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捨てられ第三王子は、信頼を取り戻したいだけなのに、崩壊寸前の辺境領と婚約破棄寸前の令嬢まで任されました  作者: 玖城イサ
第一章

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第50話 寡婦の帳面

 

 マルタは、思っていたよりずっと落ち着いた顔で入ってきた。


 年の頃は二十代の終わりか、三十に届くか届かないか。

 茶色の頭巾は外している。

 髪はきっちりまとめられ、服は地味だが汚れていない。


 礼は深すぎない。

 だが雑でもなかった。


「お呼びと伺いました」


 声も静かだ。

 怯えてはいる。

 けれど、慌ててはいない。


 レオンは椅子を勧めた。


「座ってくれ」

「立ったままだと長くなるかもしれない」


 マルタは少し迷ってから腰を下ろした。

 その目が、机の上の控え札と仮名簿を一度だけ確かめる。


 ただの雑務手伝いなら、そこは見ない。

 そういう種類の目だった。


「昨日、配給場にいたな」

 とレオンが言う。


「はい」


「札と袋数を合わせてたのは、自分の判断か?」


「……混ざり始めていたので」

 マルタは慎重に答える。

「そのままだと、後で誰の分か分からなくなると思いました」


「誰かに命じられたわけじゃない?」


「いいえ」

「ですが、見る人がいなかったので」


 セリスが横から口を挟む。


「昨日の控えも確認しましたが、彼女が直した箇所は全て合っています」

「二重配りの防止も三件」

「見逃していたら、夕方には揉めていたでしょうね」


 マルタは少しだけ目を伏せた。

 褒められているのが苦手らしい。

 だが、否定もしない。


 レオンは単刀直入に聞く。


「計算は得意か」


「簡単なものなら」

「夫が生きていた頃、荷の出入りを手伝っていました」


「商人か?」


「小さな運び屋です」

「大きな家ではありません」

「でも、袋数と銅貨の計算くらいは、毎日」


 そこで言葉が切れる。

 フィアナが静かに継いだ。


「旦那さんは、去年の冬に?」


 マルタは小さく頷いた。


「道で倒れました」

「帰ってこなかったので、荷車も家も手放しました」

「それからは配給所と炊き出しの手伝いを」


 声に大きな揺れはない。

 たぶん、泣く時期はもう過ぎている。

 残ったのは、生活の形だけなのだろう。


 レオンは机の端へ置かれていた昨日の控えを彼女の前へ寄せた。


「これ、読めるか」


 マルタは一枚取った。

 目で追うのが速い。


「村分と領都分が途中で混ざっています」

「こちらの印は受領済みですが、控え箱に戻す順が逆です」

「あと、この字は同じ方ですね」

「袋数の書き足しがあります」


 セリスが少しだけ眉を上げた。


「昨日の夕方に私が直した箇所です」


「そうですか」

 マルタはすぐに紙を戻した。

「失礼しました」


「いえ」

 セリスは淡々と返す。

「むしろ、よく分かりましたね」


 マルタは答えなかった。

 ただ、自分の膝の上で手を組む。


 レオンはその手つきを見た。

 指先が荒れている。

 でも、帳面を触る人間の癖もある。


「役所に入ったことは?」


「ありません」

 今度ははっきりとした答えだった。

「女ですし、寡婦ですし、家もありませんから」


 身も蓋もない。

 でも、今のフェルドならそれが現実だろう。


 フィアナが少しだけ口元を固くする。


「名前だけ貸す家の下働きとして、帳場へ入ったことはあります」

 とマルタは続けた。

「ですが、表へは出ませんでした」


「書けるのに?」

 とレオンが言う。


「書けても、私が書いたことにはなりません」

 マルタは淡々としていた。

「そういうものです」


 室内が少し静かになる。


 レオンには前世の感覚で腹が立つ。

 でも、ここで怒っても意味がない。

 怒る代わりに、使う方が早い。


「じゃあ、今から変える」

 と彼は言った。


 マルタが初めてはっきり顔を上げる。


「……はい?」


「臨時でいい」

「配給所の管理に入ってくれ」

