第19話 国際政治と戦争めんどくせぇ
【ラーグ視点】
復活祭の熱狂から数日が過ぎ、カッセルの街にも落ち着いた日常が戻りつつあった。
冬の間に降り積もった雪は完全に溶け、冷たかった風には新緑の柔らかな香りが混じっている。ようやく春らしい、穏やかな季節がやってきたのだ。
だからこそ、俺は警戒していた。
「…………」
カッセル城の一角にある、豪華な小食堂。
高い窓から差し込む春の日差しが、純白のテーブルクロスを明るく照らしている。その上には、香ばしく焼き上げられた大きなローストポークと、湯気を立てる焼きたてのパン、色鮮やかな果物が並んでいた。
肉の脂と赤ワインの芳醇な香りが、食欲をそそる。
俺の向かいでは、統一ヘッセンの主である方伯様が、優雅な手つきでナイフとフォークを操っていた。
昼食への招待。
平民上がりの新米男爵が、一国の君主と二人きりで食事をする。普通なら光栄の極みなのだろうが、俺には嫌な予感しかしない。
「方伯様。今日はまた、何か命令ですか?」
俺がじっと見つめると、方伯様は切り分けた肉を口へ運び、ゆっくりとかんだ。
そして極上のワインで喉を潤してから、さらりと言った。
「今回は戦争になるかもしれん」
「……この前、戦争終わったばっかりですよね?」
俺は心の底から嫌そうな顔をしてしまった。
冬の初めに、ダルムシュタットとの決戦が終わったばかりだ。ベルリンへの遠征まで含めれば、俺はこの一年で二度も戦争に巻き込まれている。
「せっかく平和な春が来たと思ったのに、またどこかと揉めてるんですか?」
「私ではない。皇帝陛下だ」
「ああ……神聖ローマ帝国皇帝ですか」
この世界における、ものすごく偉い人。
つい先日、俺に要塞の本を書けと無茶振りしてきた張本人でもある。
「でも、皇帝がいるなら、皇帝陛下が『戦争はやめろ』って全部決めればいいんじゃないんですか?」
俺の素朴な疑問に、方伯様は小さく鼻を鳴らした。
「そう簡単ではない。帝国とは、こういうものだ」
方伯様はパン籠から、小さなパンをいくつか取り出した。
「大きな一つのパンが、そのまま神聖ローマ帝国というわけではないのだよ、ラーグ」
そう言いながら、小さなパンをテーブルの上へ並べていく。
「このパン一つ一つが、ヘッセン、プファルツ、バイエルンといった領邦だ。それぞれに領主がいて、自分たちの土地を治めている」
「ほう」
「そして、それらをまとめる一番偉い人物が皇帝陛下だ」
俺は並べられたパンを眺めた。
「じゃあ、皇帝陛下が全部の領地を直接治めてるわけじゃない?」
「そういうことだ。各領主は自分の法律を持ち、自前の軍隊まで持っている。皇帝陛下といえども、すべてを好き勝手に決められるわけではない」
「……つまり、大きな会社の社長というより、町内会長みたいなもんですか?」
「皇帝陛下を町内会長呼ばわりするな」
方伯様が肩を揺らして笑った。
不敬罪で首が飛ばなくてよかった。
「じゃあ、その町内会長……じゃなくて、皇帝陛下は、今どこで誰と戦ってるんですか?」
方伯様は空いた皿を一枚、俺の近くへ置いた。
「我々の南西に、プファルツという国がある」
「南西……近いんですか?」
「近い」
即答だった。
嫌な言葉だ。
近いということは、戦争の火の粉まで飛んでくるかもしれない。
「そのプファルツも、我らヘッセンと同じくプロテスタントの国だ」
「ああ、なるほど」
俺はローストポークを切りながらうなずいた。
カッセルもプロテスタント、正確には改革派の土地だ。先日の復活祭でも、大勢の人々が礼拝へ向かっていた。
「じゃあ味方ですよね?」
「いや」
「え?」
俺のナイフが止まった。
「プファルツの領主であるフリードリヒは、皇帝陛下に逆らってボヘミアの王になった。だが去年、皇帝軍に敗れた」
「負けたんですか」
「うむ。さらに皇帝陛下は、彼を正式に反逆者とした。だから現在、皇帝側がプファルツを攻めている」
俺は頭の中で話を整理した。
プファルツの領主が皇帝へ逆らう。
戦争になる。
負ける。
今度は自分の領地まで攻め込まれる。
「……まあ、そこまでは分かりました」
そこで、ふと気づいた。
「待ってください。俺たちもプロテスタントですよね?」
「そうだ」
「プファルツも?」
「そうだ」
「皇帝側は、カトリックが多い?」
「そうだ」
「じゃあ俺たちは、どっち側なんです?」
方伯様はワインを一口飲んだ。
「皇帝側だ」
「なんで!?」
思わず声が裏返った。
