第44話 配給準備
翌朝は、まだ空が白みきる前から始まった。
実務室の窓は曇っている。
暖炉はついているが、紙を触る指先は冷たい。
それでも机の上は昨日より整っていた。
領内図。
倉の概算表。
北道の巡回路。
村別の危険度を書き込むための白紙。
そして、押収物再整理という名目で動かす荷の一覧。
レオンは一番上の紙を叩いた。
「まず、最優先だけ決める」
「全部は救えない。だから先に崩れる場所から持たせる」
フィアナが頷く。
「北道沿いの三村は赤です」
「先日の視察で見た通り、畑も痩せ、配給抜けの影響も深い」
「次に領都外れの流民層」
「そのあと南寄りの小村を一つ」
「理由は」
「南寄りは畑の傷み自体は浅いです」
「ただ、働き手が減りすぎています」
「このまま放置すると、冬の途中で一気に崩れます」
レオンは紙へ印をつけた。
赤、赤、赤、黄。
「量は出しすぎない」
「持っていると知られれば次が乱れる」
「でも足りないと意味がない」
ドルクが腕を組む。
「護衛は?」
「正面から大きくは動かさない」
とレオンは言う。
「いつもの巡回に見せる」
「荷は分ける」
「一台でまとめて動かすな」
フィアナがすぐに補う。
「村へ入る時間もずらしましょう」
「同日に一斉配給をすると、他所の目が集まります」
「いい」
セリスは別紙へ書き込んでいた。
「領都側にはどう説明しますか」
「倉の話を伏せる以上、動いている荷に理由が必要です」
レオンは少し考えた。
「押収物の再整理で出た分、という形にする」
「嘘ではない」
「聞かれたら“限定的な再配分”だ」
「限定的」
とセリスが繰り返す。
「便利ですね」
「都合がいいだろ」
「はい。かなり」
彼女は淡々と書き留めた。
フィアナは新しい紙を差し出す。
「各村へは、配り方も指定した方がいいでしょう」
「子どものいる家、働き手を失った家、老人だけの家」
「その順で厚くします」
「現地判断に任せると揉めるか」
「はい」
「現地は現地で限界です」
「ですから、最初の基準は領都側で切る必要があります」
レオンは頷いた。
感情ではなく順番。
善意ではなく線引き。
そうしないと、真面目な者から削られる。
前世でも、この領地でも、それは変わらない。
ドルクが地図を覗き込んだ。
「なら北道は俺が見ます」
「巡回兵も選びます」
「ただ、村長に人数をその場で確認させた方がいい」
「それは必要ですね」
とフィアナが答える。
「今ある数をそのまま信じるのは危険です」
レオンは机の端に置かれていた別紙へ目をやった。
仮の配給札だった。
村名。
袋数。
そして、その下に書くはずの家名欄。
「書くか」
とレオンが言う。
フィアナが古い領民名簿を持ってくる。
革表紙は擦れ、角は丸く潰れていた。
開く前から嫌な予感がした。
最初の村。
北道沿いのラムゼ村。
フィアナが頁を開き、レオンが欄を見下ろす。
家名が並ぶ。
だがすぐに違和感が出た。
「この家、先日の視察では焼け跡だったな」
「はい」
とフィアナが答える。
「主は昨年死んでいます」
「じゃあまだ載ってるのか」
「消えていません」
次の行を見る。
同じ姓が二つ並んでいる。
片方には働き手三。
もう片方は空欄だ。
「重複か?」
「おそらく」
「逃げた家と残った家の整理がされていません」
さらに次。
村外れの寡婦の家がない。
あの痩せた女の顔がレオンの頭に浮かぶ。
「この家は?」
フィアナの目が止まる。
「抜けています」
「……おかしいですね」
「彼女は去年から配給所に来ていたはずです」
セリスが横から覗き込んだ。
「これをそのまま配給の基準にしたら、揉めるどころでは済みませんね」
「だな」
レオンは名簿を閉じかけて、やめた。
腹が立つ、というより呆れた。
ようやく手札は見つけたのに、今度は配る相手の名前が壊れている。
フィアナは無言のまま頁をめくる。
その指の動きが少しだけ速い。
感情を押し込んでいる時の速さだった。
「……ここまでとは思っていませんでした」
「死者、逃亡者、重複、欠落」
「税のための名簿が、配給にはまるで使えません」
その言い方に、わずかな怒りが混じった。
レオンは椅子へ深く座り直す。
「最初の荷は出せる」
「でも二度目からは、紙で順番を守れないとまた漏れる」
ドルクが眉をひそめる。
「じゃあ今日はどうします」
「今日は村長立会で仮配給だ」
とレオンは答えた。
「その場で家数を拾わせる」
「荷を渡すだけで終わらせるな。人数も、残った家も、働き手も確認する」
フィアナがすぐに顔を上げた。
「仮名簿ですね」
「そうだ」
「最優先村から作る」
「今ある名簿は土台にだけ使う。信じるな」
セリスが新しい紙束を置く。
「項目を切ります」
「家名、人数、働き手、子ども、高齢者」
「最低限これだけあれば、次の配分表にはなります」
「頼む」
レオンは古い名簿へもう一度手を置いた。
帳簿を整えるための数字はあった。
だが、助けるための名前がない。
それでも、昨日までとは違う。
隠されていた備蓄は見つけた。
最初の荷も、もう動かせる。
ようやく反撃の手札ができたのは本当だった。
実務室の外で、荷車の軋む音がした。
ドルクが手配した北道分だろう。
最初の一歩は、もう出る。
レオンは白紙の仮名簿へ視線を落とす。
次に必要なのは、穀物そのものではなかった。
誰に届けるか。
その名前だった。




