第34話 石炭炭鉱視察~ついでに、残土も回収する~
【ラーグ視点】
聖暦一六二二年、春。
俺を乗せた馬車は、新緑の匂いを運ぶ春風を切るようにして、フランケンタールから西へと向かっていた。
車輪が石畳から土の街道へと移り、ゴトゴトという重い振動が直接体へ伝わってくる。窓から吹き込む風には、冬の終わりを告げる柔らかな暖かさと、青々とした若葉の香りが混じっていた。
向かう先は、ザール地方である。
以前、ドイツ商人のハインリヒ・ケラーから、ザンクト・イングベルトやズルツバッハの辺りで石炭を掘っていると聞いた場所だ。
フランケンタールを灰色に染め上げつつある、我が愛しのコンクリート。その材料を高温で焼き上げるためには、薪だけではなく、石炭の強い火力がどうしても必要になる。
俺は揺れる馬車の中で、先日フランケンタールの本屋で買ったばかりの、アグリコラ著『デ・レ・メタリカ』のページを熱心にめくっていた。
鉱山や坑道、排水設備、鉱石運搬について、図解入りで詳しく書かれた技術書だ。
俺にとっては、たまらない一冊である。
「ねぇ、ラーグ。伯爵様がわざわざ炭坑なんて泥臭い場所へ行く必要があるのかい?」
向かいの席から、呆れたような声が飛んできた。
白い麻のブラウスを着た、蜂蜜色の長い金髪を持つ女剣士、レイラだ。その隣では、黒い革鎧に双剣を帯びたミラが、馬車の揺れに合わせて優雅に水筒の紅茶を傾けている。
「仕方ないじゃありませんか。ラーグ様は、本で見た坑道の図面にすっかり夢中なのですから」
「視察だよ、視察。コンクリートを焼くための大事な燃料なんだから、現場を見ておかないと」
俺が本から顔を上げずに答えると、二人はそろって深いため息をついた。
「それに、この本によれば坑道には湧き水やら何やら、色々と厄介な問題があるらしい。建設作業員としては、そういう現場の苦労を見て見ぬふりはできないだろ」
「伯爵になっても、アンタの頭の中は土と石のことばっかりだねぇ」
褒め言葉として受け取っておこう。
◇◆◇
やがて馬車は、丘陵地帯を切り開いた小さな炭坑の村へと到着した。
馬車を降りた途端、湿った土と石炭の粉が混じった独特な匂いが鼻を突く。周囲の地面は黒く汚れ、あちこちには木材を組み合わせた簡素な巻き上げ機が立っていた。
「おお、ラーグ伯爵閣下! よくぞお越しくださいました!」
ケラーの紹介で俺たちを出迎えたのは、顔中を煤で真っ黒にした炭坑の親方だった。
分厚い胸板と太い腕。長年、地下で石炭を掘り続けてきたのだろう。カッセルにいるダル親方にも負けないほどの貫禄がある。
案内されて坑道の入り口へ向かうと、男たちがつるはしを振るう音が、地下の奥深くから響いてきた。
カンッ、カンッ。
乾いた金属音に混じって、ズリズリと重い岩を引きずるような音も聞こえる。
「親方、調子はどうだ? 石炭は順調に掘れてるか?」
俺が尋ねると、親方は困ったように顔をしかめ、太い指で頭をかいた。
「石炭の層はぶ厚いんですがね。掘り進めるにつれて、どうしても『ズリ』が出ちまうんでさぁ」
「ズリ?」
「ええ。石炭じゃない、ただの岩や土くれのことです。こいつを狭い坑道から運び出すのに、人手も時間も取られちまって。肝心の石炭を掘る時間が、どんどん削られちまうんで」
親方の言葉に、俺の土方としての血が騒いだ。
前世の建設現場でも、トンネル工事や地下掘削で厄介なのは、掘り出した余分な土砂の処理だった。
限られた空間で、残土をどうさばくか。
それだけで、工事の速度は大きく変わる。
「なるほど。そのズリってのは、要するに邪魔な残土のことだな」
俺は腕まくりをした。
「よし。俺がちょっと手伝ってやる」
◇◆◇
「伯爵様が手伝う!? いやいや、そんな泥だらけの穴倉に貴族様を入れるわけには……!」
親方が慌てて止めるのも聞かず、俺は松明を受け取って薄暗い坑道へ足を踏み入れた。
ひんやりとした空気が肌をなでる。
地下深くへ進むにつれて外の光は遠ざかり、松明の炎だけが岩肌を赤く照らしていた。足元では泥が靴へまとわりつき、壁から染み出した地下水がポタリ、ポタリと落ちている。
しばらく進むと、坑道の隅に掘り出された岩や土砂が、邪魔な山となっていくつも積まれていた。
なるほど。
これでは作業する場所も狭いし、石炭を運び出すだけでも一苦労だ。
俺は使い慣れたスコップを片手に、土砂の山へ向き直った。
「さあて、片付けるか」
山積みのズリへ手をかざす。俺の持つ不思議な力。スキル『残土』を発動させた。
「『残土』」
ズズズズズッ――!