同じ宗教の国が、違う宗教の皇帝と戦っている。
だったら普通は、同じ宗教同士で助け合うんじゃないのか。
方伯様は、たまらなくおかしそうに笑った。
「くくっ……宗教と政治は別なのだよ、ラーグ」
「別って……」
「我ら統一ヘッセンは、つい最近、皇帝フェルディナント二世陛下から正式に認められたばかりだ」
その顔から笑みが消えた。
「その直後に、皇帝陛下へ反逆したプファルツへ味方してみろ。どうなると思う?」
「あ……」
ようやく分かった。
「俺たちまで反逆者扱いされる?」
「その通りだ」
せっかく戦争に勝って統一したヘッセンが、皇帝から敵扱いされてしまう。
そんなのは割に合わない。
「……あー、なるほど」
「やっと分かったか」
「政治って面倒ですね」
「今さら何を言っている」
方伯様は肉を切りながら、さらに話を続けた。
「そして、カトリックの諸侯には『カトリック同盟』という軍事同盟がある。皇帝軍だけではない。彼らもプファルツと戦っている」
「じゃあ、プロテスタント側にも同盟があるんですか?」
「ある。いや――あった、と言った方がよいな」
「過去形?」
方伯様が少し苦い顔をした。
「プロテスタント同盟は、現在崩壊寸前だ。プファルツへ味方すれば、皇帝陛下とカトリック同盟を同時に敵へ回すことになる。誰もそんな危険を冒したくないのだ」
「頼りにならねぇ!」
「そういうことだ」
俺は天井を見上げた。
なんとなく分かってきた。
今は、皇帝軍とカトリック同盟が、皇帝へ逆らったプファルツと戦っている。
ただし、同じプロテスタントだからといって、全員がプファルツの味方ではない。
我が統一ヘッセンが、まさにそうなのだ。
「私はカトリック同盟へ入るつもりはない」
方伯様の言葉に、俺は少しだけ安心した。
「じゃあ、戦わなくていい?」
「最後まで話を聞け」
「はい」
嫌な予感が戻ってきた。
「統一ヘッセンはプロテスタントの国だ。それは変えぬ。だが、皇帝陛下には従う」
「つまり?」
「我々は皇帝側だ。もし皇帝陛下から正式な出兵要請が来れば、兵を出す」
「やっぱり戦うんじゃないですか!」
俺たちの食事の手は完全に止まっていた。
「宗教のために戦うのではない。帝国内の反乱を鎮めるために協力する、という立場だ」
「言い方変えただけじゃないですか?」
「政治とは、そういうものだ」
「めんどくせぇ……」
非常にややこしい。
だが、ようやく俺にも立場が分かってきた。
「よし。じゃあ、皇帝陛下から何も言われなければ、俺たちは静観ですね」
俺はようやく安心し、冷めかけたローストポークへフォークを伸ばした。
その時だった。
方伯様がテーブルに残っていた最後のパンを手に取る。
「これがヘッセンだ」
「はい」
俺の皿のすぐ横へ置く。
さらに、もう一つのパンを取った。
「そして、これがプファルツだ」
コトリ。
二つのパンが、ほとんど隣り合わせに並んだ。
「…………近くないです?」
「近いぞ」
「そこで戦争してる?」
「している」
「俺たちは皇帝側?」
「そうだ」
嫌な汗が背中を伝った。
「皇帝から『お前ら近くにいるんだから、兵を出せ』って言われる可能性は……」
「高いな」
俺は肉を食う手を止めた。
「…………」
方伯様は平然とワインを傾けている。
「せっかく復活祭で、今年は戦争のない平和な春になればいいって思ってたのに……」
「残念だったな、ラーグ男爵」
俺は両手で頭を抱えた。
「国際政治と戦争、めんどくせぇぇぇぇぇ!」
「はっはっはっはっ!」
方伯様の大笑いが、高い天井へ響いた。
人の気も知らないで、この人は本当に楽しそうである。
ようやく笑い声が収まった、その時だった。
コンコン。
小食堂の扉が、控えめに叩かれる。
「入れ」
重い扉が開き、初老の侍従が足早に入ってきた。
その顔には、隠しきれない緊張が浮かんでいる。
「方伯様。お食事中に申し訳ございません」
「構わん。何事だ」
「ウィーンより、皇帝陛下の使者が参りました」
「…………」
俺はナイフとフォークを、そっとテーブルへ置いた。
ウィーン。
皇帝陛下。
使者。
ここまでの話を聞いた後では、嫌な予感しかしない。
「……あの、俺、もう帰っていいですか?」
俺が切実な思いで尋ねると、方伯様は満面の笑みを浮かべた。
「駄目だ」
俺の平和な春は、こうしてあっけなく終わりを告げたのだった。
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