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捨てられ第三王子は、信頼を取り戻したいだけなのに、崩壊寸前の辺境領と婚約破棄寸前の令嬢まで任されました  作者: 玖城イサ
第一章

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第96話 異議申し立て

 


 返書の文面作りは、夜半までかかった。


 最初の一枚は、レオンが書いた。

 荒い。

 必要なことは入っているが、王都へ返す文としては角が立ちすぎる。


「怒っている文ですね」

 とセリスが言った。


「怒ってるからな」


「存じております」

「ですが、怒っていると読ませた時点で負けます」


 フィアナが横から紙を引いた。


「ここは削ります」

「“不当”も要りません」

「王都側に“感情で反発している”と思わせる言葉は、向こうの餌です」


 そう言って、彼女はするすると文を整えていく。


 情勢。

 実務。

 時期。

 北方流通。

 冬期配給。

 名簿再編。

 辺境伯家の対外窓口。


 婚約整理そのものを感情で拒まない。

 ただし、現下のフェルド領に対し、王都側窓口の扱いを落とすことは、王国北方の維持に直接損失を与える。

 その判断は、現地状況の確認以前に行うべきではない。


 冷たいくらい、理路整然としていた。


 レオンは隣で見ながら思う。

 やはりこの人は、王都の席に立つために必要なものを最初から持っていた。

 持っていたのに、好かれない側へ置かれ続けた。


「ここ」

 とセリスが指を置く。

「殿下のお名前を前へ出します」


「前へ?」


「はい。辺境伯家からの私的反発に見せないためです」

「“第三王子レオン・アルヴェインが、現地視察と補佐の立場から、政治的損失を憂慮する”」

「この形なら、向こうも私信として雑には扱えません」


「殿下のお立場を使うことになります」

 フィアナが言う。

「本当に、よろしいのですか」


 レオンは頷いた。


「そのための立場だろ」

「飾りで終わらせる気はない」


 フィアナは何も返さなかった。

 ただ、一瞬だけペン先が止まる。

 それからまた動いた。


 文は三本立てになった。


 一つ。

 婚約整理そのものに即時同意はしないこと。


 一つ。

 ベルクライン家の王都窓口や諸席の扱いを、現状相応と称して一方的に落とすことへ異議を唱えること。


 一つ。

 フェルド領は現在、冬期救民、配給再編、名簿制度の更新、不正徴税の整理を進めており、この時点で対外的信用を削る判断は、王国北方の維持に不利益であること。


 セリスが最後の一文を加える。


『ついては、春先までの実務推移を見た上で、あらためて正式協議の席を設けられたく』


「時間を取るのか」

 とレオン。


「時間もですし、席を作らせます」

 セリスは答える。

「向こうが紙一枚で片づけたいなら、こちらは席へ引きずり出す」

「それだけでも意味があります」


 フィアナが静かに息を吐く。


「王都は嫌がるでしょうね」


「嫌がらせてください」

 とセリス。

「そのための返書です」


 少しだけ、空気が軽くなった。


 重い話のはずなのに、三人で机を囲んでいると、仕事として切っていける。

 そこがたぶん大きい。


 レオンは清書された文を読み直した。


 綺麗だ。

 怒りも悲しみも、表には出ていない。

 でも芯だけは、はっきり通っている。


 黙って受けるつもりはない。

 フェルドを勝手に軽くするな。

 こちらは状況を整理して見ている。


 それが十分伝わる文だった。


「これで行こう」

 とレオンが言う。


 フィアナは少しだけ目を伏せる。


「……ありがとうございます」


「礼を言う話じゃない」

 レオンは首を振った。

「君の婚約話を使って領地ごと削ろうとしてるなら、止めるのは当然だ」


「それでも」

 フィアナは小さく言った。

「前なら、私は一人で受けて終わらせていました」


 その一言は短かった。

 でも、それで十分だった。


 前なら。

 今は違う。


 レオンは返事の代わりに、文の末尾へ署名した。

 第三王子レオン・アルヴェイン。

 筆跡はまだ少し硬いが、それでも迷いはなかった。


 フィアナも、辺境伯家側の名で必要な記載を加える。

 最後にセリスが封を整えた。


 赤ではない。

 返書に使う、落ち着いた濃紺の封蝋だった。


「夜明け前に出します」

 とセリス。

「北道の早馬なら、王都便への継ぎに間に合います」


「頼む」


 セリスは頷くと、もう次の段取りへ頭を切り替えていた。

 伝令、控え写し、保管用文書。

 抜けがない。


 フィアナは出来上がった返書をしばらく見ていた。

 それから、ほんの少しだけ唇を緩める。


「殿下」


「何だ」


「これで、向こうは黙らないでしょう」


「だろうな」


「監査でも、照会でも、次を重ねてくるはずです」


「知ってる」


 短い沈黙のあと、フィアナが言う。


「……それでも、少しだけ気分が違います」


 レオンは彼女を見た。


「どんなふうに」


「切られるのを待つだけではない、というだけです」

 彼女は淡く答える。

「それだけで、だいぶ違います」


 大げさな言葉ではなかった。

 でもたぶん、その静かさの方が本物だった。


 夜明け前、返書は早馬へ託された。


 雪を噛む蹄の音が、まだ暗い北門の先へ消えていく。

 その背を見送りながら、レオンは胸の奥で一つだけ線を引いた。


 ここから先は、もう婚約話の残り火ではない。

 王都がフェルドをどう扱うか、その正面衝突だ。


 セリスが門の影で言う。


「王都は、異議を受け取って黙る側ではありません」


「分かってる」


「おそらく、早いですよ」


 その言い方が妙に耳へ残った。


 そして三日後。

 北門の見張りが、王都の紋章旗をつけた馬車列を報せに走ってきた。


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