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捨てられ第三王子は、信頼を取り戻したいだけなのに、崩壊寸前の辺境領と婚約破棄寸前の令嬢まで任されました  作者: 玖城イサ
第一章

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第97話 王都監査使

 


 返書を飛ばしてから四日後、領都の空気は朝から固かった。


 雪は止んでいる。

 だが冷えは深く、石壁も門扉も、触れれば指の熱を持っていかれそうだった。


 北門から早馬が戻ったのは、日の高くなる少し前だ。


「王都の使節です」

 とカイルが言った。

「監査局の印が二つ。護衛付きで、もう外門まで来ています」


 実務室にいた全員の手が、そこで一度だけ止まった。


 マルタは控え板を抱え直し、ヘルマンは鼻を鳴らす。

 フィアナは紙から顔を上げただけだったが、薄灰の目は少しだけ冷えた。

 セリスは驚きもせず、机の端の未整理箱へ視線をやった。


「返書、早かったですね」

 と彼女が言う。


「返事じゃないだろ」

 レオンは立ち上がった。

「見に来たんだ」


 誰がどう返すかを待つより先に、現地を押さえる。

 王都らしい速さだと思った。


 北方の冬に、悠長な善意はまず来ない。

 来るのは確認と、処理と、責任の切り分けだ。


「迎えますか」

 とフィアナ。


「迎える」

 レオンは短く答えた。

「逃げても面倒が増えるだけだ」


「案内の順は」

 セリスが聞く。


「まだ決めない」

 レオンは外套を取った。

「顔を見てからにする」


 領主館の前庭へ出ると、門の内側にはすでに人が集まり始めていた。


 門番。

 若い兵。

 古参の文官。

 そして、最近はおとなしくしていた旧役人派の連中までいる。


 皆、王都の印に弱い。


 それは当然でもある。

 この領地は長く、王都から見下ろされる側だった。

 王都の使いが来るとなれば、黙っていられない者も多い。


 やがて門が開き、三台の馬車が入ってきた。


 豪華ではない。

 だが安物でもない。

 目立たぬよう整えた官の車列だ。


 先頭の馬車から降りてきた男を見て、レオンはすぐに分かった。


 薄茶の髪。

 愛想のいい形だけ整えた口元。

 目立たない顔なのに、視線だけが妙に周囲を測っている。


 アルノー・ルグラン。


 セリスから名前だけは聞いていた王都監査官だ。

 大物ではない。

 だがこういう手合いは、上の顔色と下の弱さを見るのがうまい。


「第三王子殿下」

 アルノーは一歩進み、よく通る声で礼をした。

「お初にお目にかかります。王国監査局より参りました、アルノー・ルグランにございます」


「レオン・アルヴェインだ」

 レオンも一礼を返す。

「遠路ご苦労だった」


「いえ。北方の現状確認は急務との判断でしたので」


 言い方は整っている。

 だが、最初から“急務”と言った。


 婚約整理への異議に対する返答なら、もっと柔らかく入る。

 これはやはり、返答ではない。


 後ろからさらに二人、文官風の男と書記官が降りてくる。

 護衛も少数だが、必要なだけいる。


 アルノーはフィアナへも礼を向けた。


「ベルクライン令嬢にもご挨拶を」

「このような時期にお騒がせいたします」


「時期が悪いと分かっていて来られたのなら、相応の理由があるのでしょう」

 フィアナは平坦に返した。


 その短さに、アルノーの目がわずかに笑った。


「ええ。まさしく」

「王都では、北方の再建状況と、辺境伯家の対外窓口の現状に、少なからず関心が集まっております」


 関心。

 便利な言葉だ。


 心配とも疑念とも取れる。

 そして実際には、そのどちらでもない時によく使われる。


 レオンは門前の空気を見た。


 旧役人派の一人が、もう半歩ほど前へ出たがっている。

 王都の人間へ、先に“こちら側の話”を吹き込みたい顔だった。


「長旅だったろ」

