第73話 口を割らない首領
夜が明けても、山の冷たさは領都までついてきていた。
押収した荷は第三倉の仮置き場へ回され、紙束はセリスの机へ積まれ、縛られた連中は古い兵舎の一室へ押し込まれている。
勝った、というより、散らばったものを朝までに拾い集めたという感じだった。
レオンはその兵舎へ入った。
藁の上に、ヴォルフ・ライナーが座っている。
顔の傷。
無精髭。
昨夜見たままの、妙に冷たい目。
縄はかかっているが、怯えてはいない。
こういう場に慣れている人間の顔だった。
ドルクが壁際に立ち、兵が二人、扉の外を固める。
フィアナとセリスも一緒だった。
レオンは椅子に座らなかった。
立ったまま、男を見る。
「名は」
「昨夜聞いただろ」
ヴォルフは唇の端をわずかに上げた。
「覚えが悪い王子か」
「確認してるだけだ」
「ヴォルフ・ライナー」
男は肩をすくめる。
「で、次は誰に雇われたか、か?」
話が早い。
でも、それは答えるつもりがない人間の早さでもあった。
レオンは頷く。
「誰に金をもらってる」
「金は色んなところから流れる」
ヴォルフは淡々と言う。
「腹が減った連中に、腹を満たすだけだ」
「領地の荷を抜いてか」
とフィアナが冷たく返した。
ヴォルフは彼女を見る。
「飢える前に、売れる方へ回しただけだろ」
ドルクの眉がぴくりと動いた。
殴りかねない空気だったが、レオンが先に口を開く。
「その理屈で何人食わせた」
「さあな」
「何人削った」
ヴォルフは返さなかった。
代わりに、わずかに笑う。
その笑い方で分かった。
こいつは、自分のしてきたことを悪だとも善だとも思っていない。
流れの中で、一番金になる側へ乗ってきただけだ。
そういう相手は、痛めつけても口を割らない。
割るとしても、嘘と本当を混ぜる。
セリスが紙を一枚めくった。
「倉に残っていた刻限表です」
「北門、旧関所道、境界手前の受け場」
「少なくとも三回分は記録が残っています」
「でも名前はない」
とレオン。
「ええ。書く方も馬鹿ではありませんので」
ヴォルフが鼻で笑った。
「賢いだろう?」
「お前が書いたわけじゃないだろ」
レオンは言う。
それで、男の目が一瞬だけ細くなった。
当たりだ。
実務の紙は、現場の実働より別の手が作る。
ヴォルフはそこまで深く関わっていない。
なら、こいつの価値は“黒幕の名”ではなく、“どこまでの荷と支給を受けて動けていたか”の方にある。
レオンは兵へ顎を向けた。
「昨日、こいつの荷と装備を全部集めたな」
「はい」
「こっちへ」
しばらくして、机代わりの板の上に回収品が並べられた。
短剣。
外套。
靴。
干し肉。
乾豆。
油紙。
通行札の束。
そして、馬具の一部。
レオンは一つずつ見た。
戦利品として見るのではない。
どこから食わせ、どこから通し、どこで立たせたかを見る。
干し肉は山中で作った粗末なものではない。
塩の回り方が均一だ。
しかも二種類ある。
一つはフェルドで出回っていた粗塩。
もう一つは、もっと細かく乾いた外の塩だ。
靴底の打ち直しも揃いすぎている。
寄せ集めの盗賊なら、ここまで似ない。
「食わせてるな」
とレオンは呟いた。
フィアナもすぐ気づく。
「ええ。山に潜る連中へ、定期で物が入っている」
「しかも急ごしらえじゃない」
セリスが続けた。
「昨夜の倉だけで回していたなら、装備の揃い方が不自然です」
ドルクがヴォルフを見る。
「領内の抜き荷だけじゃ足りなかったわけだ」
男は黙った。
レオンは通行札を手に取った。
見た目は正規のものに近い。
ただし、紙質が少し違う。
古い様式を真似ているが、角の切り方が揃っていない。
「偽造か」
「完全な偽造ではなく、流れた正規札の再利用でしょう」
とセリス。
「関所の中に手がいないと、数は揃いません」
レオンはヴォルフに視線を戻す。
「誰が渡した」
「知らんな」
「お前は物だけ受け取った?」
「そういう商いもある」
「商い、か」
フィアナの声が少しだけ低くなる。
「領地の冬を削ることを、ずいぶん綺麗に言うのですね」
ヴォルフは彼女を見返した。
「綺麗にしてるのは、王都の連中だろ」
その一言で、部屋の空気が変わった。
ドルクが一歩出かける。
だがレオンは手で止めた。
王都。
今のは挑発かもしれない。
あるいは、半分だけ本当かもしれない。
でも、この場でそれを追っても浅い。
「喋らせるのは後でいい」
レオンは言った。
ドルクが怪訝そうに振り向く。
「後で?」
「こいつの口から最初に出るのは、たぶん値段の高い嘘だ」
ヴォルフの目がわずかに動いた。
それだけで十分だった。
「だったら先に、食わせてた方を詰める」
セリスがすぐ理解したらしい。
「支給品、通行札、靴の打ち直し、塩の質」
「それと紙だ」
レオンは頷く。
「誰が山へ物を入れられたか。誰が門を通せたか」
フィアナが静かに言う。
「関所の名簿ですね」
「そうなる」
ヴォルフは初めて、少しだけ嫌そうな顔をした。
口を割らない自信はある。
でも、口以外から線をたどられるのは面倒なのだろう。
レオンはその顔を見て、確信する。
こいつは黙る。
黙いたままでも、誰かが助けてくれると思っているわけではない。
ただ、今までのやり方ならそれで十分だった。
だからこそ、そこを外す。
「ヴォルフ・ライナー」
レオンは名を呼んだ。
男が顔を上げる。
「お前を喋らせることに、最初から賭けてない」
短い沈黙のあと、ヴォルフが小さく舌打ちした。
初めて、少しだけ勝った気がした。
兵舎を出ると、朝の空気はまだ薄く冷たい。
でも頭は夜より動いた。
セリスが紙束を抱え直す。
「実務室へ戻りますか」
「戻る」
「ヘルマンも呼びます」
とフィアナ。
「古い勤務様式は、あの人の方が早いでしょう」
「マルタにも」
レオンは付け足した。
「荷札と倉の控えを見たい」
ドルクが腕を組む。
「兵はどうします」
「残党狩りは続けろ」
レオンは言う。
「でも山だけ見るな」
「門、倉、道。人が動けるところ全部だ」
「はい」
ドルクは頷いた。
昨夜より返事が早い。
領都へ戻る途中、レオンは一度だけ空を見た。
昨日までただの盗賊退治だった話が、もう違うものへ変わっている。
飢えを削る線。
門を抜く線。
境界を越える線。
それを一つずつ切るなら、必要なのは怒りより照合だ。
面倒だな、と彼は思う。
でも、こういう面倒を順番で潰すのは、嫌いじゃない。
嫌いじゃないことが、少しだけ嫌でもあった。
実務室へ入ると、暖炉の前にヘルマンがもう座っていた。
話を聞きつけたらしい。
「首はどうでしたかな」
「固い」
とレオン。
「では紙ですな」
老人は少しだけ口元を上げた。
「結局、そちらへ戻る」
「最初からそのつもりだ」
机の上へ、回収した通行札と押収品が並べられていく。
そしてセリスが、関所勤務の名簿束を持って入ってきた。
紙が揃う。
線が揃い始める。
今度こそ、山ではなく門から詰める番だった。




