び出してきそうな迫力だった。
(すげぇな……)
獅子にまで見下ろされているような気がして、自然と背筋が伸びる。
「ラーグよ、頭を上げよ」
玉座の横に立つ、侍従らしき初老の男が厳かに命じた。
俺は言われた通り、ゆっくりと顔を上げる。
玉座には、豪華な毛皮をまとった初老の男が座っていた。
あれが、ヘッセン=カッセル方伯なのだろう。
鋭い鷲のような目で、こちらをじっと見つめている。
(怖ぇ……)
俺が無意識に息をのむ中、侍従が一枚の羊皮紙を広げた。
そして、広間いっぱいに響く声で読み上げる。
「ラーグよ。そなたのベルリンにおける働き、誠に見事であった」
「はっ」
「よって――」
侍従が一拍置いた。
「そなたを男爵に叙する」
「…………は?」
俺の口から、間抜けな声が漏れた。
「さらに、ハイリゲンローデを所領として与える」
「…………村?」
「村だ」
「俺に?」
「そなたにである」
「…………」
俺は固まった。
無理もない。
三十七歳まで、ただの土方として生きてきた。
それが突然。
貴族になります。
村もあげます。
そう言われて、すぐ理解できる人間がいるなら会ってみたい。
(いやいやいやいや)
頭が追いつかない。
俺は恐る恐る玉座へ視線を向けた。
ヘッセン=カッセル方伯は、口を固く結んだまま俺を見下ろしている。
(まあ、俺は平民だもんな。直接口をきくような身分じゃ――)
「と、いうわけだ」
「しゃべった!?」
思わず顔を上げてしまった。
方伯本人だった。
低く、腹の底まで響くような声だ。
方伯は俺の反応がおかしかったのか、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「これまでは平民ゆえ、公式の場で直接言葉を交わすわけにもいかなかった。だが、貴族となれば話は別だ」
方伯がゆっくりと立ち上がる。
「ラーグ・フォン・ハイリゲンローデ男爵よ」
「は、はい!」
「励むがよいぞ」
「は、ははっ!」
俺は慌てて平伏した。
方伯は満足そうにうなずく。
「ハイリゲンローデは、このカッセルから東へ四キロほどの場所にある。教会を中心とした、小さくとも古い村だ」
「はあ」
「水車もあるぞ」
(水車)
その一言に、俺は少し安心した。
(なんだ。普通の村か)
てっきり国境の最前線だとか、魔物がうようよいる荒野だとか、そういう危険地帯を押しつけられるのかと思っていた。
教会がある。
水車がある。
カッセルからも近い。
(それなら……俺でもなんとかなるか?)
いや。
そもそも、断れる話ではないのだろう。
俺はもう一度、深く頭を下げた。
「謹んで、お受けいたします」
冷たい大理石の床を見つめながら、俺は自分の人生が、またしてもとんでもない方向へ転がり始めたのを感じていた。
ただ残土を片付けていただけの俺が。
ドラゴンを倒し。
組を作り。
ベルリンを守り。
そして今日。
ラーグ・フォン・ハイリゲンローデ男爵になってしまったらしい。
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