第67話 山中の倉
山へ入ったのは、日が沈みきる少し前だった。
先に進んでいるのはドルクと二人の巡回兵。
少し離れてレオン、フィアナ、セリス。
後ろにカイルがつく。
数は多くない。
多ければ気配になる。
足元の土は冷えている。
踏みしめるたびに、湿った葉が小さく潰れた。
旧関所道は、本当に道だった痕跡だけが残っていた。
幅は狭い。
でも馬一頭と小車なら通せる。
表の北道ほど整っていないぶん、かえって人目を避けるには向いている。
「嫌な道です」
とフィアナが低く言った。
「使われてたのか」
とレオン。
「昔は、冬に本筋が止まった時の補助道でした」
「ただ、維持費がかかるので閉じたはずです」
「閉じた道ほど、裏で生きる」
セリスが淡々と挟む。
前世でもよくあった。
廃止したはずの手順。
使っていないはずの権限。
表から消えたものほど、裏では都合よく生き残る。
やがて、先を行っていたドルクが手を上げた。
全員が止まる。
前方、木立の奥にわずかな灯りがあった。
焚き火ではない。
揺れが小さい。
囲われた灯りだ。
レオンたちは身を低くして進む。
斜面の先、木々が切れた場所に、石造りの建物が見えた。
倉だった。
大きくはない。
だが山中の仮小屋にしては壁が厚い。
荷を湿らせず、しばらく置くための作りだ。
戸は半分開いている。
脇には小さな荷車が一台。
馬はいない。
代わりに、荷を引きずった跡が地面に残っていた。
ドルクが口の中だけで言う。
「当たりですね」
レオンは頷いた。
倉の前には男が二人いた。
見張りだ。
片方は槍。
もう片方は弓。
ただの野盗の格好ではない。
揃ってはいないが、寄せ集めより手慣れている。
さらに耳を澄ますと、倉の中にも声がある。
三人、いや四人か。
「荷を数えてる」
カイルが小さく言った。
レオンも聞き取った。
袋数。
布の巻数。
その言い方が妙に実務的だった。
野盗なら、まず取り分や酒の話が出る。
でも今聞こえるのは、積み替えの順番だ。
フィアナの目が冷える。
「やはり、売る前提です」
レオンは倉の裏へ回り込むよう、目で合図した。
ドルクとカイルが二手に分かれる。
裏手へ寄ると、そこにはさらに嫌なものがあった。
木箱。
麻袋。
それに、刻印を削った跡のある荷札。
ひとつを手に取る。
削り切れていない文字が残っていた。
フェルド領都第三倉。
レオンは無言でそれを見た。
前に奪われた塩と布だけじゃない。
もっと前から抜かれた荷も混ざっている。
別の袋には新しく焼印が押されていた。
フェルドの印を潰し、その上から別の商印を重ねている。
ノアの家の印ではない。
領都の小口でもない。
見覚えのない、隣領側のものだった。
「隣領へ流してる」
とセリスが囁く。
「ええ」
フィアナの声は張りつめていた。
「しかも、その場で積み直している」
倉の中を覗く。
そこには、持っていかれたはずの塩袋。
布。
縄。
それに、まだフェルドの印が残るままの乾豆まであった。
前回襲われた便の残りだ。
さらに奥の机には、通行札の束が置かれている。
レオンは思わず目を細めた。
「……通行札まであるのか」
「関所を抜けるためですね」
とセリスが言う。
「表で止めず、別名目で流すための」
フィアナは机の端の紙を一枚取り上げた。
そこに書かれていたのは、簡単な荷目と日付。
そして境界近くの受け渡し刻限。
「実務です」
彼女は低く言った。
「ただの盗品置き場ではありません」
「中継倉か」
とレオン。
「はい」
フィアナは頷く。
「奪う」
「選ぶ」
「印を変える」
「外へ流す」
「その全部の途中です」
そこまで来た時、倉の中から別の声が聞こえた。
「関所の方は?」
「朝の便は噛んだ」
「次は夜でいい」
短い。
だが十分だった。
関所。
朝の便。
噛んだ。
線が、はっきり繋がった。
ドルクが戻ってくる。
表情がいつも以上に固い。
「裏に逃げ道があります」
「細いが、山腹へ抜ける」
「馬なしなら十分逃げられる」
「見張りは?」
「二人」
レオンは倉を見た。
盗賊拠点。
そう呼ぶことはできる。
でも本質はそこじゃない。
ここは、領地から奪った物資を商いへ戻す場所だ。
飢えを削って作った、裏の市場だった。
前世の記憶が嫌な形で重なる。
表で足りないと言い、裏で抜く。
制度の穴に人がぶら下がり、崩れかけた仕組みからまだ絞る。
倉の奥から、もう一つ声が聞こえた。
「次は関所側から二台だ」
レオンの目が変わる。
次。
まだ終わっていない。
今夜ここを見つけただけでは、また別の荷が抜かれる。
フィアナも同じ結論に至ったらしい。
「今夜で切るべきです」
「そうだな」
レオンは短く答えた。
ただし、正面から踏み込めば逃げられる。
この倉ひとつ焼いて終わるなら、それでもいい。
でも欲しいのは荷だけじゃない。
人も、紙も、逃げ道も押さえたい。
つまり必要なのは、戦い方の順番だった。
レオンはもう一度、倉の構造を目で追った。
表の見張り。
裏の見張り。
山腹への逃げ道。
机の紙。
積み替え前の荷。
正面からぶつかるのが、一番下手なやり方だった。
「戻る」
と彼は言った。
カイルが驚く。
「今、踏み込まないんですか」
「踏み込んで半分逃がしたら、明日からまた潜る」
レオンは倉から目を離さずに言う。
「切るなら、逃げる先からだ」
ドルクの口元がわずかに動いた。
否定ではない。
ようやく納得した顔に近かった。
山中の冷気が強くなる。
日が落ちる。
倉の中の灯りはまだ揺れている。
今夜、ここはまだ生きている。
だからこそ、今夜のうちに潰す価値があった。




