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捨てられ第三王子は、信頼を取り戻したいだけなのに、崩壊寸前の辺境領と婚約破棄寸前の令嬢まで任されました  作者: 玖城イサ
第一章

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第80話 冬の前の灯り

 



 領都の夜は、少しだけ前より明るかった。


 もちろん王都みたいな華やかさではない。

 通りの端まで火が届くわけでもない。

 城壁の上の見張り灯も、数はまだ限られている。


 それでも違った。


 倉庫前の灯りが消えていない。

 配給所の脇に小さな火が残っている。

 宿屋の窓にも、前より長く灯がともっている。


 全部、小さい。

 でも小さいまま、ちゃんと続いている感じがあった。


 レオンは領都の通りをゆっくり歩いた。


 隣にはフィアナ。

 少し後ろにセリス。

 さらに少し離れて、カイルが見回りを兼ねてついてくる。


 派手な視察ではない。

 帳面を閉じたあと、最後に今日の空気を見ておくための歩きだった。


「鍛冶場も火を落としていません」

 とフィアナが言う。


 見ると、通りの奥で赤い火が揺れている。

 大きな仕事ではないのだろう。

 でも完全に止まってはいない。


「戻り荷の車輪だろうな」

 とレオン。


「ええ」

 フィアナは頷く。

「村へ鍋を増やすなら、金具の直しも要ります」


 宿屋の前では、二人の男が小声で話していた。

 酒で騒ぐ感じではない。

 明日の荷の話か、火油の配分か。

 そういう現実的な声だった。


 レオンはそのまま歩く。


 道はまだ荒れている。

 人の顔色も、良いとは言えない。

 一つ前の冬を思えば、みなまだ警戒の中にいる。


 でも絶望一色ではなかった。


 それが大きい。


 前なら、夜の話題は「足りない」で終わっていたはずだ。

 今は「次はどう回すか」が少し混じる。


 不足は変わらない。

 それでも、次の話ができるなら人は少しだけ持つ。


 セリスが後ろから言った。


「王都の方々に見せたい光景ですね」


「見せたところで、綺麗には伝わらない」

 とレオン。


「でしょうね」

 セリスは肩をすくめた。

「地味な改善は、中央ではだいたい退屈と呼ばれます」


「知ってる」


 前世でもそうだった。

 何も起きないように回す仕事ほど、外からは見えにくい。

 火が出た時だけ騒がれる。


 でも、だからといってやらない理由にはならない。


 広場へ出ると、昼に使った煮炊き場の名残がまだあった。

 片づけた後の灰。

 洗って伏せた器。

 木材の切れ端。


 レオンは足を止める。


「明日、木材の置き方を変える」


「同感です」

 フィアナがすぐ答える。

「右側へ寄せると列が詰まります」


「鍋を増やすなら、水汲みの動線も変えたい」


「井戸側ですね」


 話がすぐ繋がる。

 その速さに、レオンは少しだけ救われる気がした。


 一人で考えるより早い。

 抱え込みすぎずに済む。


 それは前世の自分には、あまりなかった感覚だった。


 広場を抜け、倉庫へ向かう。

 門前ではドルクが巡回の交代を見ていた。


「殿下」


「どうだ」


「北道は今夜も異常なしです」

 ドルクは簡潔に答える。

「村側からの合図も二つ来ましたが、どちらも確認済みの便でした」


「いい」


「ただ」

 ドルクは少しだけ眉を寄せた。

「雪が早ければ、今の短い巡回路でも詰まります」


「そこは次だな」

 レオンは言う。


 ドルクが頷く。


「はい。今はまだ持ちます」


 今はまだ持つ。


 その言い方が、現実に合っていた。

 大丈夫とは誰も言わない。

 でも、持つ範囲は少しずつ広がっている。


 倉庫の前で、マルタが帳面を抱えて出てきた。


「今日の戻り分、まとめました」

「足りないものも見えました」


「何だ」


「鉄鍋、木匙、火油」

