第93話 王都からの封書
扉の向こうから入ってきたのは、細長い書状だった。
赤い封蝋。
王都の正式便に使われる、癖のない硬い紙。
祝いにも見える体裁なのに、慶事の匂いはまるでない。
セリスが盆の上へ置く。
「夜分に急がせる類です」
「しかも、写しではありません」
レオンは書状を見た。
宛名はベルクライン辺境伯家。
その下に、フィアナ・ベルクラインの名も添えられている。
「差出人は」
「王都側の婚約調整窓口です」
セリスは短く答えた。
「先方の家名そのものではなく、貴族院側の実務名義になっています」
それだけで、もう嫌な感じがした。
家と家の話なのに、実務窓口。
責任を薄める時の書き方だ。
フィアナは表情を動かさなかった。
だが、指先だけが少し冷えて見えた。
「開けます」
と彼女が言う。
「待て」
レオンは反射で口を挟んだ。
「……いや、違うな。俺も見る」
フィアナは一瞬だけ彼を見た。
それから、ほんのわずかに頷く。
封を切る音は、部屋が静かなぶんだけよく響いた。
紙は二枚。
最初の一枚は挨拶。
時候。
辺境伯閣下の体調を案じる、丁寧すぎる一文。
フェルド領の冬に対する形式的な気遣い。
そこまでは綺麗だった。
だが本題へ入った途端、文が変わる。
『現下の事情に鑑み』
『両家における将来のご負担を避けるため』
『従前の婚約調整は、いったん白紙整理するのが妥当と判断されたく』
白紙整理。
言い方だけは柔らかい。
でも実質は切り捨てだった。
『なお本件は、いずれか一方に瑕疵があるとする趣旨ではなく』
『あくまで情勢に即した再整理であり』
「嘘くさいな」
とレオンが言った。
セリスが隣で淡々と頷く。
「はい。たいへん上品な嘘です」
フィアナは紙の最後まで読み切った。
目線はぶれない。
読み慣れている者の速さだった。
そこが逆に重い。
「二枚目は?」
とレオン。
フィアナは差し出した。
こちらは確認文書に近い。
白紙整理へ異存がない場合、辺境伯家側からも同意の返書を求める形式だ。
しかも末尾に一文、さらりと刺してある。
『今後の諸席におけるご配慮も、現状相応に改められることとなります』
レオンはそこを二度見した。
「諸席?」
セリスが紙を受け取る。
「社交、婚約調整、場合によっては一部の照会窓口まで含みます」
「言い換えれば、王都側での扱いを落とすという予告です」
フィアナが静かに言う。
「当然でしょう」
「婚約話が消えれば、辺境伯家は王都との結び目を一つ失います」
当然。
そう言った。
まるで、もう前から知っていた答えみたいに。
レオンは紙を机へ置いた。
暖炉の火が小さく鳴る。
部屋は暖かいはずなのに、書面の上だけ冷えて見える。
「返す期限は」
「七日以内」
とセリス。
「急いでいますね」
「急ぐ理由があるってことか」
「ええ」
セリスは文面を追いながら言う。
「こちらが立て直す前に、形だけ先に確定したいのでしょう」
フィアナは何も言わなかった。
その横顔は静かで、整っていて、まるで少しも傷ついていないみたいだった。
けれど今夜さっきまで、彼女は過去の傷を自分の口で開いたばかりだ。
その直後にこれが来る。
偶然にしては出来すぎている。
「……どうされますか」
セリスが尋ねた。
問いはフィアナへ向いていた。
ベルクライン家の婚約整理だからだ。
フィアナは少しだけ視線を落とす。
そして、驚くほど平らな声で言った。
「受けます」
レオンが顔を上げる。
「今さらです」
フィアナは続けた。
「先方がこう出すなら、いずれ同じ結論になります」
「丁寧に切るか、もっと悪い形で切るかの違いでしかありません」
その答えが早すぎて、レオンは一瞬、言葉を失った。
諦めではない。
もっと手慣れたものだ。
切られる側でいる時に、少しでも傷を浅くするための返事。
フィアナは紙を揃えて、机の端へ置いた。
「明日、返書の形を整えましょう」
「夜のうちに騒いでも、文はよくなりませんから」
騒がない。
怒らない。
期待もしない。
そうやって、自分を守ってきたのだろう。
でもレオンには、その淡々とした整い方が、妙に腹立たしかった。
彼女が悪いわけじゃない。
むしろ逆だ。
そこまで先回りして痛みを薄くしないと立っていられないところまで、王都が追い込んでいたということだからだ。
フィアナはもう一度、書状へ目を向けた。
「こちらで大丈夫です」
「最初から、長く残る話ではありませんでしたから」
そう言った横顔は、驚くほど静かだった。
静かすぎて、レオンは逆に嫌な予感を強くした。