 レオンは先に言った。

「部屋を整えさせる。話は昼からでいい」


 アルノーは一瞬だけ間を置いた。


「ご配慮、痛み入ります」

「ですが、できれば本日中に領内の要点だけでも把握したく」

「こちらも報告日程に限りがありますので」


 やはり急ぐ。

 しかも、到着したその日に主導権を取りたがる。


 レオンは頷いた。


「分かった」

「なら、まずは実務室で概要を出す。そのあと現場だ」


「現場、ですか」

 アルノーの後ろにいた年配の文官が、少しだけ眉を動かした。

「本日であれば、市場や主倉の確認からでも」


 市場。

 主倉。

 見栄えのする順だ。


 そして門脇では、旧役人派の文官が、まさに同じ提案を口にしかけていた。


「いえ」

 レオンは先に切る。

「飾ってある場所は後でいい」

「困っている場所から見てもらう」


 そこで、門前の空気が少し変わった。


 旧役人派の顔が固まる。

 マルタは少しだけ口元を上げた。

 ドルクは露骨に分かりやすい顔こそしなかったが、肩の力がわずかに抜けた。


 アルノーは笑みを消さないまま言う。


「殿下は、ずいぶん率直でいらっしゃる」


「遠回りしても寒いだけだからな」


 それを聞いて、後ろにいた若い書記官が一瞬だけ目を上げた。

 驚いたような顔だったが、すぐに下へ戻る。


 アルノーは軽く頷いた。


「承知いたしました」

「では、率直に拝見いたしましょう」


 率直、か。


 レオンは心の中でその言葉を反芻した。

 向こうの率直さは、たぶん別の意味だ。


 北方がどれだけ立て直せていないか。

 異議を出した辺境伯家が、どれだけ無理をしているか。

 第三王子の補佐など、所詮は形だけだと確認するための率直さ。


 要するに、失敗確認だ。


 昼の簡単な挨拶のあと、監査使一行は客間へ通された。

 その間にも、旧役人派の一人が廊下の角で書記官へ話しかけようとして、セリスに横から進路を塞がれていた。


「後でまとめてどうぞ」

 とセリスは言った。

「今はまだ、殿下の案内順が先ですので」


 笑ってはいない。

 だが断り方だけは丁寧だった。


 実務室へ戻ると、フィアナが扉を閉めた。


「見えております」

 と彼女は言った。

「向こうは最初から、“整理すべき辺境”を見に来ています」


「ええ」

 セリスが頷く。

「婚約整理の件も、再建状況も、一緒に“扱いやすい形”へ寄せたいのでしょう」


 ヘルマンが鼻を鳴らした。


「では、綺麗な廊下と磨いた机だけ見せておけば、向こうは喜びますな」


「喜ばせる気はない」

 レオンは答えた。


 マルタが腕を組む。

「鍋場、見せるんですか」


「最初に」

 レオンは言う。

「それから名簿の聞き取り小屋、北門詰所、第三倉」

「厳しい場所から回す」


 ドルクが確認するように聞く。

「荒れて見えるぞ」


「荒れてるからだ」

 レオンは短く返した。

「ここがまだ楽な領地に見える方が、後で困る」


 フィアナは一拍だけ黙っていたが、やがて頷いた。


「分かりました」

「なら、私も現場の数字を持って回ります」

「質問が来た時、言い淀む方が不利です」


 セリスも机の上の束へ手を伸ばす。


「旧控えと新控え、両方持ちます」

「向こうが“見せ方だ”と言った時に、見せ方ではなく変化だと返せるように」


 レオンは部屋の中を見た。


 最初の頃とは違う。

 もうこの領地には、すぐに動く手がある。


 全部は足りない。

 冬も終わっていない。

 王都は面倒だ。


 それでも、前みたいに一人で潰れる形ではなかった。


「明日は向こうに選ばせない」

 レオンは言った。

「一番見たくないところから見せる」


 暖炉が低く鳴る。


 その向こうで、王都の監査使たちは今ごろ、どこまで崩れているかを数えに来た気でいるのだろう。


 だったら、崩れたまま、それでも回し始めた現場を見せるしかない。


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