第56話 最低限の確保
三日後、倉庫前に並んだ荷は、期待していたほど多くはなかった。
だが、ゼロでもなかった。
干し草の束。
乾豆の袋。
粗い布の反物。
薬草を詰めた木箱。
そして、薪。
山積みにはほど遠い。
一冬を丸ごと支える量でもない。
それでも、最初の机で出した不足表の一角を確かに削るには十分だった。
レオンは荷の前で立ち止まる。
「……来たな」
マルタが受領札を手に頷いた。
「はい」
「全部ではありませんが、約した分は届いています」
「抜けは」
「今のところありません」
「袋口も揃っています」
ドルクが薪束を足で軽く押す。
「湿ってない」
「急ごしらえにしちゃ、ましですね」
「山側から切ってすぐではなく、少し寝かせた分を混ぜています」
と、横から若い声がした。
ノアだった。
あの日の会談のあと、彼は一度だけ単独で実務室を訪れた。
全部は出せない。
だが小さな取引なら乗る。
そう言って、干し草と乾豆の一部、それに山側の薪屋との口を繋いできた。
今回の荷は、彼一人の分だけではない。
他の小口商人も、様子見の範囲で少しずつ乗せてきている。
大きな味方ではない。
だが、流れの芽としては十分だった。
フィアナが受領文書を確認しながら言う。
「限定優遇の第一便として処理します」
「路線は北道二筋のみ」
「荷目も契約通りです」
「ええ」
とノアが答える。
「こちらも、その方が安心です」
彼は若いが浮ついていない。
欲はある。
でも、飛びつき方は慎重だ。
そこがむしろ信用できた。
レオンは荷の量をざっと目で追った。
足りない分はまだ大きい。
大量確保には失敗している。
大商会も動いていない。
薬草も理想量には届かない。
でも、最初から全部を狙っていたら、たぶん何も来なかった。
「ヘルマン」
とレオンは振り返る。
「不足表を更新してくれ」
「もうやっております」
老書記は帳面から目を上げずに言う。
「食糧はまだ薄い」
「ですが、薪と干し草は当初見込みより少し良い」
「薬は……悪いままですな」
「そこは次だな」
「次がありますか」
「作る」
短いやり取りだった。
だが、それで十分だった。
倉へ荷が入るのを見に来た兵や下役の顔も、少しだけ違っていた。
派手な歓声はない。
けれど、あの顔は知っている。
本当に来た、という顔だ。
口約束ではなく、現物。
それが一つでも目の前へ置かれると、人の空気は変わる。
マルタが荷札を揃えながら言う。
「これで、領都外れの寒い家を少し持たせられます」
「布もあるので、炊き出し場の仕切りも補修できます」
フィアナが頷く。
「北道沿いの痩せた村も、最初の分は延ばせますね」
「全部は無理でも、一番危ないところを先に繋げる」
その言葉に、レオンは少しだけ肩の力を抜いた。
勝ったわけじゃない。
余裕ができたわけでもない。
でも、死なない線は少しだけ太くなった。
昼、実務室へ戻ると、更新した不足表が机に置かれていた。
赤い印はまだ多い。
ただ、前よりは少ない。
レオンはその紙を見て言う。
「最低限、だな」
フィアナが向かいに立つ。
「はい」
「胸を張れる量ではありません」
「ですが、冬の入口で崩れる形は避けられました」
「十分だ」
とレオンは答える。
「今はそこまででいい」
フィアナはその返しを聞いて、少しだけ目を細めた。
「……殿下は、いつもそこで止めますね」
「何が」
「全部を取ろうとしないところです」
「もっと強く出れば、もう少し取れたかもしれません」
「でも、そうすると次で揉める」
「その線を、最初から見ています」
レオンは不足表をたたみながら言う。
「勝ち切ると、たまに次の机がなくなるからな」
「今ほしいのは完全勝利じゃない」
「冬を越す線と、次の取引の席だ」
フィアナは一拍、何も言わなかった。
それから、ほんの少しだけ口元を緩める。
笑うほどではない。
でも、冷えた顔のままでもなかった。
「……やはり、変わった方です」
「辺境の買付で、次の席まで一緒に考える王子はそう多くありません」
「褒めてる?」
「半分は」
「残り半分は、呆れています」
「それなら平常運転だな」
そのやり取りに、セリスが紙の束を抱えたまま入ってきた。
「残念ですが、和んでいる場合ではありません」
「今日の荷で話を聞きつけた商人が、二人ほど様子を見に来ています」
レオンが顔を上げる。
「断りに来たんじゃなくて?」
「今のところは」
セリスは淡々と答える。
「“もう少し詳しい条件を聞きたい”そうです」
「随分と都合のよい変わり身ですね」
ドルクが鼻で笑った。
「現物が入った途端にそれですか」
「商人は現実的ですので」
とセリスが返す。
「こちらとしては助かりますが」
助かる。
その通りだ。
最初の一便が届いた。
それで終わりではない。
むしろ、ここからだ。
フェルド領はまだ弱い。
でも、ただ金のない客ではなくなりつつある。
物を受け、紙を切り、次の流れを作ろうとしている客だと見え始めれば、寄ってくる相手は増える。
レオンは立ち上がった。
「じゃあ席を作ろう」
「今度は小口の打診じゃない」
「ちゃんと取引の席にする」
フィアナもすぐに頷く。
「ええ」
「条件も、こちらで少し整理し直します」
「今日の荷を基準に、履行と優遇の線をはっきりさせましょう」
セリスが紙束を机へ置いた。
「では次は、商人側の値踏みです」
「向こうも、もう少し本気で来ますよ」
それは脅しではなく、予告だった。
実務室の外では、倉へ入った荷を見た下役たちがざわついている。
小さい。
だが、空気は変わり始めていた。
冬を越す最低限は押さえた。
そして、その最低限が新しい縁を呼んだ。
次に来るのは、もっと露骨な商人たちだ。
丁寧に笑い、値を測り、領地ごと飲めるかどうかを見に来る。
だから今度の席は、ただ買うためではない。
フェルド領が、もう黙って削られるだけの相手ではないと見せるための席になる。




