第37話 レイラとミラ
【レイラ視点】
ラーグが結婚した。
相手は神聖ローマ帝国皇帝フェルディナント二世陛下の長女、オーストリア大公女クリスティーネ様。
とんでもない話だと思う。
ついこの前までスコップを担いで土を掘っていた三十七歳のおっさんが、男爵になって、伯爵になって、とうとう帝国諸侯にまで列して。
気がつけば、皇帝の娘を嫁にもらっている。
「ラーグ、嬉しそうですわね」
「そうだねぇ……」
隣に立つミラが、遠くを見ながらぽつりと言った。
結婚式を終えたラーグは、慣れない立派な服に身を包みながら、クリスティーネ様と並んでいる。
どうにも落ち着かないらしく、さっきから何度も襟元を気にしていた。
それでも。
悪い顔じゃない。
クリスティーネ様も綺麗な人だった。
皇帝の娘だっていうから、もっと近寄りがたいお姫様を想像していたんだけどねぇ。
ところが実際に話してみれば、意外なくらい気さくで、ラーグが泥まみれになって働いている姿を見ても嫌そうな顔一つしない。
むしろ面白がっているくらいだ。
(お似合い……なんだろうねぇ)
そう思ったら、胸の奥が少しだけチクリとした。
◇◆◇
その夜。
ラーグとクリスティーネ様、それにアタイとミラの四人で話をした。
別に怒鳴り合ったわけでもない。
泣いたわけでもない。
クリスティーネ様は、アタイたちがラーグと一緒に戦ってきたことを知っていた。
ベルリン。
カッセル。
フランケンタール。
ドラゴンまで一緒に倒した。
だから、傭兵としてラーグの護衛を続けることも、友人として付き合っていくことも認めてもらえた。
ただし。
当然と言えば、当然なんだけど。
男と女としての付き合いは、そこで終わりになった。
◇◆◇
翌朝。
なぜかアタイたちは、ラーグ、クリスティーネ様、ミラと一緒に四人で朝食のテーブルを囲んでいた。
皇帝陛下が用意した豪華な食事だ。
白い皿。
香ばしく焼かれた肉。
果物。
焼きたてのパン。
本当なら、どれも極上の味なんだろう。
けれど。
(なんだか、このパン固いねぇ……)
口の中でモソモソする。
実際には柔らかいはずなのに、妙に喉を通りにくかった。
隣を見る。
ミラもいつもの上品な微笑みを浮かべている。
だけど、紅茶のカップを持ったまま、どこを見るでもなく宙へ視線をさまよわせていた。
「……ねぇ、ミラ」
「なんですの?」
「アンタ、後悔してないかい?」
ミラがこちらを見る。
「何のことですの?」
「とぼけなさんな」
アタイは声を落とした。
「ベルリンの夜さ。あのおっさんの初めてを、アタイらで盛大に奪っちまった時のことだよ」
ミラが一瞬だけ目を丸くした。
それから、静かに紅茶のカップを置く。
「後悔などしていませんわ」
その答えは早かった。
「私たち、もう十分仲良くなったと思っていましたもの」
「そうだねぇ」
アタイも苦笑する。
「一緒にドラゴンを倒して、ベルリンまで行って、戦争も乗り越えたんだから」
あの時、アタイは迷わなかった。
冒険者や傭兵なんて、いつ死ぬか分からない。
明日も生きている保証なんかない。
だから、こういう時は迷わない。
それがアタイのやり方だ。
それに。
ラーグは、自分から敵へ斬り込んでいけるような男じゃない。
剣の腕だって大したことはない。
だけど。
誰かを守るためなら、あのおっさんは平気で危ない場所へ出ていく。
だからアタイは、ラーグの背中を守ってやろうと決めた。
まさか、そのラーグが。
皇帝陛下の娘を正妻に迎えることになるなんてねぇ。
「人生、分からないもんだね」
「まったくですわ」
ミラが小さく笑った。
クリスティーネ様は今年で二十一歳。
ラーグは三十九歳。
十八歳差。
ラーグ本人は最初、犯罪だの何だの騒いでいたらしいけど、王侯貴族の政略結婚なら、そこまで珍しい話でもないらしい。
「まあ、クリスティーネ様は悪い人じゃなさそうだしね」
「ええ」
「泥だらけで働いてるラーグを見て、引くどころか面白がってたらしいじゃないか」
「普通の貴族の姫君とは、少し違う方のようですわね」
そう言ったミラが、ほんの少しだけ目を伏せた。
「でも……」
「ん?」
「女としてのお付き合いが終わってしまったのは、やっぱり少し寂しいですわ」
アタイは思わず笑った。
「アンタも素直だねぇ」
「レイラだって同じでしょう?」
「まあね」
今度は誤魔化さなかった。
寂しくないと言えば嘘になる。
だけど。
ラーグはこれからも、自分の組で働くだろう。
残土を集めて。
道を造って。
城壁を直して。
侯爵になったって、きっと泥まみれになる。
そしてアタイたちは、その横で剣を振るう。
それでいい。
男女の関係が終わったからって、今まで一緒に過ごしてきた時間まで消えるわけじゃない。
「さて」
アタイは残っていたパンを口へ放り込んだ。