「な、なんだあっ!?」
案内してきた親方と坑夫たちが、悲鳴のような声を上げた。
坑道を塞いでいた大量の岩や不要な土砂が、次々と俺の見えない収納空間へ吸い込まれていく。
ゴボッ、ゴボッ。
地面に転がっていた小さな石ころから、大人が抱えるほどの巨大な岩まで。
邪魔なものが、次々と消えていった。
「ついでに、足元の泥水ももらうぞ」
さらに手を向けると、坑道の底にたまっていた泥水まで、ズルズルと吸い込まれていく。
ほんの数秒だった。
あれほど狭苦しく、ぬかるんでいた坑道が、すっきりと開けた空間へ生まれ変わっていた。
「ば、化け物……いや、奇跡だ……!」
親方が煤だらけの顔を引きつらせ、松明を持ったままその場へへたり込んだ。
「いや、ただの残土回収だよ」
俺は軽く肩をすくめた。
吸い込んだ土砂は、俺の収納空間の中できっちり分類されている。
大きな岩。
中くらいの石。
砂利。
そして土。
これらは別の現場へ持っていけば、コンクリートの骨材や道路の舗装に使える立派な建築資材だ。
(おまけに、石炭のクズまで一緒に回収できた。こりゃいい燃料になるぞ)
俺としては、無料で良質な資材を大量に仕入れたようなものである。
自身の能力を管理する記録――前世風に言うなら、『スキル残土』という名前のファイルみたいなものを頭の中で確認する。
まだまだ余裕はある。
(これなら、どれだけ掘っても問題なさそうだな)
◇◆◇
「伯爵閣下! あ、あんたは神様ですか!?」
「邪魔な岩が消えちまった! これなら今の倍……いや、三倍は早く石炭が掘れますぞ!」
坑夫たちが次々と俺の足元へひれ伏し始めた。
「だから俺は、ただの土方だって言ってるだろ。仕事の邪魔になるゴミを片付けただけだ」
俺が苦笑いしながら坑道を出ると、外の新鮮な春の空気が肺いっぱいに入り込んできた。
まぶしい。
暗い地下に長くいたせいか、青空がやけに鮮やかに見えた。
入り口で待っていたレイラとミラが、呆れたような視線をこちらへ向ける。
「……またやったねぇ、ラーグ」
「わざわざ他人の領地の炭坑まで来て、泥まみれで土方仕事をする伯爵なんて、世界中を探してもラーグ様くらいですわよ」
「いいじゃないか。向こうは石炭が掘りやすくなって助かる。俺はコンクリートの材料になる石や砂利がタダで手に入って助かる。誰も損をしない、完璧な取引だろ?」
俺は泥のついた両手を広げた。親方たちは石炭をたくさん掘れる。俺は燃料と建築資材を手に入れられる。
なるほど。
どう考えても、得しかない。
俺は春の青空を見上げながら、大いに満足して笑った。
これで燃料の確保はより確実になり、フランケンタールの復興工事もさらに加速するだろう。
石炭を発見して一儲け――なんて異世界転生のお約束にはならなかった。
すでに掘っている人がいるなら、その人たちがもっと楽に掘れるようにすればいい。
それが土方の仕事ってものだ。
俺のスキル『残土』は、思いがけないところでまた一つ、産業の発展に役立ってしまったらしい。
「さて。次の炭坑も見に行くか」
「まだ行くのかい!?」
「当然だろ。残土が待ってるんだから」
「……ラーグ様。完全に目的が逆転してませんこと?」
聞こえないふりをして、俺は再び馬車へ乗り込んだ。
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