第52話 小さな行政班
最初の机は、広すぎる必要がなかった。
実務室の隅。
暖炉から少し離れた壁際に、小さな長机を二つ並べる。
その上へ控え箱、紐綴じの札束、空の帳面、砂入れ、封蝋、印章台。
それだけで、昨日までよりずっと“場”になった。
マルタは朝一番で配給所側の箱を確認している。
ヘルマンは新しい帳面へ、ゆっくりだが迷いなく見出しを書いた。
ドルクは出入り口脇で、巡回兵二人へ戻り報告の順番を叩き込んでいる。
フィアナは全体を見ながら、必要な所だけ短く言葉を入れた。
セリスは文書の形式と権限線を整える。
小さい。
だが、昨日までの寄り集まりとは違った。
「名前をつけますか」
とセリスが言う。
「何に」
「この集まりにです」
「ただの机二つ、で済ませるには、仕事が増えますので」
レオンは少し考えた。
「大げさな名はいらない」
「臨時行政班でいい」
ドルクが苦い顔をする。
「地味ですね」
「今さら華やかさは求めてない」
「まあ、殿下らしいですけど」
レオンは聞き流して、机の上へ新しい流れ図を書いた。
倉から出る。
マルタが持ち出し確認。
配給所で受領。
区画か村へ配分。
戻りを巡回兵が持ち帰る。
ヘルマンが役所帳へ写す。
不足と過不足を翌朝に見直す。
矢印だけの粗い図だ。
でも、それで十分だった。
「これでいく」
とレオンが言う。
ヘルマンが図を見て小さく頷く。
「ようやく、紙が前ではなく後ろへつきますな」
「どういう意味だ」
「今までは、先に帳面の都合がありました」
老人は言う。
「だから現場を合わせようとして歪む」
「ですがこれは、現場で起きたことを後から紙で拾う形です」
「その方が嘘は少ない」
マルタも頷いた。
「配給所で足りなかったら、その場で分かります」
「札だけ先に綺麗でも、袋が減れば意味がありませんから」
フィアナが静かに付け足す。
「ただし、現場判断だけに戻さないこと」
「戻れば、また声の大きい方へ寄ります」
「戻さない」
レオンは答えた。
「そのために班を作った」
午前のうちに、最初の試し運用が始まった。
村から戻った巡回兵が、一枚の報告紙を持ってくる。
北道二村目、病人二、働き手一減、塩不足早い。
マルタがそれを受け取り、配給所控えの端へ印をつける。
ヘルマンが役所帳へ転記し、前回受領量と並べる。
「早いですね」
とセリスが言う。
「早くなければ意味がありません」
とヘルマンが返した。
「次の荷へ反映できる時間に戻らねば、ただの思い出話です」
たしかにそうだ。
レオンはその紙の流れを見ていた。
昨日までなら、こうはいかなかった。
誰かの頭の中で止まり、誰かの机の上で埋もれ、次の配分へつながらなかった。
今は少なくとも、一つの机へ戻ってくる。
「殿下」
とマルタが呼ぶ。
「何だ」
「昨日の領都外れ第二区画、受領印が一つ足りません」
「ですが袋数は合っています」
「誰かが札を戻し忘れたか、印を飛ばしています」
「どこで詰まった」
「配給所です」
マルタは即答した。
「村分と違って、領都分は列が崩れやすいので」
レオンが何か言う前に、ヘルマンが新しい欄を一つ足した。
「未印確認」
「これを別で置きましょう」
「不足と同じ箱へ入れると、後で溶けます」
マルタがすぐ頷く。
「それがいいです」
二人のやり取りに無駄がない。
もう馴染み始めている。
フィアナが小さく息を吐いた。
「……本当に、回り始めていますね」
「まだ入口だ」
とレオンは言う。
「はい」
彼女は頷く。
「ですが昨日までとは違います」
「倉、配給所、役所、巡回が、ようやく一つの線になった」
その言葉がちょうどよかった。
領地が会話する。
たぶん、そういうことだ。
倉が黙って隠さず、
配給所がその場だけで終わらせず、
村の不足が役所まで戻り、
役所が次の順番へ反映する。
当たり前のことだ。
でも、この領地にはそれがなかった。
午後、ドルクが戻り報告した。
「元兵士二人、使えます」
「一人は荷の見張り、一人は戻り報告」
「どっちも字は汚いですが、読める範囲です」
「なら十分だ」
とレオンは答える。
「あと」
ドルクが少しだけ口元を歪める。
「役所の連中、だいぶ面白くなさそうですよ」
「知ってる」
「追い出しますか」
「まだいい」
レオンは首を振る。
「働くなら使う」
「邪魔をしたら外す」
「今はそれだけでいい」
ヘルマンがぼそりと言う。
「働かぬ者ほど、席に執着しますからな」
「実感こもってるな」
「長く役所におりますので」
レオンはそこで、ほんの少しだけ笑った。
大きくはない。
でも、この章に入って初めての軽さだった。
机の上の紙はまだ多い。
不足も多い。
完璧には遠い。
それでも、昨日よりは進んでいる。
夕方、最後の報告がまとまったところで、レオンは新しい役所帳を閉じた。
そして別の紙束を開く。
倉の概算表。
冬期必要量。
薪、保存食、薬草、布、家畜飼料。
フィアナがそれを見て、顔を少し引き締めた。
「……もう始めますか」
「人の流れができたなら、次だ」
レオンは言う。
「どれだけ回せても、物が足りなきゃ終わる」
マルタもヘルマンも、自然と視線を寄せる。
レオンは概算表の端を指で叩いた。
「隠し倉を入れても、冬の全部は越えられない」
「配給の形はできた」
「でも、中身そのものが足りない」
室内が少しだけ静かになる。
喜んで終われる空気ではない。
そんな余裕は最初からなかった。
ドルクが低く言う。
「結局、買うしかないってことですか」
「そうなる」
レオンは答えた。
「薪も、保存食も、薬も」
「今ある分だけで黙って耐えると、冬の途中で切れる」
フィアナが静かに頷く。
「でしたら、次は買付の計算ですね」
「そうだ」
レオンは新しい紙へ見出しを書く。
必要量。
現有量。
不足量。
臨時行政班はできた。
領地は少しだけ喋り始めた。
だが、その口が告げる中身は、楽なものではない。
数字は冷たく、はっきりしていた。
人は揃い始めた。
それでも、この冬を越えるには、まだ物資そのものが足りない。
だから次に必要なのは、仕組みではなく、
足りない分をどうにかして買いに行く手だった。