 マルタは即答した。

「あと、思ったより器が足りません」


「器?」

 とカイルが少し意外そうに言う。


「子どもが増えると、そこで詰まるんだよ」

 マルタは軽く返した。

「大鍋より先に、よそう先がなくなる」


 レオンは小さく息を吐いた。


 こういうことだと思う。


 大きな勝ちのあとに出てくるのは、たいてい小さな不足だ。

 でも領地を止めるのは、案外そういう小さな方だったりする。


「器、か」


「笑うところじゃありませんよ」

 とマルタ。


「笑ってない」


「ちょっと笑いました」

 後ろでカイルが言う。


 レオンが振り返ると、カイルはすぐに視線を逸らした。

 セリスまで少しだけ口元を動かしている。


「それで」

 フィアナが話を戻す。

「器はどうしますか」


「明日、木工職人へ回す」

 レオンは答えた。

「粗くてもいい。数優先だ」


「承知しました」

 フィアナは頷く。

「布と違って、今なら領内で回せます」


「鉄鍋は?」

 とマルタ。


「直しを急がせる」

 レオンは言う。

「新規より修理優先だ」


 話が決まる。

 紙に落ちる。

 明日の動きになる。


 その一つずつが、領地の骨を少しずつ作っていく。


 倉庫を出る頃には、夜気がさらに冷えていた。


 空を見上げる。

 雲が低い。

 星は見えない。


「降りそうですね」

 とフィアナが言う。


「最初の雪か」


「ええ。大雪になるかはまだ分かりませんが」


 レオンは黙って空を見る。


 ここまで、ようやく配給と治安の形が少し揃った。

 でも冬は、それを試す側だ。


 道は閉じる。

 火は足りなくなる。

 列は伸びる。


 今日の小さな灯りも、簡単に消えるかもしれない。


 それでも、前とは違う。


 前は止まったまま冬を待っていた。

 今は、少なくとも動かしたまま迎えられる。


 その差は大きい。


 城館へ戻る前、広場の端でレオンは足を止めた。


 遠くに、ぽつぽつと灯りが見える。

 宿屋。

 鍛冶場。

 配給所。

 兵舎。


 どれも小さい。

 けれど、前より長く残っている火だ。


「殿下」

 フィアナが静かに呼ぶ。


「何だ」


「ここまで来ました」


 その言葉に、レオンは少しだけ横を見る。


 フィアナの横顔はいつものように整っていた。

 でも声の温度が、前と少し違う。


「まだ途中だ」

 とレオンは答える。


「はい」

 フィアナは頷く。

「ですが、途中まで来られたこと自体が、前はありませんでした」


 それは、彼女なりの実感なのだろうと思った。


 レオンは広場の灯りを見たまま言う。


「次は冬越えだ」

「配るだけじゃ足りない」

「火と鍋と人を持たせる」

「その間に、春へ繋ぐ土台も作る」


「名簿も要ります」

 とフィアナ。


「分かってる」


「炊き出しが本格化すれば、不満も増えます」


「知ってる」


「王都からの目も、いずれ来ます」

 今度はセリスだった。


「それも」

 レオンは短く答えた。


 問題は山ほどある。

 冬の間に全部片づくはずもない。


 でも、今はただの絶望ではない。

 次にやるべきことが見えている。


 それだけで、人は少し進める。


 レオンは歩き出した。


「戻るか」


 三人が動く。

 広場の灯りが背後へ下がる。


 その時、頬に冷たいものが一つ触れた。


 雨ではない。

 もっと軽くて、すぐ溶ける感触。


 レオンが空を見上げると、もう一つ白い粒が落ちてきた。


 フィアナも足を止める。


「……来ましたね」


「早いな」


「はい」


 最初の雪だった。


 まだ一片。

 まだ静かだ。

 でも、待ってはくれない冬が、ようやくここまで来た。


 領都の小さな灯りの上へ、白いものがゆっくり降り始める。


 次は、その灯りを消さない話になる。


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