第48話 最初の統一配給
翌朝、領都の空は鈍い灰色だった。
雪にはまだ早い。
だが、北の朝らしい冷えがある。
息を吐くたび白くなる中で、配給所前にはもう列ができていた。
村から来た代表。
領都外れの区画代表。
子どもを連れた女。
痩せた老人。
荷車を押す若い男。
昨日より多い。
そして、昨日より静かだった。
静かなまま荒れる時もある。
だからこそ、レオンは朝一番で配給場を見回った。
仮の机が二つ。
計量台。
控え札の箱。
見張りの巡回兵。
張り出した統一配給表。
完璧にはほど遠い。
それでも、昨日の場当たりよりはずっと形になっている。
「村代表と領都代表の列は分けました」
とセリスが報告する。
「ただし記録札の形式は揃えています」
「いい」
とレオンは頷く。
「同じ仕組みで回す方が後々楽だ」
フィアナは張り紙を最後に確認していた。
「家名、人数、優先区分、受領印」
「最低限、これで今日一日は持つはずです」
「“はず”か」
「この状況で断言は危険ですので」
もっともだった。
ドルクが周囲を見たまま言う。
「昨日騒いでた連中もいます」
「でも今のところ、前に割って入る気配は薄い」
「張り紙が効いたか」
とレオンが言う。
「それもある」
フィアナが答えた。
「ですが、昨日、実際に渡ったのを見たのが大きいでしょう」
それが全てかもしれない。
言葉より先に、届いた事実。
人はそれでしか動かない。
「始めます」
とセリスが告げた。
レオンは配給台の脇へ立った。
自分で全部やるわけじゃない。
だが最初の日に姿を消すのも違う。
見えるところで、仕組みが回るのを支える。
今はその方がいい。
村代表の最初の名が呼ばれる。
北道手前、ラムゼ村。
男が前へ出る。
昨日の仮名簿確認を終えた顔だ。
深く頭を下げはしない。
だが、露骨な敵意もない。
「確認」
とセリスが言う。
「家数二十七」
「働き手少」
「子ども多」
「昨日提出分と相違なし」
フィアナが頷く。
計量台へ袋が載る。
塩、乾豆、大麦。
決めた比率で分ける。
男はしばらく黙っていたが、受領札へ印を押す時にだけ言った。
「……今度は、途中で減らないんだな」
レオンが答える。
「減らさないようにする」
「そのための控えも残す」
男は一度だけこちらを見た。
それから札を受け取り、荷車の方へ戻る。
次。
領都外れ第二区画。
年寄りの多い一角だ。
区画代表の女は昨日も前にいた。
警戒した目のまま、札を差し出す。
「昨日より少し増えてますね」
「確認が進んだ分だけ」
とフィアナが答える。
「ただし次回はまた見直します」
「今日の人数確認が入れば、もっと整います」
女はまだ疑っている。
でも、紙と量が一致しているのを見て、何も言わず印を押した。
列はゆっくり進んだ。
途中で小さな揉め事も起きる。
うちは子どもが多いだの、隣より少ないだの、札の記載が違うだの。
そのたびに止めて、確認する。
速くはない。
だが、無理に流さない。
「遅い」
と後ろで苛立つ声が飛ぶ。
レオンは振り返らずに言う。
「速さより、合ってる方を取る」
「昨日まで速くて消えてた分があるだろ」
それで完全に黙るわけじゃない。
でも、前へ割り込む空気は止まる。
少なくとも今日は、文句を言っても札の順は変わらないと皆が見始めていた。
昼前、領都外れの老人が一人、札の前で立ち止まった。
手が震えている。
字が書けないらしい。
セリスが淡々と言う。
「印でも構いません」
老人は戸惑って、指先を見た。
それを見て、フィアナが小さく膝を折る。
「こちらへ」
「手を貸します」
彼女は過剰に優しくもしない。
ただ必要なだけ支える。
その姿を、列の何人かが黙って見ていた。
老人が受領を終えたあと、小さく呟く。
「……今まで、名だけ書いて終わりだった」
フィアナは答えなかった。
代わりに札を次へ回す。
その短いやりとりが、なぜか場の空気を少しだけ変えた。
