第32話 スウェーデン王の評価
【スウェーデン王 グスタフ・アドルフ視点】
聖暦一六二二年、一月。
スウェーデンの首都、ストックホルム。
凍てつく冬の風が王宮の窓をガタガタと揺らしていた。分厚い石壁に囲まれた執務室では暖炉の薪がパチパチと爆ぜているが、それでも窓辺から忍び込む冷気までは追い払えない。
私はそんな寒さにも構わず、机いっぱいに広げられた一枚の地図を睨みつけていた。描かれているのは、バルト海東岸の都市、ミタウ周辺の地形図である。
前年のリヴォニア戦役でリガを陥落させ、我々スウェーデン軍は確かな手応えを得た。だが、ポーランド=リトアニア共和国との戦争は、まだ終わっていない。
反撃に出た敵将クシシュトフ・ラジヴィウによってミタウの市街は奪回され、城に籠もる我が守備隊は包囲されている。
「救援に向かうとして、城を救うための陣地構築には何日必要だ?」
私は地図から顔を上げず、傍らに立つ参謀へ尋ねた。
「冬の間に後手を踏みました。春から救援軍を整えたとしても、敵の騎兵を警戒しつつ陣地を構築するとなれば、数週間は必要でしょう」
「だろうな。大砲を運び込み、土塁を築くには時間がかかる」
私は顎を撫でながら、ミタウへ続く道を指先でなぞった。
大砲は強い。
だが、重い。
一門運ぶだけでも馬と人員が必要になり、ぬかるんだ道では進軍速度そのものが落ちる。その砲兵を守るためには歩兵が必要であり、敵騎兵の突撃を防ぐなら、さらに土塁や柵を築かなければならない。
砲兵の運用と野戦築城。
それこそが、これからの戦場を支配する鍵となる。
私はそう確信し、実戦の中で軍制改革を進めている最中であった。
その時。
ドンドンッ。
重厚な扉を叩く音が、静かな執務室へ響いた。
「入れ」
扉が開き、近侍が姿を見せる。
「陛下。ブランデンブルクより、使者が参りました。王妃様の実家である選帝侯殿からの新年の挨拶にございます」
「ブランデンブルクから?」
私の妻、マリア・エレオノーラの実家である。
今、この時期にわざわざ知らせを送ってくるとは何事だろう。
「通せ」
「はっ」
ほどなくして、一人の使者が執務室へ入ってきた。冬の長旅をしてきたのだろう。厚い外套にはまだ白い雪が残り、革靴には乾いた泥がこびりついている。
使者は私の前まで進むと恭しく一礼し、一枚の書状を差し出した。
「実は、奇妙な報告が届いております。先だってのベルリン防衛戦において、デンマーク軍を撤退に追い込んだ立役者についての詳細です」
「ほう」
私は書状を受け取りながら眉を上げた。
「堅牢な包囲を敷いていたデンマーク軍が、なぜ急に引いたのか気になってはいたが。どんな名将が指揮を執っていたのだ?」
「それが……軍人ではございません」
「何?」
「当時三十七歳の建設作業員だそうです」
「……何?」
聞き間違えたかと思った。
将軍ではない。
傭兵隊長でもない。
建設作業員?
「ラーグと名乗るその男は、一人で何千人もの工兵が必要な土塁を築き、デンマーク軍の攻城兵器をことごとく無力化したとのことです」
「一人で土塁を? 馬鹿な。魔法でも使ったというのか。優秀な魔法使いは希少だぞ?」
「なんでも『残土』という奇妙な力を持つとか」
「残土?」
「はい。工事などで出る余分な土を自在に操る力だと聞いております」
私は思わず書状から顔を上げた。
何だ、それは。
名前だけ聞けば、戦場とはまるで縁のない力ではないか。
使者はさらに続けた。
「ベルリンでは崩れた市壁へ大量の土をかぶせ、投石器の攻撃を防ぎました。さらに堀や土塁を瞬く間に築き、デンマーク軍の攻撃を阻んだとのことです」
「…………」
「その後も戦場で功績を重ね、ウィーンからの最新の報せによれば、現在は皇帝フェルディナント二世に仕え、伯爵となっております」
今度こそ、私は言葉を失った。
神聖ローマ皇帝が。
平民の建設作業員を。
伯爵に取り立てただと?
