第49話 人が足りない
統一配給の翌日、実務室は静かなのに落ち着かなかった。
机の上には控え札。
仮名簿。
村代表の確認書き。
領都外れの区画別人数。
昨日一日で増えた紙が、まだ乾ききっていない。
レオンは朝から、その束を順番に見ていた。
数字のズレは小さい。
大きな取り違えも少ない。
昨日一日だけ見れば、よく回ったと言っていい。
だが、だからこそ見えるものがあった。
「……これ、続けるの無理だな」
思わず口に出る。
向かいでフィアナが顔を上げた。
「何がですか」
「仕組みは回った」
レオンは紙束を軽く叩く。
「でも、ほとんど昨日だけの無理で回してる」
「俺と君とセリスとドルクが張りついて、ようやくだ」
セリスがすぐに頷いた。
「事実です」
「昨日と同じ人数で、同じ精度を毎回維持するのは不可能ですね」
「言い切るな」
「言い切れる程度には明らかです」
辛口だが、その通りだった。
昨日は最初の一回だから動けた。
皆が張っていた。
誰かが穴を見つければ、その場で別の誰かが埋めた。
だが、毎回それをやれば先に潰れる。
レオンは控え札を二つに分けた。
村分。
領都分。
その横へ受領確認の紙。
さらに見張り報告。
「数える奴がいる」
「書く奴がいる」
「持ち出しを見る奴がいる」
「配る順番を確認する奴がいる」
「どれか一つ欠けても、また漏れる」
フィアナが静かに言う。
「しかも今の役所には、信用できる人間が少ないです」
「そこだな」
処断のあと、役室は少し静かになった。
だが、人が増えたわけじゃない。
むしろ減っている。
倉庫側は首謀格を切った。
徴税側も穴が空いた。
残った者の中にも、まだ様子見の顔が多い。
露骨に逆らわなくても、本気では寄ってきていない。
ドルクが壁に背を預けたまま言う。
「兵を回せば、荷の見張りくらいは増やせますよ」
「ただ、字が書ける奴は多くない」
「見張りだけ増やしても駄目だ」
とレオンは答える。
「数が合ってるかを見る奴がいないと、結局同じになる」
セリスが控え札の束を整えながら言う。
「残っている役人をそのまま使う、という手もあります」
「おすすめはしませんが」
「しない理由は」
「昨日の配給表を見て、顔色を変えていた者が何人かいました」
「自分の裁量が減る仕組みを、快く思わない人間はいます」
フィアナも頷く。
「はい」
「今まで“曖昧に回す”ことで利益を得ていた層ほど、きっちりした表を嫌がります」
「その場では従っても、穴を空けるでしょう」
レオンは椅子へ少し深く座り直した。
要するに、人が足りない。
しかも、ただ頭数が足りないのではない。
回す気のある人間が足りない。
それが一番厄介だった。
「役人じゃなくてもいいか」
とレオンが言う。
フィアナの視線が動く。
「どういう意味ですか」
「身分とか役所の所属とか、一度横へ置く」
「数えられるなら数えさせる」
「記録できるなら記録させる」
「見張れるなら見張らせる」
「今はその方が早い」
室内が少し静かになる。
真っ先に反応したのはセリスだった。
「反発は出ますよ」
「役所に入れない身分の人間を使うのか、と」
「分かってる」
レオンは言う。
「でも、肩書きだけの人間を並べても腹は膨れない」
「役所の格より、まず冬を越す方が先だ」
ドルクが鼻で息を鳴らす。
「俺は嫌いじゃないですね」
「役職だけ立派で、現場じゃ邪魔な奴は珍しくない」
「お前は言い方が率直すぎる」
「褒め言葉として受け取っときます」
フィアナはすぐには何も言わなかった。
ただ、机の上の控え札を一枚取る。
昨日の領都外れ第二区画の分だ。
「……理屈としては正しいです」
「ただ、線引きが必要です」
「誰でもいい、ではまた崩れます」
「当然だ」
とレオンは頷く。
「だから見る」
「昨日の配給場にいた人間の中から拾う」
「実際に動けた奴だけでいい」
その瞬間、昨日の光景が頭に浮かんだ。
控え札が追いつかなくなりかけた時、配給台の隅で数字を合わせていた女。
誰に言われるでもなく、袋数と札の数を揃えていた。
手つきが速かった。
しかも雑ではなかった。
レオンは顔を上げる。
「昨日、配給台の隅で数字を見てた女がいたな」
フィアナが少し考える。
「年の頃は三十前後。茶色の頭巾を被っていた方ですか」
「たぶんそれだ」
「札を二枚持って、袋数を合わせてた」
フィアナはすぐに思い当たったらしい。
「マルタでしょう」
「領都外れの配給所で、以前から炊き出しの手伝いをしていた未亡人です」
「字は書けるのか」
「ええ」
「量の計算も早いです」
「ただ……」
「ただ?」
フィアナはわずかに言葉を選んだ。
「元々は、商家に出入りしていた家の嫁です」
「夫を失ってからは、低賃で配給場の雑務に回されていました」
「役所へ上がることはありません」
「上げなかったんだろ」
とレオンは言う。
フィアナは否定しない。
「……そうですね」
「上げる発想自体が、今までこの領都には薄かったと思います」
レオンは小さく息を吐いた。
できる人間が、できる場所にいない。
前世でもよく見た。
雑に使われる現場ほど、そうなる。
「呼べるか」
「すぐに」
フィアナが答える。
「ですが、殿下」
「何だ」
「一人拾って終わりではありません」
「配給場だけでなく、倉、見張り、記録、伝達」
「全部が足りません」
「分かってる」
レオンは立ち上がった。
「だから、まず一人拾う」
「そこから広げる」
セリスが乾いた声で言う。
「良い言い方ですね」
「人材発掘、といったところでしょうか」
「綺麗に言うな」
「単に、埋もれてる手を掘るだけだ」
ドルクが扉の方へ向かう。
「じゃあ俺は外を見てきます」
「昨日の配給場で使えそうだった奴も、少し拾っておきますよ」
「頼む」
ドルクが出ていく。
扉が閉まる。
フィアナも控え札をまとめ始めた。
いつもの速さだが、その動きに少しだけ芯が戻っていた。
領地を回す手が増えるかもしれない。
その可能性が、彼女にも見えたのだろう。
レオンは昨日の配給場の控えをもう一度見た。
制度は作った。
最初の一回も回した。
でも、紙だけでは領地は動かない。
必要なのは、紙の間を走る手だった。
その時、扉の向こうで控えめな足音が止まる。
フィアナが顔を上げた。
「来たようです」
レオンは頷く。
まずは一人。
昨日、配給場の隅で数字を拾っていた女からだった。




