第31話 実演
【皇帝フェルディナント二世視点】
聖暦一六二二年、一月。
新年拝賀の翌日。
私はホーフブルク宮殿の一室へ、ラーグ・フォン・ハイリゲンローデ伯爵を再び呼び出していた。
窓の外では、冬のウィーンを灰色の雲が覆っている。庭園には昨夜の雪が白く残り、冷たい風が窓ガラスをかすかに鳴らしていた。
私の横には、帝国の屋台骨を支える重臣たちが控えている。
皇帝の最側近として秘密参議会を取り仕切る、ヨハン・ウルリヒ・フォン・エッゲンベルク。
軍事や外交の重要任務を担う秘密顧問、カール・フォン・ハラッハ。
そして帝国宮廷法院の重鎮、ペーター・ハインリヒ・フォン・シュトラーレンドルフ。
いずれも、私が長く信頼してきた帝国の頭脳とも呼ぶべき男たちだ。
その三人の前に、ラーグ伯爵は立っていた。
昨日の元日の謁見で、私はこの男へ『コンクリート』なる建築技術を帝国へ伝えるよう命じた。
灰色の泥を型へ流し込み、やがて岩のように固めてしまうという。
それだけでも十分に興味深い。
だが、私が見たいものは他にもあった。
フランケンタールの高い城壁へ巨大な土の坂を築き、要塞そのものを力ずくで無意味にしたという、とてつもない土木技術。
そして、かつてこの男自身が私へ献上した『ラーグ式要塞理論』。
本を読むだけでは足りない。
どうしても、この目で見てみたくなったのだ。
「ラーグよ。余は本で読むだけではつまらぬ。実際に要塞を築くところを見せよ」
「……今、ここでですか?」
ラーグ伯爵は、数度まばたきをした。
実に分かりやすい男である。
顔には『また仕事が増えた』とでも書いてありそうだった。
すると、私の傍らに立っていたエッゲンベルクが淡々と告げる。
「陛下がお望みだ」
「ですよねぇ……」
ラーグ伯爵の肩が、目に見えて落ちた。
私は笑いをこらえた
(遠慮のない、面白い男よ)
「安心せよ。宮殿の庭を要塞にせよとは申しておらぬ」
「それを聞いて安心しました」
「郊外に演習地がある。そこでやれ」
「結局やるんですね……」
横でハラッハが小さくせきをした。
笑いをこらえているらしい。
◇◆◇
ほどなくして、私たちは近衛兵を伴い、ウィーン郊外の演習地へ移動した。
見渡す限りの冬枯れた平野。
薄く積もった雪が足元でザクザクと鳴り、吐く息が白い。北から吹きつける風は刺すように冷たく、厚い外套を着ていても頬が痛むほどだった。
「陛下。本当にここへ要塞を?」
「うむ」
シュトラーレンドルフが、何もない平原を眺める。
「何日ほど、ご滞在の予定ですかな」
「ラーグ。何日かかる?」
「え?」
呼ばれたラーグ伯爵が振り返った。
「いや、別に何日もかかりませんよ」
「……ほう」
エッゲンベルクの眉が、ほんのわずかに動いた。
私はますます楽しくなった。
「ならば、やってみせよ」
「ははっ。では皆さん、少し下がっていてください」
ラーグ伯爵が一人、雪原へ歩き出した。
いつものスコップを肩へ担いでいる。
伯爵の礼服よりも、あの使い込まれた道具の方がよほど似合っていた。
やがて足を止める。
何もない大地へ片手を向けた。
「まずは堀からですね」
軽い調子だった。
そして。
「『残土』」
ズゴゴゴゴゴッ!