「それほどの男なのか」
「それだけではございません」
使者の声がわずかに低くなった。
「そのラーグ伯爵は先日、皇帝陛下の御前で、何もない雪原に一瞬にして巨大な堀と星形の稜堡を形成したそうです。砲台まで、瞬く間に築いてみせたとか」
「……一瞬?」
「はい」
暖炉の薪が、パチンッと大きく爆ぜた。
執務室に沈黙が落ちる。
参謀も使者も、私の顔色をうかがっている。
だが。
私の心の奥底で、とてつもない熱が弾けていた。
(なんという男だ……!)
軍事の常識が、根本から覆る。
何百、何千という兵士が何日もかけて行う築城作業。それを、たった一人で、しかも一瞬で終わらせる男がいるというのだ。
もし、このラーグという男が守る城を攻めることになればどうなる?
城壁を大砲で砕く。
その瞬間、土で塞がれる。
堀を埋める。
新しい堀を作られる。
包囲陣を築く。
その目の前へ、さらに新しい要塞を作られる。
私は頭の中で何度も攻城戦を組み立てた。
そして、どの作戦でも最後は同じ結論へたどり着いた。
「……要塞戦では、勝てないな」
無意識のうちに、声が漏れた。
土木と築城において、その男は間違いなく常軌を逸した異常者だ。
まともに城の攻防で挑めば、いかなる大軍であろうと泥沼に沈む。
だが――。
戦争は、城郭の攻防だけで決まるものではない。
私は机の上の地図を両手で強く押さえた。
羊皮紙の表面が指の下でわずかにきしむ。
(ならば、野戦と機動戦ならどうだ?)
分厚い土塁へ籠もる暇を与えない速度。
戦場を駆け回り、敵の陣形を崩す砲兵の機動力。
歩兵、騎兵、砲兵。
それぞれが別々に戦うのではない。互いを補い、敵が守りを固めるより先に動き、撃ち、崩す。
彼の男が圧倒的な防御力を持つというのなら、こちらはそれを上回る速さと火力で戦場を支配する軍隊を創り上げればいい。
気づけば、口元に笑みが浮かんでいた。
「面白い……。実に面白い男がいたものだ」
使者が目を丸くする。
私は構わず、遠く離れた神聖ローマ帝国の空へ思いを馳せた。
ラーグ。
土を操る、奇妙な伯爵。
まだ顔も知らない。
声も知らない。
だが、この男と私の目指す軍隊が、いつの日か同じ平原で向かい合ったなら。
果たして、どちらが勝つのか。
「ラーグ伯爵……」
私はその名を、舌の上で確かめるように呟いた。
そして。
ふと、我に返った。
「……土方?」
「はい。元は建設作業員だったとのことです」
「…………」
少しだけ考える。
まあいい。
軍事と土木は、切っても切り離せない。
城を築くのも道を造るのも、兵を進ませるのも川を渡らせるのも、最後には土木へ行き着く。
そういう英傑が出るのも、時代ということなのだろう。
「ところで、陛下」
使者がもう一つ、布に包まれた品を机へ置いた。
「こちらも、ブランデンブルクより送られております」
「何だ?」
「ラーグ伯爵が記した要塞についての書物、その写しにございます」
私は布をほどいた。
表紙に記されていた題名を見て、思わず目を細める。
『ラーグ式要塞理論』
「……ほう」
椅子へ深く腰を下ろし、最初の頁を開いた。
暖炉では薪が赤く燃え、窓の向こうでは雪が静かに降り始めている。
ミタウの地図は、いつの間にか机の隅へ押しやられていた。
私は時間を忘れ、その奇妙な土方伯爵の本を読み始めるのであった。
――後世の軍事史家は、グスタフ・アドルフの軍制改革について、さまざまな要因を挙げている。
だが近年では、その思想形成に『ラーグ式要塞理論』が与えた影響も、決して無視できないものだったと考えられている。
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