第3話 残土のラーグ組
【ラーグ視点】
翌朝。
カッセルの街が、まだ夜明け前の薄青い光に包まれている頃。俺は宿舎の硬いベッドの上で、ゆっくりと目を開けた。
隙間風の入る部屋には、男たちの汗と土が混ざったむさ苦しい匂いがこもっている。隣からは、ダル親方の地響きみたいな大いびきが、規則正しく響いていた。
いつもなら、この音を聞きながら「また泥まみれの一日が始まるのか」と、重い体を無理やり起こすところだ。
だが、今日の俺は違った。
窓から差し込む淡い朝日を見ると、昨夜決めたことが鮮やかによみがえってくる。
自分の組を作る。
そして、残土を使った新しい商売を始める。
そう考えるだけで、胸の奥がじんわりと熱くなった。
俺は誰よりも早く身支度を済ませると、宿舎の外で顔を洗っていたダル親方を捕まえた。
親方は桶の冷たい水を豪快に顔へ浴びせ、手ぬぐいでゴシゴシと拭いている。分厚い胸板に丸太みたいな腕。長年、カッセルの建築現場を束ねてきた男らしい体つきだ。
「親方。ちょっと話があるんだ」
「んあ? なんだ、朝っぱらから」
俺は冷たい朝の空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
少し緊張する。
「俺、自分の組を作ろうと思う」
怒鳴られるだろうか。
あるいは、何を馬鹿なことをと笑い飛ばされるか。
身構えていた俺とは反対に、親方の反応は驚くほどあっさりしていた。
「まぁ、お前の残土を処分できるスキルは便利だからな。いずれこうなる気はしてたぜ」
「いいのか、親方。俺が抜けたら、現場の片付けが面倒になるんじゃないか?」
「気にするな。それに今じゃ、お前はドラゴンスレイヤーの片割れだ。あのドラゴンを止めた男の門出だぞ。反対する気はねぇよ」
ダル親方はニカッと白い歯を見せた。
ありがたい。
なんだかんだ言って、この人にはずいぶん世話になった。
ところが、親方の視線がふいに俺の肩越しへ向いた。そのまま目を丸くする。
「……おい、ラーグ。その後ろのべっぴんさんは誰だ?」
「ん?」
振り返る。
朝の日差しを浴びて、蜂蜜色の長い金髪を風に揺らしている女がいた。
レイラだ。
昨夜の白い麻のブラウス姿のまま、眠そうに小さなあくびをかみ殺している。
むさ苦しい男ばかりの宿舎には、あまりにも場違いな美女だった。
「まさか、お前の嫁じゃねぇだろうな」
「いや、違う。俺の新しい組の相棒だ。レイラっていうんだ」
「へぇ。アタイが相棒かい。悪くない響きだねぇ」
レイラが艶っぽく笑う。
親方はなぜか少し頬を赤くすると、ゴホンと大きくせきをして話題を戻した。
「それで、独立するなら仕事はどうするつもりだ?」
「まずは残土処理だな。親方の現場から出る残土を、俺が引き取る」
ダル組は、カッセルの街にある大半の建築工事を請け負っている大きな組だ。
俺が残土処理を専門に請け負うなら、ここが一番の得意先になる。
となれば、ここからは商売の話だ。
「一現場につき、銀貨一枚で残土を処理してほしい」
ダル親方が提示した金額を聞き、俺は腕を組んだ。
(銀貨一枚か……)
おそらく、人件費を元にした金額だろう。
カッセルでは、人を一人、一日雇うとだいたい銀貨一枚になる。
この街の人間は、月に十日ほど働けば暮らしていける。
そこには、この国の教会の教えも深く関わっていた。
労働とは、神が人間へ与えた罰である。
だから天国へ行けば、もう働かなくていい。
そんな教えが広く信じられているため、必要以上に働くことを良しとしない者も多い。
「前の世界じゃ、高天原だったかな……神様だって泥だらけになって畑を耕してたような気がするんだけどなぁ」
「ん? なんか言ったか?」
「いや、こっちの独り言だ」
俺は小さく首を振った。
「分かった。一現場につき銀貨一枚で手を打とう」
親方がホッとした顔をする。
だが、俺はすぐに人差し指を一本立てた。
「その代わり、ざっくりでいいから残土を分けておいてほしい」
「分ける?」
「ああ。大きい石、中くらいの石、土、その他のゴミって感じでな」
「はあ? 大きい石くらいなら分けられるが……お前、今までそんなこと言わなかったじゃねぇか」
「昨日、ドラゴンと戦った時にさ。足場にする岩を出そうとしたら、探すのにちょっと手間取ったんだよ」