「袋数、控え札、受領順、配り残し」

「その四つを見てほしい」


 マルタは言葉を失ったみたいに固まった。


「わ、私が、ですか」


「そうだ」

 レオンは頷く。

「昨日できてた」

「それで十分な理由になる」


「ですが」

 彼女の声が少しだけ揺れる。

「私では、反発が出ます」

「役人でもありませんし、区画の人間です」

「それに、字が書けるだけで、そんな」


「字が書けるだけじゃない」

 とレオンは遮った。

「順番を崩さず見られる」

「混ざる前に気づける」

「昨日の時点でそれができた」

「今はそれが要る」


 フィアナも静かに続けた。


「私の名で任じます」

「臨時管理役です」

「配給場と倉の中間に立ってください」

「誰の分がどこで止まったか、分かる人が必要です」


 マルタはまだ迷っている顔だった。

 当然だと思う。


 この領地では、今まで彼女みたいな人間に役目は回ってこなかった。

 できるかどうか以前に、呼ばれなかったのだ。


「無理なら断っていい」

 とレオンは言った。

「でも、引き受けてくれるなら助かる」

「今の領地には、肩書きより手が要る」


 その言葉で、マルタの目が少しだけ変わった。

 驚きから、計る顔になる。


「……条件があります」


 ドルクほどではないが、意外と強い返しだった。

 レオンは少しだけ口元を緩める。


「聞く」


「控えを一つにしないでください」

「配給所だけが持つ帳面だと、後で消されます」

「倉にも、役所にも、別で残してください」


 セリスがすぐ反応した。


「二重帳簿ですね」


「いえ」

 マルタは首を振る。

「二重ではなく、照合です」

「同じものが三つあれば、どこか一つが嘘をついた時に分かります」


 レオンは思わず息を吐いた。


 いい。

 予想以上だった。


 昨日の混乱だけを見ていた人間の発想じゃない。

 消される側の現場を知っている人間の考えだ。


「採用だな」

 とレオンは言う。


「早いですね」

 とセリス。


「早い方がいい」


 フィアナも頷いた。


「私も賛成です」

「マルタ、受けてくれますか」


 マルタは膝の上の手を強く組んだ。

 少しだけ考え、それからゆっくり頭を下げる。


「……やります」

「ただし、間違えた時はすぐ外してください」

「情で置かれるのは嫌です」


「それもしない」

 レオンは答えた。

「間違えたら直す」

「合わないなら外す」

「でも昨日の仕事を見る限り、最初の心配はそこじゃない」


 マルタはそこで初めて、ほんのわずかに息を抜いた。


 セリスが新しい紙を引き寄せる。


「では、任用書式を切ります」

「臨時配給管理役、期間は冬期、監督はフィアナ様」

「権限は控え札確認、配給所在庫照合、受領印管理」

「ここまでは必要でしょう」


「倉の持ち出し確認も」

 とマルタが小さく言った。


 三人の視線が集まる。


「昨日、袋が開いた状態で二つ動いていました」

「現場に悪意がなくても、そこは減ります」


 フィアナがすぐ書き足す。


「持ち出し立会」

「確かに要りますね」


 レオンは頷いた。


「入れよう」


 話が決まり始める。

 その速さに、マルタ自身が少し驚いている顔だった。


 だが、まだ一人だ。

 これで全部が回るわけじゃない。


 レオンは任用書式が整っていくのを見ながら言う。


「次は記録だな」

「昨日も控え整理が詰まりかけた」

「配給所に目が増えても、紙を束ねる年寄りがいない」


 マルタがその言葉に反応した。


「でしたら」

 彼女は少し迷ってから続けた。

「ヘルマン爺を呼んでください」


「誰だ」


「前は役所で書記をしていました」

「今は半分外されて、倉の古い書付を見直すだけの仕事です」

「字が細かすぎるとか、遅いとか、嫌われて」


 セリスが興味を示した。


「遅いが、正確?」


「はい」

 とマルタは頷く。

「嫌なほど」


 レオンは小さく笑いそうになるのをこらえた。


 どうやら次に掘るべき手も、もう埋まっているらしい。


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