「なっ!?」
大地が鳴動した。
足元まで震え、雪がパラパラと跳ねる。
ほんの一瞬前まで平らだった地面から、大量の土砂が消えていった。
地面そのものを巨大な何かがえぐり取ったように、深い溝が一気に伸びていく。
「これは……」
ハラッハが息をのんだ。
何百、何千という工兵を動員し、何日もかけて掘らせるような堀。
それが、わずかな時間で出来上がってしまった。
だが、ラーグ伯爵の作業は終わらない。
「掘った土は、こっちへ回します」
再び片手を振る。
ズズズズズッ――。
今度は何もない空間から、膨大な土砂が吐き出された。
土が積み重なる。
さらに積み重なる。
人の背丈を越え、馬の背を越え、やがて分厚い土塁となって演習地へ伸びていった。
しかも、ただ土を山にしているわけではない。
外へ鋭く突き出した角。
互いの死角を補う配置。
砲兵が敵を側面から撃てるよう、計算された形。
上空から見れば、星のような形になるのであろう。
私がかつて本で読んだ、ラーグ式星形要塞そのものだった。
「……なんという」
シュトラーレンドルフが声を失っている。
続いて、ラーグ伯爵が岩や石材を次々と取り出した。
ゴロゴロと重い音を立て、大きな石が土塁の要所へ積まれていく。
砲台だ。
敵へ大砲を向けるための場所まで、瞬く間に形になっていった。
作業開始から、まだそれほど時間は経っていない。
だというのに。
何もなかった雪原の真ん中へ、一つの小要塞が出現していた。
「こんなもんですかね」
ラーグ伯爵が額の汗を腕で拭った。
「あとは、お好みでコンクリートを使って補強してください。後で親方の一人をよこします」
「はっはっはっはっ!」
私は、たまらず声を上げて笑った。
「傑作だ!」
雪原に私の笑い声が響く。
「本で読んだ通り! いや、それ以上ではないか! あの星形要塞が、これほど短い時間で組み上がるとは!」
自ら新しい要塞の理論を考え。
それを帝国へ広め。
今度は土の坂を築いて、その要塞すら攻め落とす。
そして今、何もない平原へ新たな要塞を生み出してみせた。
実に面白い。
やはりこの男は、私の期待を裏切らぬ。
だが。
「…………」
ふと横を見る。
エッゲンベルクたちは、誰一人として笑っていなかった。
三人とも、完成した要塞をじっと見つめている。
先ほどまで白かったハラッハの息が、やけにゆっくりと吐き出された。
「……信じられませぬ」
老練な男が、低い声で呟く。
「あれほどの星形稜堡と砲台を、これほど短時間で……。陛下、これは軍事の常識そのものを覆しますぞ」
ハラッハの目は、もはや驚いているだけではなかった。
戦場を知る者の目だった。
「あの男がいれば、平原に陣を敷いた軍ですら、短時間で堅固な防御陣地を得られる。進軍路を塞ぐことも、渡河点を守ることもできましょう」
「それだけではありますまい」
今度はシュトラーレンドルフが口を開いた。
「この力が帝国内の諸侯へ広まれば、軍事均衡そのものが変わります。小国であろうと、あの男一人を得れば、大軍へ対抗できる要塞を短時間で築けるとなれば……」
そこで言葉を切る。
冷たい風が吹き抜け、外套の裾を大きく揺らした。
「政治の道具としても、危険すぎます」
「なるほどな」
私はうなずいた。
そして最後まで黙っていたエッゲンベルクを見る。
彼はいつものように表情をほとんど変えず、要塞の上で呑気にスコップを肩へ担いでいるラーグ伯爵を見つめていた。
「……陛下」
「なんだ、エッゲンベルク」
「この男、本当に土方なのですか」
私は思わず吹き出した。
「いかにも! 泥まみれの土方から、我が帝国の伯爵となった男よ!」
エッゲンベルクは笑わなかった。
しばらくラーグ伯爵を眺めたあと、低い声で続ける。
「陛下」
「うむ」
「この男を、敵へ回してはなりませぬな」
一瞬。
雪原から、笑い声が消えた。
実に重い一言だった。
そして、これほど的を射た言葉もあるまい。
「うむ」
私は深くうなずく。
「だからこそ、我が帝国で厚遇するのだ」
爵位を与え。
領地を与え。
名誉を与える。
あの男自身が望んでいるかどうかは別として、帝国にとって手放してよい人物ではない。
私は完成した要塞を見上げ、再び笑った。
◇◆◇
実演を終えたあと、私はラーグ伯爵を呼び寄せた。
「見事であった。褒美を取らせよう。何が欲しい?」
当然、領地なり金貨なりを求めるものと思っていた。
ところが、ラーグ伯爵は腕を組み、本気で悩み始めた。
「褒美ですか……」
しばらく考えたあと、顔を上げる。
「それなら、フランケンタールの税をしばらく軽くしてもらえませんか?」
「税を?」
「はい。まだ戦後復興中でして。家を直したり、商売を立て直したりするのに、みんな金が要るんです」
私はラーグ伯爵の顔を見つめた。
「そなた自身への褒美ではないぞ?」
「ええ。でも、それが一番ありがたいです」
「…………」
欲のない男だ。
いや。
この男にとっては、それが何よりの褒美なのだろう。
「なんだ、そんなことでよいのか」
私は笑った。
「よし、許可しよう」
「ありがとうございます、陛下!」
先ほど要塞を作った時よりも、よほど嬉しそうな顔をしている。
面白い男である。
その後、ラーグ伯爵は上機嫌で宮殿へ戻っていった。
私も上機嫌だった。
そこで終わればよかったのだが――。
「陛下。そろそろ宮殿へお戻りを。午後の政務が」
「エッゲンベルク」
「はい」
「余は、もう一度あの要塞を見てくる」
「……陛下」
私は返事を待たず、雪の上を歩き始めた。
堀の深さ。
土塁の厚さ。
砲台の位置。
近くで見れば見るほど面白い。
「なるほど。ここからなら敵の側面を撃てるのか」
気がつけば、私は要塞の隅々まで歩き回っていた。
そして、その日は。
興奮のあまり、ほとんど仕事が手につかなかった。
もっとも。
エッゲンベルクたちもまた、帝国の未来について頭を抱え、一日中この要塞の話ばかりしていたのだから――。
私だけを責めることはできまい。
いっそ、ハプスブルクの娘を娶らせてもよいかもしれぬな。
自然とそう思えた。
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