俺は肩をすくめた。
「だから、いざって時にすぐ出せるよう、これからは分けて収納することにした」
もちろん、それだけが理由じゃない。
分類しておけば、後で建築資材として売りやすくなる。
だが、今はわざわざそこまで話す必要もないだろう。
親方は太い腕を組み、しばらく考え込んだ。
「中くらいの石までなら分けておいてやる。ただ、小石は無理だ。どうしたって土と混ざっちまう」
「十分だ。それで手を打とう。親方、ありがとうよ」
「なに言ってんだ」
ダル親方が豪快に笑った。
「今日からお前も親方じゃねぇか! 仲良くしようぜ!」
「おう!」
俺たちはガッチリと握手を交わした。
「ガッハッハッハ!」
「ハッハッハッハ!」
そのまま肩まで組んで笑う俺たちを、レイラが少しあきれたような、それでいて楽しそうな顔で眺めていた。
◇◆◇
それからしばらく、俺の商売は驚くほど順調だった。
朝になるとレイラと一緒に街へ出て、ダル組が手掛ける建設現場を順番に回る。
「ラーグ親方! こっち頼むぜ!」
「おう!」
俺が残土へ手をかざす。
すると、現場の隅へ積まれた土砂や岩が、次々と俺の収納空間へ吸い込まれていった。
ズズズズズッ――。
山になっていた残土が消え、すっきりとした地面だけが残る。
「相変わらず便利だなぁ」
「馬車で運んでた頃には戻れねぇぞ、こりゃ!」
作業員たちからも評判は上々だった。
俺が一日に回れる現場は、およそ十カ所。
一現場につき銀貨一枚だから、一日で銀貨十枚前後の稼ぎになる。
その中から、レイラには約束通り一日につき銀貨一枚を支払った。
「はいよ、今日の分」
「毎度ありっと」
レイラは受け取った銀貨を親指で弾き上げ、パシッと手の中へ収めた。
意外だったのは、彼女がこの仕事をかなり気に入っていることだ。
凄腕の冒険者なのだから、もっと派手な仕事を好むのかと思っていた。
「冒険者ってのはねぇ、一攫千金もあるけど、一文無しになることも珍しくないのさ」
レイラは銀貨を指先でクルクル回しながら笑う。
「それに比べて、この仕事はいいねぇ。毎日ちゃんと働けば、毎日ちゃんとカネがもらえる」
「地味だぞ?」
「平和が一番さ。ドラゴンの首なんて、毎日斬りたいもんじゃないからねぇ」
「そりゃそうだ」
もっともだ。
彼女が一緒にいてくれるおかげで、道中も退屈しない。
それに俺の収納空間も、以前とはずいぶん様子が変わった。
巨大な岩。
中くらいの石。
土。
それぞれを分けて収納することで、必要なものをすぐ取り出せるようになった。
(こりゃいいな)
秋の涼しい風が街を吹き抜けていく。
仕事はある。
金も入る。
相棒までできた。
俺の人生は、ようやく上り調子を迎えた。
――はずだった。
◇◆◇
そんなある日のこと。
いつものようにダル組の現場へ向かった俺は、そこで妙な光景を目にした。
「急げ! そっちの道具もまとめろ!」
「親方! こっちの木材はどうするんです!?」
「全部持っていく! 一本も残すな!」
ダル親方が血相を変えて走り回っている。
作業員たちも、普段とは比べものにならないほど慌ただしい。
木材を束ねる音。
荷車へ道具を放り込む音。
親方たちの怒鳴り声。
いつもののんびりした建設現場とは、まるで空気が違っていた。
「親方! どうしたんだ、そんなに慌てて!」
俺が声をかけると、ダル親方が勢いよく振り返った。
「おお、ラーグか! えらいことになっちまった!」
親方は俺のところまで駆け寄ると、太い腕で肩をガシッとつかんできた。
手に込められた力が強い。
冗談でも何でもないらしい。
「どうした?」
「国境の城で戦争だ!」
「……は?」
「城が攻撃を受けてる! 国から、修理のためにカッセルの建築ギルドをよこせって命令が来やがった!」
俺は言葉を失った。
「せ、戦争……?」
冷たい風が、現場を吹き抜けていく。
戦争。
城の修理。
ついこの前まで、俺は残土を片付けながら、平和に暮らせればそれでいいと思っていた。
ドラゴンを倒した後も、自分の組を作って、地道に商売をしていくつもりだった。
なのに。
どうやら、この世界はそんな俺を、そう簡単には放っておいてくれないらしい。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




