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捨てられ第三王子は、信頼を取り戻したいだけなのに、崩壊寸前の辺境領と婚約破棄寸前の令嬢まで任されました  作者: 玖城イサ
第一章

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第68話 夜襲準備

 

 領都へ戻る頃には、夜が完全に落ちていた。


 実務室の暖炉は焚かれている。

 でも、部屋の空気は山の冷たさを引きずっているみたいだった。


 机の上に広げられたのは、倉の見取りと山道の地図。

 ドルクが粗い線で見張り位置を書き込み、カイルが逃げ道を二本記した。


 レオンは席につくなり言った。


「正面からは入らない」


 ドルクがすぐ頷く。


「でしょうね」


「表を騒がせるのは最後だ」

 レオンは地図の裏手を指す。

「先に潰すのは見張りと退路」

「倉そのものは逃げられなくしてから触る」


 カイルが目を丸くする。

 若い兵には、まだその順番が少し意外らしい。


「荷を守るのが先では」


「荷は動かない」

 とレオンは答えた。

「人は動く」

「人を逃がすと、荷はいくらでも別で湧く」


 セリスが横から付け加える。


「机の紙も押さえたいですね」

「関所名と受け渡し刻限が残っていました」

「燃やされる前に取るべきです」


「そこも同意」


 フィアナは山腹への細道を見ていた。


「逃げ道は二本です」

「ひとつは北斜面へ下りる獣道」

「もうひとつは旧関所道のさらに裏、隣領側へ抜ける細い尾根道」


「後者を優先する」

 とレオンは言う。

「隣領へ抜けられる方が、次の線になる」


 ドルクが指を二つ立てる。


「分けます」

「俺が裏へ三人」

「カイルを尾根道へ二人」

「表は最後に四人」


「多くないか」

 とカイルが思わず言った。


 ドルクが即座に返す。


「多くねえ」

「騒がせる人数じゃなく、逃がさねえ人数だ」


 レオンはその言い方を止めなかった。


 戦の言葉としては荒い。

 でも今のフェルドの兵に要るのは、綺麗な号令より分かる順番だ。


「殺し切る必要はない」

 とレオンは言う。

「欲しいのは首じゃない」

「紙と、生きた口と、線だ」


 室内が少し静かになった。


 一部の兵は、こういう場で見せしめを求める。

 痛い目を見せた方が早いと考える者もいる。


 でもレオンはそこへ乗らない。

 恐怖は一晩で広がるが、秩序にはならない。


 フィアナが静かに頷いた。


「はい」

「今ここで必要なのは、怖さではなく切断です」


 その言葉に、ドルクが少しだけ口元を上げた。


「似た者同士ですね、二人とも」


「どこがだ」

 とレオン。


「嫌なところがです」


 セリスが小さく息を吐く。


「褒め言葉として受け取りましょう」


 短い笑いが一つだけ落ちた。

 それで十分だった。


 張りつめすぎた空気は、かえって手を鈍らせる。


 やがて兵が集まる。


 元兵士。

 巡回兵。

 人数は多くない。


 だが、前とは目が少し違っていた。


 最初の頃は、第三王子の思いつきに付き合わされている顔だった。

 今は違う。

 まだ全面の信頼ではない。

 でも、“この王子は順番を考えている”という理解が混じっている。


 レオンは立ち上がり、地図の前へ行った。


「確認する」


 声を張り上げない。

 でも、全員が聞く顔をした。


「正面へ入るのは最後だ」

「裏の見張りを落とす」

「尾根道を塞ぐ」

「倉に火はかけるな」

「紙と荷が要る」


 兵の一人が聞く。


「抵抗が強ければ?」


「無理に深追いするな」

 レオンは即答した。

「逃げる方向を切れ」

「散らすより、まとめて詰ませる」


 ドルクが補足する。


「殿下の言う通りだ」

「派手に斬る場じゃねえ」

「動きを止める場だ」


 兵たちが小さく頷く。


 レオンはその顔を見た。


 前世では、こういう視線を向けられることは少なかった。

 指示を出しても、最後の責任だけ被る側だった。

 でも今は違う。


 自分が決めた順番で、人が動く。

 その重さは、思っていたよりずっと冷たかった。


 間違えれば誰かが死ぬ。

 正しくても、死なない保証はない。


 それでも決めるしかない。


 フィアナが隣へ来た。


「私は後方で紙の受けをします」

「倉の中から出た札や名簿は、すぐにこちらへ」


「頼む」


「殿下」

 彼女は少しだけ声を落とした。

「前に出すぎないでください」


「分かってる」


「本当に?」


「今回は、本当に」


 短いやり取りだった。

 だがそれで十分だった。


 レオンが前へ出る役ではない。

 この戦いで必要なのは、槍先より全体の順番を見る目だ。

 それはもう、自分でも分かっていた。


 セリスが最後の確認書きを畳む。


「では、始めましょう」


 外へ出ると、夜気が刺すように冷たい。


 空は晴れていた。

 月は細い。

 山影は黒い。


 倉のある方角は、領都から見ればただの暗がりだ。

 だが今夜は、その暗がりの中に、奪われた荷と裏の流れが眠っている。


 ドルクが兵を分ける。

 カイルが尾根道班を受ける。

 ノアは今回は領都に残し、商人側の耳を塞ぐ役へ回した。


 役割が切られていく。

 誰が何を見て、どこで止めるか。

 それが決まるたびに、場の迷いが減っていく。


 最後にレオンは、山の方を見た。


 正面からぶつからない。

 逃げ道から切る。

 紙を押さえる。

 人を残す。


 勝つためというより、繰り返させないための順番だった。


 ドルクが低く言う。


「殿下」


「何だ」


「兵が、待ってます」


 レオンは頷いた。


 待っている。

 自分の剣ではなく、自分の指示を。


 その事実が、今さら少しだけ重かった。


 彼は兵たちの前へ出る。


「行く」

 それだけ言った。


 余計な言葉はいらない。

 今夜必要なのは、熱ではなく順番だ。


 兵たちは黙って動いた。


 山へ向かう。

 音を殺して。

 灯りを隠して。

 退路を先に潰すために。


 黒い斜面の上で、最初の配置がつく。


 裏の見張りへ回る班。

 尾根道を塞ぐ班。

 正面で待つ班。


 そしてレオンは、一番高い岩陰で全体を見渡した。


 倉の灯りが、木の間に小さく滲んでいる。


 あそこだ。


 領地の飢えから抜かれた荷が集まり、別の金に変わる場所。

 ただの盗賊の巣ではない。

 回らない仕組みにぶら下がる、もう一つの流れだ。


 今夜、それを切る。


 レオンが手を上げる。


 まだ合図は出さない。

 全員の位置が噛み合うまで待つ。


 山の空気は冷たい。

 兵の息が白い。

 倉の灯りはまだ揺れている。


 やがて、尾根道側の闇で小さな布が一度だけ動いた。


 配置完了の合図だった。


 レオンは息を吸う。


 次に下ろす手で、夜襲が始まる。


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