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捨てられ第三王子は、信頼を取り戻したいだけなのに、崩壊寸前の辺境領と婚約破棄寸前の令嬢まで任されました  作者: 玖城イサ
第一章

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第72話 初陣の終わり

 


 古い橋跡は、橋と呼ぶにはもう痩せすぎていた。


 丸太は半分落ち、残った部分も黒く腐っている。

 沢は深くない。

 だが夜に飛び越えるには嫌な幅だ。


 そこに、三つの影が詰まっていた。


 先頭の男――ヴォルフが、渡るか戻るかの半歩で止まっている。

 後ろの二人は焦り、前へ押し気味だ。

 その更に横、炭焼き道の茂みからカイルたちが槍を向けていた。


 間に合った。


 だが完全ではない。

 カイルの袖が裂けている。

 浅いが、血が出ていた。


 ヴォルフが舌打ちする。


「……餓鬼まで回してたか」


「餓鬼で悪いか」

 とカイルが吐き返す。

 声は震えていたが、槍先は下がらない。


 ヴォルフの目が細くなる。

 一番楽な獲物を見た目だ。


 その瞬間、ドルクが横から飛び出した。


 ぶつかる。

 短い斬り合い。

 金属音が二つ。


 ヴォルフは強かった。

 軽鎧の上からでも動きが鈍らない。

 短剣ではなく、片手剣を使う。

 無駄がない。


 元傭兵。

 その設定が、何となく見えた。


 だが、強くても一人だ。


 後ろの二人は、もう最初からヴォルフの味方ではなかったらしい。

 片方は橋跡の脇へ逃げようとして、カイルの仲間に叩き伏せられる。

 もう片方は、ヴォルフの背を見て止まった。


「置いてく気かよ……!」


「足手まといはいらん」

 ヴォルフは振り向きもせずに言った。


 その一言で、全部が切れた。


 後ろの男が怒鳴りながら掴みかかる。

 ヴォルフは振り払いざまに肘を入れた。

 男は沢へ落ちる。

 水音。


 冷たい。

 深くはない。

 でも、もう戦える落ち方じゃない。


 レオンはそこで橋跡へ着いた。


 息が上がる。

 足場は悪い。

 剣を抜いて前に出る場面ではない。


 だからこそ、声を使う。


「ドルク、押すな」

「カイル、左を切れ」

「前へ出すぎるな。飛ばせるな」


 三方向から圧が変わる。


 ドルクが正面で刃を受ける。

 カイルが左へ回る。

 もう一人が右手の退き道を塞ぐ。


 ヴォルフの立ち位置が、橋跡の手前で固定された。


 男はそこで初めて、レオンを見た。


「王子か」


「そうだ」


「前に出ない王子だな」


「必要がないからな」


 ヴォルフは鼻で笑った。

 だが笑いは短い。


 彼も分かっている。

 ここで欲しいのは挑発に乗る相手ではない。

 逃げ道の一つも残さない相手だ。


「荷は諦めろ」

 レオンは言う。

「道も、馬も、紙も押さえた」

「お前が今から取れるのは、怪我だけだ」


 ヴォルフの視線が、一瞬だけ揺れる。


 紙。

 そこに反応した。


 やはり首領格だ。

 ただの腕自慢ではない。

 何を持ち帰るべきだったかを知っている。


「生かしておけば喋ると思うなよ」

 とヴォルフは低く言った。


「今はそれでいい」

 レオンも同じ温度で返す。

「喋らないなら、別のところから詰める」


 その一言で、男の目が変わった。


 脅しではなく、本気だと分かった顔だった。


 次の動きは早かった。


 ヴォルフが橋跡を飛ぶ。

 前ではない。

 横だ。

 沢沿いの細い岩へ移ろうとした。


 だが足場が凍っていた。


 靴が半歩だけ滑る。


 その半歩を、ドルクは待っていた。


 体当たり。

 剣を払う。

 肘で顎を打つ。


 ヴォルフが崩れる。

 それでも地面へ手をつき、まだ立とうとする。


 カイルが槍の石突を肩へ叩き込んだ。

 男の腕から剣が落ちる。


 一拍遅れて、沢の水音と荒い息だけが残った。


「生きてるか」

 とレオン。


 ドルクが男の喉元へ手を当てる。


「生きてます」

「嫌なほど」


「縛れ」


 縄が回る。

 傷だらけの手首が固く締まる。


 ヴォルフは抵抗しなかった。

 代わりに、レオンを見上げた。


「勝ったつもりか」


 レオンは少しだけ息を整えてから答える。


「思ってない」

「お前一人で終わるなら、最初からここまで腐ってない」


 その返事に、ヴォルフは何も言わなかった。


 夜が少し薄くなっていた。

 東の端が白み始めている。


 倉へ戻ると、戦いはほぼ終わっていた。


 降った者が三人。

 倒れて動かない者が二人。

 逃げた者もいる。

 倉は焼けていない。

 荷と紙は残った。

 だが、完全な勝利ではない。


 前面班の若い兵が、腕を縛られて座っていた。

 血は止まりつつあるが、顔色は悪い。


 レオンはその前で足を止める。


 兵は慌てて立とうとした。


「いい、座ってろ」


「……申し訳ありません」

 若い兵は唇を噛んだ。

「押さえきれず」


「生きてる」

 レオンは言った。

「今はそれで十分だ」


 言いながら、自分の声が少し硬いのが分かった。


 十分なはずがない。

 傷は残る。

 倒れた相手もいる。

 自分の手で斬っていなくても、自分の命令でこうなった。


 前世の会議では、人が倒れても数字でしか来なかった。

 今は違う。

 土の上に血がある。

 寒さの中で、息が白いまま止まる。


 勝った、という実感が薄いのはそのせいだった。


 フィアナが横に立つ。


「初陣ですね」


「……あまり、いい気分じゃないな」


「その方がいいです」

 彼女は短く言った。

「軽く思わない人の方が、次を間違えにくい」


 慰めではない。

 事実だった。


 レオンは小さく息を吐く。


「逃げた残りは」


「夜明け後に追跡します」

 とドルクが答える。

「でも、網はだいぶ切れました」

「荷も紙も、首も取れた」


 十分だ、と誰かが言ってもおかしくない戦果だった。


 それでもレオンは、頷くだけにした。


 やがて縄で縛られたヴォルフが、兵に引かれて倉の前へ連れて来られる。


 顔の傷。

 無精髭。

 濃色の外套は泥と血で汚れていた。


 フィアナが男を見て、静かに言う。


「この顔、領内では見ません」

「外から入った実働です」


「だろうな」

 とレオン。


 セリスも後方から上がってきた。

 回収された紙束を抱え、冷えた目でヴォルフを見る。


「帳面の方は残っていました」

「こちらは逃げませんでしたよ」


「助かる」


「喋る方は?」


 レオンは首領格の男を見る。


 ヴォルフ・ライナーは、唇の端の血を拭いもしない。

 ただこちらを値踏みする目だけを残している。


「明日だな」

 とレオンは言った。

「今夜はもういい」

「まず戻して、倉と関所の記録を突き合わせる」


 セリスが小さく頷く。

 フィアナも反対しない。


 拷問で口を割らせるより、先に線を固める。

 この戦いのやり方と同じだった。


 東の空がさらに白む。

 夜襲は終わった。


 けれど終わったのは、ただの戦いだけだ。

 本当に切るべきものは、これから紙と名簿の中に出てくる。


 兵に押され、ヴォルフが歩き出す。


 首領格の男は、一度も口を開かなかった。



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