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捨てられ第三王子は、信頼を取り戻したいだけなのに、崩壊寸前の辺境領と婚約破棄寸前の令嬢まで任されました  作者: 玖城イサ
第一章

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第70話 補給を断て

 

 倉の中で怒鳴り合う声を聞きながら、レオンは先に右手を切った。


「馬だ」

「まず馬を取れ」


 前面の兵が一瞬きょとんとした顔をする。

 目の前に敵がいるのに、先に馬と言われたからだ。


 だがドルクはすぐ理解した。


「カイル! 荷具ごと引け!」

「餌袋もだ、残すな!」


「はい!」


 若い巡回兵たちが、倉脇の屋根下へ滑り込む。

 そこには思った通り、逃走用に残していた馬が二頭つながれていた。


 一頭が暴れる。

 鼻息が荒い。

 綱を切ろうとした盗賊が、扉の陰から飛び出した。


「触るな!」


 カイルが槍の石突で相手の膝を払う。

 男は雪混じりの土へ倒れ込み、すぐに別の兵が押さえつけた。


 馬が引かれていく。

 餌袋も、替えの縄も、矢束も奪われる。


 倉の中から、はっきりと焦りの色が変わった。


「おい、待て!」

「馬が――」


「正面を開けろ!」


 声が荒い。

 だが命令が一つにならない。


 レオンはそこで初めて、前面班へ次の指示を送る。


「扉は破るな」

「出てきたやつだけ止めろ」

「中へ入るな」


 兵が眉をひそめた。


「中に押し込めるだけでよろしいのですか」


「いい」

 レオンは短く答える。

「こっちから詰める必要はない」

「向こうに、詰まってもらう」


 言葉が届いたかどうかは分からない。

 でも動きは届いた。


 前面班は扉前の距離だけを保つ。

 刺さない。

 追わない。

 逃げようとした時だけ叩く。


 その中途半端さが、逆に倉の中を苛立たせた。


「何だこの戦い方は……!」


 倉の横の小窓から腕が出る。

 油壺を投げようとしたらしい。


 だがその瞬間、フィアナが言った。


「左上」


 レオンは迷わず指す。


「窓だ。腕だけ落とせ」


 槍の穂先が伸びる。

 油壺が地面へ落ち、割れる。

 中身は少ない。

 火はつかない。


 フィアナが険しい顔で呟いた。


「倉に火をつけて逃げる気もあります」


「だろうな」


 荷より紙を燃やしたいのか。

 自分たちの痕跡を消したいのか。

 たぶん両方だ。


 だからこそ、中へ飛び込まない。


 中で火を使えば、自分たちも困る。

 その不自由も、こちらの手札になる。


 ドルクが倉脇へ戻ってくる。

 肩で息をしていたが、声は落ち着いていた。


「馬二頭、確保」

「餌袋六、矢束二、縄と荷具も押さえました」


「負傷は」


「軽いのが一人」

「腕を切られただけです」


 レオンは短く頷いた。

 良いとは言えない。

 でも崩れてはいない。


 その時、倉の中から別の怒鳴り声が響いた。


「荷を捨てるな!」

「約束が違うぞ!」


 それに重なるように、低くしゃがれた声が飛ぶ。


「黙って前を割れ」

「袋は後だ」


 空気が変わった。


 今の声だけ、他より通る。

 怒鳴っているのに無駄に散っていない。


 レオンは扉の隙間を見た。

 薄い灯りの奥で、濃い色の外套が一瞬だけ動く。

 背は高くない。

 だが立ち方に迷いがない。


「首領格か」

 とレオンは呟く。


 ドルクも見たらしい。


「ええ」

「現場慣れしてます」


 倉の中で短い殴打音がした。

 誰かが誰かを黙らせたのだろう。


 次いで、扉が内側から一気に開く。

 三人が袋を抱えて飛び出してくる。

 逃げるのではない。

 右手の獣道へ流そうとしている。


「荷を運ぶな!」

 レオンが声を飛ばす。

「袋を切れ。人を追うな」


 兵が一瞬迷う。


 普通なら荷を守る。

 奪い返す。

 それが分かりやすい。


 だが今必要なのは、運ぶ意味そのものを消すことだった。


 前面班のひとりが袋を槍先で裂く。

 中身は乾豆だった。

 白い粒が土へ散る。


 担いでいた男が思わず足を止める。

 その脇を、別の兵が肩からぶつけて転がした。


 二つ目の袋も裂ける。

 塩がこぼれる。

 もう担いで逃げる物ではなくなる。


 荷を失った瞬間、人は急に“自分だけ助かる”方へ傾く。


 それを、倉の中の連中も見た。


「何やってやがる!」

「荷が――!」


「捨てろ! 足を取られる!」


 また声が割れる。


 レオンは冷えた岩に手を置いたまま、その崩れ方を見ていた。


 補給を断つ。

 大仰な話ではない。


 食う物。

 走る馬。

 運ぶ袋。

 燃やす油。

 逃げる道。


 人が“まだ戦える”と思う理由を、一つずつ外すだけだ。


 正面から斬り合うより地味だ。

 派手な武勲にもならない。

 でも、崩れる時はこっちの方が早い。


 フィアナが小さく息を吐く。


「……内側で、もう利害が分かれていますね」


「ああ」

 レオンは答えた。

「盗賊じゃなく、寄せ集めの商売人だ」

「得が薄くなれば割れる」


 その予想を裏づけるように、倉の中から悲鳴が上がった。

 刃物の音が一つ。

 それから、床を引きずるような音。


 カイルが顔をこわばらせる。


「中で……やり合ってます」


「前へ出るな」

 レオンは即座に言った。

「今は向こうに決めさせろ」


 正面から潰すより、混乱の向きを見た方がいい。


 やがて扉の隙間から、誰かが這うように出てきた。

 腹を押さえている。

 仲間に切られたらしい。


「た、助け……」


 兵が動こうとする。


 レオンは一拍だけ考え、頷いた。


「引け」

「ただし倉へ近づくな」


 這い出た男が引きずられてくる。

 血の匂いが夜気に混ざった。


 軽くない。

 それでも、ここで見捨てると次の降伏が遠のく。


 倉の中で、今度ははっきりと名前が飛んだ。


「ヴォルフ!」

「もう無理だ!」


 濃い外套の男が、扉の奥で一度だけ振り向いた。

 顔に傷。

 無精髭。

 そして目だけが、妙に冷たい。


 レオンはその顔を覚えた。


 あれが、今夜押さえるべき首だ。



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