目の前のこれは、前と同じ配給ではない。
そう感じた者がいたのだろう。
昼を過ぎると、村側の荷車が何台か領都を出た。
見送りの視線がある。
羨みもある。
だが、昨日のような露骨な罵声は飛ばない。
理由が見えているからだ。
少なくとも、前よりは。
ドルクが戻ってきて言う。
「北道分、今のところ問題なし」
「見張りもつけました」
「ありがとう」
「礼は全部終わってからでいいですよ」
とドルクは肩をすくめる。
「まだ後ろが長い」
確かにその通りだった。
午後、控え札の整理が追いつかなくなりかけた時、配給所の隅で数字を手早く合わせている女がいた。
見習いではない。
たぶん以前から現場で何かをしていた手つきだ。
レオンは一瞬だけそちらを見たが、今は声をかけない。
今日はまず、この仕組みを崩さず終える方が先だった。
夕方近く、最後の区画代表が印を押す。
配給台の周りには、もう朝の張りつめた熱はない。
疲れはある。
不満もゼロじゃない。
それでも、場が壊れずにここまで来た。
セリスが最後の控え札を箱へ戻す。
「大きな取り違えは三件」
「その場で修正済み」
「未処理は二件です」
「思ったより少ないな」
とレオンが言う。
「思ったよりは」
と彼女は訂正する。
「少ない、とはまだ言いません」
フィアナは張り紙の前に立っていた。
風で端がめくれているのを押さえながら、列の消えた配給場を見る。
「……暴れませんでしたね」
「昨日のうちに一度燃えたからな」
とレオンは答える。
「その分、今日は順番を見る側に回った」
「はい」
フィアナは小さく頷く。
「それでも、これは大きいです」
彼女の声は静かだった。
けれど、その静けさの奥に少しだけ安堵が混じっている。
レオンも配給台の木目へ手を置いた。
大勝利じゃない。
足りないものは山ほどある。
名簿も仮だ。
量も十分じゃない。
明日になれば、また別の文句も出るだろう。
でも、今日は順番で回した。
それを皆が見た。
誰が先か。
なぜそうするのか。
何を基準に決めるのか。
それが初めて紙と荷で一致した。
配給所の外で、帰り支度をしていた女が子どもの手を引きながら言う。
「今度は、ちゃんと名前を見てたね」
大きな声じゃない。
たぶん誰へ向けた言葉でもない。
でも、レオンの耳には届いた。
彼は少しだけ目を閉じる。
その一言だけで、今日の重さが少し変わる。
フィアナも聞こえたらしい。
視線を落としたまま、静かに言った。
「……ようやく、ですね」
「入口だけどな」
「はい」
「それでも、入口です」
セリスが帳面を抱えたまま近づく。
「感傷に浸るのはそこまでで」
「次は、これを毎回回す人間が足りません」
現実的すぎる声だった。
だが、その通りだった。
レオンは苦く笑う。
「台無しだな」
「事実を申し上げているだけです」
ドルクも合流する。
「書ける奴も、数えられる奴も、見張れる奴も足りない」
「今日みたいなのを続けるなら、寄せ集めでも頭数が要る」
レオンは配給場を見回した。
空の袋。
控え札。
使い込まれた計量台。
そして、片付けの手を止めずに動いている何人かの現場の人間。
制度は作った。
最初の一回も回した。
だが、仕組みは人がいなければ続かない。
「……次は人だな」
とレオンは言う。
フィアナがこちらを見る。
「はい」
「制度だけでは、領地は持ちません」
夕暮れの冷えが降りてくる。
配給所の前に残っていた列は、もうない。
それでも今日の控え札は残る。
名簿も残る。
誰が受け取り、誰が次に回るか、その順番も残る。
領民はまだ全面的には信じていない。
当然だ。
たった一日で埋まる傷じゃない。
それでも少なくとも今日、
フェルド領の領主側は、順番を考えている。
そう見える形にはなった。
レオンは最後の張り紙を外した。
紙の端は冷たく、少し湿っていた。
次に必要なのは、もっと多い穀物だけじゃない。
これを回し続ける手だった。