さっきまで固く感じていたパンが、今度は少しだけ柔らかく感じた。
「今日からまた仕事だねぇ」
「ええ。護衛という名の、ラーグ様のお守りですわ」
「違いない」
アタイたちは顔を見合わせて笑った。
◇◆◇
【ラーグ視点】
「おいおい! そっちの型枠、もっとしっかり固定しろ! コンクリが漏れるぞ!」
「へい、組合長!」
フランケンタールの街に、俺の怒鳴り声が響いた。
皇帝陛下からフランケンタール伯にされ。
さらに帝国諸侯へ引き上げられ、ラーグ侯などという大層な立場にまでなってしまった。
だが。
俺の仕事は変わらない。
灰色の泥を型枠へ流し込み、石のように固める『コンクリート』。
それを使って、工事を進めていく。復興は終わっていた。今は、街の拡張なんかもやっている。
こっちの方が、よほど俺には似合っている。
「旦那様、とても楽しそうですわね」
「うおっ!?」
背後から聞こえた声に振り返る。
クリスティーネが立っていた。
春の日差しを受けた豪華なドレス姿のまま、土ぼこりの舞う工事現場を興味深そうに眺めている。
「ク、クリスティーネ! こんなところに来ちゃ駄目だろ! 服が汚れるぞ!」
「構いませんわ」
「構うだろ!?」
「私は構いません」
きっぱりと言われた。
「あなたが何をしているのか、自分の目で見てみたいのですから」
クリスティーネはふふっと笑い、ドレスの裾を少し持ち上げながらこちらへ歩いてくる。
変わったお姫様だ。
ウィーンの宮廷にいるような貴族なら、泥の跳ねる工事現場なんて近づきたくもないだろう。
なのに彼女は、嫌そうな顔一つしない。
むしろ、変化を続けるフランケンタールを、嬉しそうに眺めていた。
「本当に、不思議な方」
「何が?」
「ただの土方だとおっしゃるのに、街そのものを造り変えてしまうのですもの」
「俺はただの元建設作業員だよ」
俺は泥のついた手を見ながら苦笑した。
「仕事の邪魔になるものを片付けて、壊れたところを直してるだけだ」
その時。
「相変わらず、泥臭い侯爵様だねぇ」
「侯爵になられても、やっていることは土方仕事ですのね」
聞き慣れた声が飛んできた。
白い麻のブラウス姿のレイラ。
黒い革鎧を身につけ、腰に双剣を下げたミラ。
二人が並んで歩いてくる。
今日からまた、俺の護衛として現場へ戻ってきてくれた。
「レイラ。ミラ……」
俺は少しだけ視線をそらした。
昨夜の話し合いを思い出す。
俺。
クリスティーネ。
レイラ。
ミラ。
四人で話し合って決めた。
レイラとミラは、これからも俺の傭兵として働いてくれる。
友達としても、今まで通りだ。
ただ。
男女としての関係は、終わりにした。
二人は俺にとって、大切な仲間だ。
俺の人生で初めて女性との付き合いというものを教えてくれた人たちでもある。
ベルリンでも。
カッセルでも。
フランケンタールでも。
何度も命を預け合った。
だからこそ。
どういう顔をすればいいのか、まだ少し分からない。
「いてぇ!」
突然、背中をバシッと叩かれた。
「何しんき臭い顔してんだい」
レイラがニヤリと笑っていた。
「アタイらは『ラーグ組』の組員だろ? これからもアンタの背中は、アタイが守ってやるからさ」
「私もおりますわ」
ミラもいつもの微笑みを浮かべる。
「ラーグ様の便利なスキルのそばにいれば、退屈しそうにありませんもの。長生きもできそうですしね。これからもよろしくお願いいたしますわ」
二人とも笑っている。
本当に何とも思っていないのか。
少しくらい無理をしているのか。
俺には分からない。
だから。
余計なことは言わないことにした。
「……ああ。これからも頼む。レイラ、ミラ」
「任せな」
「お任せくださいませ」
俺が頭を下げると、隣にいたクリスティーネも嬉しそうに微笑んだ。
「心強いお仲間ですわね、旦那様」
「ああ」
「私も、この『ラーグ組』の活躍を一番近くで見せていただきますわ」
三十九歳にして、皇帝陛下の娘と十八歳差の結婚。
そして、その横には昔から一緒に戦ってきた二人の傭兵。
(俺の人生、急にいろいろ起こりすぎじゃないか?)
平民の建設作業員だった頃には、想像もしなかった。
だけど。
不思議と、悪い気はしない。
「よし!」
俺はパンッと両手を叩いた。
「休憩終わり! コンクリの打設を再開するぞ!」
「へい、組合長!」
職人たちの威勢のいい声が、一斉に返ってくる。
春風が、まだ新しい灰色の壁の間を吹き抜けていった。
侯爵になっても。
結婚しても。
俺がやることは、たぶん変わらない。
土を動かして。
街を造る。
そんな俺たちの新しい生活が、フランケンタールの青空の下で始まった。
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