第61話 消えた輸送隊
試験便が出てから二日目の夕方、実務室の空気は朝より重かった。
机の上には、出発前に作った控えがまだ残っている。
路線。
荷目。
確認所。
戻り報告の時刻。
紙の上では、もう帰ってきていていい頃だった。
レオンは窓の外を見た。
空は低い。
雪になるにはまだ早いが、明るい色でもない。
「北門からは?」
フィアナが机の向こうで答える。
「まだです」
「最初の確認所からの伝令は来ました」
「村までは荷が届いています」
「その先がない」
「はい」
それが嫌だった。
届いた。
そこまではいい。
だが戻りがない。
荷を届けた後の帰路で切れているなら、ただの遅れより筋が悪い。
セリスが紙を一枚差し出した。
「一つ目の確認所からの控えです」
「一号車と二号車は通過記録あり」
「三号車は戻り便の余地を残したまま、後から合流予定」
「ですが、二つ目の確認所からは報告がありません」
「途中で止まったか」
とレオンが言う。
「その可能性が高いですね」
セリスの声はいつも通り乾いている。
「問題は、どこで、どう止まったかです」
ドルクが壁際で腕を組んだまま言った。
「道が崩れたなら、もっと早く人が飛んできます」
「完全に遅れてるだけって感じじゃない」
レオンも同感だった。
山道は遅れる。
だが、完全に無言になる遅れ方には種類がある。
雪。
事故。
襲撃。
そして今のフェルドで、一番先に浮かぶのは最後だった。
扉の外が急に騒がしくなった。
足音が近づく。
兵の声。
誰かを支える音。
ドルクがすぐに扉へ向かい、半歩だけ開けた。
低く何かを確認する。
次の瞬間、その顔が少しだけ険しくなる。
「入れ」
中へ入ってきたのは、ノアだった。
深緑の外套は泥と乾いた血で汚れている。
左の袖が裂け、頬にも浅い傷が走っていた。
自分で歩けてはいる。
でも、無事と呼ぶには苦しい顔だ。
フィアナが立ち上がる。
「座ってください」
「水を」
ノアは礼もそこそこに椅子へ崩れるように腰を下ろした。
水差しを受け取って一口飲み、息を整える。
「……遅れました」
「言い訳は後でします」
「いい」
とレオンは短く言う。
「何があった」
ノアは頬の血を手の甲で雑に拭った。
「荷は半分、届きました」
「北道二筋へ回した分は、村まで入ってます」
「問題は帰りです」
やはりそこだった。
「戻りでやられたのか」
「はい」
ノアは頷く。
「二つ目の確認所を過ぎた先です」
「谷へ入る前、細い曲がり道で倒木がありました」
ドルクが眉をひそめる。
「自然のか?」
「切り口が綺麗すぎた」
とノアは言う。
「しかも、倒れ方がちょうど道を塞ぐ形です」
「荷車を止めるには、出来すぎてた」
室内が静かになる。
レオンは地図を引き寄せた。
確認所の先。
谷へ入る前の曲がり道。
確かに狭い。
荷車を止めるなら悪くない場所だ。
「そこで襲われた?」
「正面からじゃありません」
ノアの声が少し低くなる。
「倒木で止めて、こっちが降りたところへ横から石を落とした」
「馬が暴れて、一台が傾いた」
「その後に矢です」
ただの野盗なら、もう少し雑に来る。
脅して奪う。
驚かせて逃がす。
そういう荒さが出る。
だが今の話は違う。
止め方が先にある。
「何人いた」
とレオンが聞く。
「全部は見えてません」
「五、六で済まないのは確かです」
「山側に見張りもいた」
ドルクが舌打ちした。
「寄せ集めの野盗じゃねえな」
「俺もそう思います」
ノアは頷いた。
「しかも、積み方を知ってました」
「塩と布が載った車を真っ先に狙ってる」
フィアナの指先が地図の端で止まる。
「荷の中身まで読まれていたのですか」
「全部じゃない」
とノアは首を振る。
「でも、あの動きは当てずっぽうじゃない」
「少なくとも、どの車が軽くて、どの車に値があるかは見てた」
レオンは黙って聞いた。
脳裏に、出発前の数が浮かぶ。
時刻を知る者。
積み場を知る者。
路線を知る者。
絞ったつもりだった。
でも、ゼロにはできないと自分で言った。
その“できない”が、もう形になっている。
「被害は」
とレオンが聞く。
ノアは一拍置いて答えた。
「一台持っていかれました」
「塩と布、それから戻りで積む予定だった縄と袋もです」
「御者が一人、まだ戻っていません」
ドルクの顔が固くなる。
「生きてる見込みは」
「分かりません」
ノアは唇を噛んだ。
「俺たちは荷を捨てて散るしかなかった」
「戻り報告を優先して、一人を先に走らせたんですが……そいつも途中で見失った」
つまり、報告線まで切られかけたということだ。
セリスが静かに言う。
「襲撃地点が、都合よすぎますね」
「二つ目の確認所を過ぎた直後」
「こちらの巡回時間が薄くなる場所です」
ノアがすぐ顔を上げる。
「そうです」
「偶然にしては、ぴたりとはまりすぎてる」
フィアナが低く言った。
「誰かが、道の癖を知っていた」
「それも今の巡回の組み方まで含めて」
レオンは地図を見下ろしたまま考える。
盗賊の襲撃。
それだけなら珍しくない。
北ではそういう話が前からあった。
でも、今回は違う。
試験便だった。
時刻も絞った。
見せる人数も絞った。
その上で、二つ目の確認所を抜けた直後に止められている。
偶然では苦しい。
「生き残りは何人だ」
「俺と御者二人」
ノアが答える。
「一人は腕をやられて、今、門のところで手当てされてます」
「もう一人は落馬して歩けません」
「詳しい話は後で全員から取る」
とレオンは言った。
「今日は休め」
ノアが少しだけ笑う。
乾いた、疲れた笑いだった。
「休む前に一つだけ」
「殿下、あれは通りすがりの盗賊じゃない」
「待ってましたよ」
レオンは頷いた。
「俺もそう見る」
ノアが立ち上がろうとして、少しふらつく。
フィアナが支えるより先に、自分で机へ手をついた。
「次があるなら」
ノアはレオンを見る。
「今度は、出す前から見られてると思ってください」
そのまま兵に連れられて出ていく。
扉が閉まると、実務室の静けさがむしろ耳についた。
暖炉の火だけが、少し遅れて鳴る。
レオンは地図から目を上げた。
「人を絞っても、読まれた」
セリスが答える。
「はい」
「そして、たまたま当たったという形でもありません」
ドルクが低く言う。
「山に巣があるのは前から噂でした」
「でも、ここまで綺麗に止めるなら、山だけじゃ足りねえ」
フィアナも頷く。
「領都の内側を疑うべきです」
その言葉が、部屋の空気をさらに冷やした。
新しく組み直したばかりの領地だ。
ようやく小さな行政班が回り始めたばかりだ。
その内側に、まだ穴があるかもしれない。
レオンは地図の上で、襲撃地点へ指を置いた。
問題は、盗賊がいたことじゃない。
そこに来ると、最初から知っていたことだった。




