第59話 条件付きの味方
若い商人は、周りが黙るのを待ってから名乗った。
「ノア・グリースです」
名前は知っている。
前回、干し草と乾豆を小口で動かした男だ。
「さっきの問いに答える」
とレオンは言った。
「育てる気はある」
「本当に?」
ノアは肩の力を抜いたまま聞く。
「春になれば、大きい商会がもっと良い条件を持ってくるかもしれない」
「その時、殿下がそちらへ寄れば、俺みたいな小口は綺麗に切れます」
率直だ。
だが嫌な率直さではない。
自分が弱い側だと分かった上で、そこを曖昧にされたくない顔だった。
「最初から独占はやらない」
とレオンは答える。
「一本に寄せると、また詰まる」
「今のフェルドに要るのは、太い一本じゃない」
「死なない複数の線だ」
ノアの目がわずかに細くなる。
「面白いことを仰る」
「でも、それをやれば古い流れとぶつかりますよ」
「だろうな」
「大きい家は北を見捨てたわけじゃない」
ノアは机へ指を置いた。
「好きな値で握りたいだけです」
「役人と話を通して、通しやすい荷だけ先に抜く」
「急ぐ荷ほど、後ろに回る」
それはもう、領都の倉や備蓄で見てきた形と似ていた。
紙の外で順番が決まる。
遅れて困る側ほど、損を持たされる。
「お前はそこに不満があるのか」
レオンが聞くと、ノアは笑った。
「ありますよ」
「小口はいつも最後です」
「儲かる時は上が持っていく」
「危ない時だけ、下へ押しつける」
向かいの年嵩の商人が、そこで露骨に顔をしかめた。
若手が言いすぎだと思ったのだろう。
だがノアは引かない。
「だから、古い流れが少し壊れるなら乗る価値はある」
「ただし、最初から命までは賭けません」
「こっちも求めてない」
レオンは言う。
「一便だけだ」
「一便」
「荷目限定」
「路線限定」
「責任線も限定」
「通れば次を開く」
「通らなければ切る」
「それでいい」
ノアはすぐには答えなかった。
代わりに、試算の紙へ視線を落とす。
「……この数字」
彼は指先で一行を示した。
「冬便の純利をわざと薄く置いてますね」
「甘く書くと後で揉める」
とレオンは答えた。
「損耗二割寄りで見た」
「その代わり、春の積み場順と戻り荷優先で戻す」
「戻り荷が予定より細かったら?」
「その時は手数軽減の幅を広げる余地を残してる」
セリスが横から言う。
「ただし、履行済みが条件です」
ノアはそこで、初めてはっきり笑った。
「本当に商いの話だ」
「嫌いじゃありません」
年嵩の商人が低く言う。
「細切れの約束ばかりですな」
「そんなもので流れができますか」
「最初から大きく動かして沈む方がまずい」
とフィアナが返した。
「今のフェルドに必要なのは見栄ではなく継続です」
「継続ね」
口髭の商人が呟く。
「言うのは簡単ですが」
「だから一便に絞る」
レオンは言った。
「成功を見せるためだ」
「言葉じゃなく、戻ってきた車輪で」
そこで何人かが黙る。
商人は口約束より現物を信じる。
その現物を見せると言われれば、無視しきれない。
ノアが紙から顔を上げた。
「中身は」
「干し草、乾豆、保存布、少量の塩」
レオンは答える。
「帰りは空荷にしない」
「村から上がる毛皮か木材を少し積む」
「細いですね」
「最初はそれでいい」
「太くするのは、通ってからだ」
ノアは頷いた。
無茶な欲をかいていない点が気に入ったのだろう。
「一つ条件があります」
と彼は言う。
また条件か、とレオンは思う。
だが黙って続きを待つ。
「出発日時は、ぎりぎりまで広めないでください」
ノアの声は軽くない。
「今の領都、荷の話は思ったより早く漏れます」
その言葉で、ドルクが低く唸った。
「俺も同感です」
「どうしてそう見る」
とレオンが聞く。
「小口の荷がどこで止まるか、上は意外とよく知ってるんです」
ノアは肩をすくめる。
「知られたくない話ほど、早く回る」
嫌な話だ。
だが、本当味がある。
フィアナが短く言う。
「時刻は今夜決めます」
「知るのは最低限で」
「賛成です」
ノアも即座に頷いた。
セリスが試験取引規定案を差し出す。
数量。
路線。
積み場。
責任範囲。
春の優先権。
すべて限定だ。
だからこそ、最初の一枚として信じられる。
ノアはかなり真面目な顔で文面を追った。
その横で、年嵩の商人たちはまだ様子見を崩さない。
失敗を待つ気でもあるのだろう。
それでもいい。
最初から全員を取る必要はない。
「俺は乗ります」
とノアが言った。
「一便だけ」
「その代わり、戻りの照会は先に回してください」
「文に入れる」
とレオンは答える。
向かいの商人たちのうち、口髭の男がゆっくり息を吐いた。
「私は今回は見ます」
「ただし、通れば次は話を聞きましょう」
干し草の男も続く。
「うちも同じですな」
「最初から首までは突っ込みません」
完全な味方ではない。
だが、完全な拒絶でもない。
今はそれで十分だった。
レオンは紙へ印を置く。
フィアナが続く。
最後にノアが自分の商印を押した。
小さな音だった。
でも、口約束よりずっと重い。
帰り際、ノアが扉の前で一度だけ振り返る。
「殿下」
「何だ」
「一便が通れば、次に乗る連中は増えます」
「通らなければ、皆きれいに逃げます」
「だろうな」
「だから」
ノアは少しだけ笑った。
「最初の一回は、見た目よりずっと重いですよ」
扉が閉まる。
室内に残った暖気は薄い。
だが、紙の上だけだった話が、ようやく車輪の形を取り始めていた。
その分だけ、どこかで誰かが耳を立てる形にもなった。




