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捨てられ第三王子は、信頼を取り戻したいだけなのに、崩壊寸前の辺境領と婚約破棄寸前の令嬢まで任されました  作者: 玖城イサ
第一章

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第69話 夜の合図

 


 レオンは手を下ろした。


 それだけで、山の闇が動いた。


 裏へ回っていた班が、草を踏む音すら殺して倉の背へ滑る。

 尾根道を塞ぐ班も、もう配置についている。


 先に落ちたのは、裏の見張りだった。


 短い揉み合い。

 くぐもった息。

 それで終わるはずだった。


 だが次の瞬間、もう一人が倒れ際に木箱を蹴った。

 乾いた音が山に弾ける。


 倉の前で焚かれていた小さな火の脇で、槍持ちの男が顔を上げた。


「何だ?」


 扉が半分開く。

 中の灯りが漏れる。


 ドルクが低く手を振る。

 前面班が一歩だけ進む。


 そこで、レオンが止めた。


「まだだ」


 すぐ横の兵へ短く言う。


「前は見せるだけでいい」

「撃たせるな。裏を先に締める」


 兵は頷いて走った。


 前面から突っ込めば、倉の中にいる連中はすぐ山腹へ散る。

 今欲しいのは、驚かせることじゃない。

 逃げる向きを決めさせることだ。


 倉の前の男が、ようやく異変に気づいたらしい。

 火の明かりの向こうへ目を凝らし、声を荒げる。


「誰だ、そこに――」


 その声の途中で、矢ではなく投げ縄が飛んだ。

 首ではない。

 腕だ。

 槍ごと絡め取り、男を前へ引き倒す。


 荒っぽいが、殺しに行っていない動きだった。


 もう一人が倉へ飛び込もうとする。

 だがその前に、脇の影からドルクが出た。

 肩からぶつかり、男を扉へ叩きつける。


 鈍い音。

 呻き。

 そして、ようやく倉の中から本当の騒ぎが起きた。


「外だ!」

「見張りは何してる!」


 レオンは高い岩陰から全体を見る。


 前面、動揺。

 裏面、制圧半分。

 尾根道、合図なし。


 悪くない。


「カイル」


「はい」


「前へ行くな」

「右の物置を押さえろ。馬と荷具がある」


 カイルは一瞬だけ正面を見た。

 目の前の喧騒へ飛び込みたい顔だった。


 だが、歯を食いしばって頷く。


「……分かりました」


 若い。

 でも止まった。

 それで十分だった。


 倉の横手には、昼間に見た小さな屋根付きの荷置きがある。

 馬具、干し草、替えの縄、矢束。

 逃げる連中がまず欲しがる物だ。


 正面の扉から二人飛び出してくる。

 片方は短剣、片方は手斧。

 前面班が槍を突き出すと、相手はそこで止まった。


 怯んだのではない。

 数を見た。


 正面は薄い。

 押せば抜ける。

 そう思った顔だった。


 だがその時、裏手から別の叫びが上がる。


「後ろだ! 後ろもいる!」


 男たちの視線がぶれた。


 正面を抜くか。

 中へ戻るか。

 荷を守るか。

 逃げるか。


 その半拍の迷いを、レオンは見逃さなかった。


「前へ半歩」

「刺すな。押し返せ」


 命令が走る。


 前面班が盾代わりの板を出し、扉前へ圧をかける。

 槍で貫くのではなく、倉の中へ押し戻す形だ。


 手斧の男が怒鳴る。


「突っ込め! 数は多くねえ!」


 その言葉自体は正しい。

 数だけなら、こちらも潤沢じゃない。


 でも相手は、もう全体を見られていない。


 裏で何人落ちたのか。

 尾根道が空いているのか。

 馬は無事か。

 それが分からないまま、声だけが荒くなっている。


 ドルクが倒した男を引きずり、倉の脇へ転がす。

 生きている。

 口も使える。


「殿下」

 と下から声が飛ぶ。

「裏、あと一人です!」


「灯りを消すな」

 レオンは返した。

「見せたまま囲え」


 暗くすると、相手に目だけを使わせてしまう。

 今は逆だ。

 明かりの中で、自分たちの不利を見せつけた方がいい。


 フィアナが少し離れた岩の陰で、地図ではなく実際の斜面を見ていた。

 声は低い。


「右下の切れ込み、獣道になっています」

「倉から飛び出すなら、あそこへ流れる可能性が高いです」


「尾根道の次か」


「ええ」

「知っている人間なら」


 レオンは頷く。


 この場で一番山を知っているのは、兵でも自分でもなく彼女だ。

 それを使わない理由はない。


「右下へ一人回せ」

「見張るだけでいい。まだ動くな」


 合図が飛ぶ。


 その直後、倉の中で何かが倒れた。

 怒鳴り声。

 袋の裂ける音。


 もう、まとまっていない。


 レオンは冷たい空気を吸い込む。


 初めての実戦。

 でも剣を抜いて前へ出る気にはならなかった。


 今必要なのは、自分が強そうに見えることじゃない。

 この乱れた音の中から、どこを塞げば崩れるかを見ることだ。


 前世でやっていたのも、結局は似たようなことだった。

 怒鳴る会議の中で、どの数字が止まれば全部が止まるかを見る。

 違うのは、今度は本当に血が出ることだけだ。


 倉の扉が内側から強く閉められる。

 だが閉まりきらない。

 ドルクがさっき倒した男の槍が、敷居に引っかかったままだった。


 中から苛立った声が響く。


「馬を出せ!」

「先に荷札だ!」

「馬鹿、紙を残すな!」


 レオンの目が細くなる。


 紙。

 馬。

 荷札。


 やはりただの山賊じゃない。


「始まったな」

 とフィアナが低く言う。


「ああ」


 勝負は、まだこれからだった。



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