第42話 帳簿にない備蓄
板戸をもう少し開くと、灯りが中へ滑り込んだ。
最初に見えたのは袋だった。
積まれている。
一つ二つではない。
壁沿いに、そして中央にも。
高さを抑えてはいるが、倉の奥まで影の形が続いている。
レオンは何も言わず一歩中へ入った。
床は乾いている。
掃き清めた跡まではないが、放置された倉特有の荒れ方でもない。
誰かが使っていた。
しかも、そう昔ではない。
「……冗談だろ」
小さく呟くと、フィアナが低く返した。
「私も、そう言いたいところです」
彼女の声は抑えられていた。
怒鳴りもしない。
だが、それがかえって重い。
ドルクが戸口を見張り、巡回兵の一人が灯りを高く掲げる。
もう一人は倉の奥へ慎重に進んだ。
「人の気配なし」
「隠れ場所も、今のところは」
「急がなくていい」
とレオンが言う。
「数と状態を先に見る」
近くの袋へ手を当てる。
乾いている。
口は縫い直されているが、新しいものではない。
レオンが少しだけ持ち上げると、中身が詰まっている感触が返った。
「大麦か」
フィアナが袋口を確かめる。
「はい。こちらは大麦」
「向こうは塩です」
塩。
灯りを寄せると、袋の口から白い粒がわずかに覗いた。
この冬の領地では、それだけで値がある。
足りない台所がどれだけあるか、今のフェルドでは数えきれない。
レオンは隣の木箱を開けた。
中には乾豆と、布へ包まれた干し肉が入っている。
さらに奥には乾魚らしい樽も見えた。
乾いた匂いの下に、保存食の生っぽい塩気が混じっている。
空倉の匂いじゃない。
冬を越すための匂いだった。
「穀物だけじゃないな」
「ええ」
とセリスが言う。
「しかも、寄せ集めではありません」
「冬前に価値が上がる物だけが綺麗に揃っています」
その言い方が嫌だった。
嫌なほど、理屈に合っている。
フィアナは倉内を見回した。
「ここまでの量なら、領地全体を救うほどではありません」
「ですが……」
「危険な村を先に持たせるには十分かもしれない」
とレオンが続ける。
フィアナがゆっくり頷いた。
「はい」
「少なくとも、北道沿いの痩せた村をいくつか繋ぐだけの余地にはなります」
それだけで大きかった。
飢えた領地では、全部を救う手札より、先に崩れる場所を止める手札の方が価値を持つ。
一つ村が保てば、次の配給路が残る。
一つ道が保てば、冬の間の巡回が生きる。
レオンはざっと倉内を見て歩いた。
積み方に無駄がない。
古い物だけではない。
奥の方には比較的新しい麻袋も混じっている。
「昔の残りじゃないな」
「最近まで足されてる」
セリスが木箱の側面を指で撫でた。
「こちらの箱、釘の打ち直しが新しいです」
「長年放置していたなら、もっと割れます」
巡回兵の一人が奥から声を上げた。
「小部屋があります」
「中に机と棚が少し」
レオンたちはそちらへ向かった。
小部屋は倉の管理人室らしかった。
机は粗末だが、完全な廃屋ではない。
棚に灯油差し。
壁に古い縄。
そして引き出しの中に、小さな板片が何枚か入っていた。
レオンが一枚を取る。
数字だけが刻まれている。
日付らしきものと袋数。
簡単すぎる控えだ。
「正式帳簿じゃない」
「だからこそ残していたのでしょう」
とセリスが言う。
「表へ上げる気のない管理です」
フィアナは机の脇に置かれた古い倉札を見つめた。
「閉鎖倉のはずなのに、油差しまで新しい」
「誰かが、ここを“使われていないことにしたまま”回していたのですね」
その言い回しが正確だった。
ないことにする。
でも使う。
そして帳簿には載せない。
そうやってできる余白は、大抵ろくでもない使われ方をする。
ドルクが、袋の一つをひっくり返しかけて止まった。
「殿下、これ」
袋の肩口に、小さな焼印があった。
ただの生産地印ではない。
商家の印に近い。
レオンは灯りを寄せる。
「倉庫の共通印じゃないな」
フィアナも見て、表情を変えた。
「領都の荷印です」
「しかも、小口商人のものではありません」
その一言で、倉の意味が少し変わった。
余った備蓄を隠していただけじゃない。
市中の流れとつながっている。
レオンは別の袋、別の箱も確かめた。
いくつかに同じ系統の印がある。
一つではない。
だが無関係でもない。
セリスが静かに言う。
「帳簿外」
「役人の私物箱の鍵」
「領都商人の荷印」
「かなり嫌な並びですね」
「ええ」
とフィアナが答えた。
「最初から“後で売るために抜いた”と考えた方が早いくらいです」
レオンは倉の中央へ戻り、積まれた袋を見た。
誰かがここに、冬の命綱を置いた。
置いたまま、領民には届かないことにした。
その間に、村は痩せ、配給は薄くなり、領都では足りないという顔が広がっていった。
腹が立つ。
だが今は怒るより、切り分ける方が先だった。
「量を概算する」
「今夜のうちに全部は動かさない」
「でも、ここは押さえる」
ドルクが即座に応じる。
「見張りを変えます」
「正面には立たせません。奥の物置側へ二人、交代で」
「顔ぶれは選べ」
とフィアナが言う。
「口の軽い者は使わないでください」
「了解です」
レオンは最後に、もう一度袋の印を見た。
倉は見つかった。
手札も増えた。
だが同時に、倉庫の中身はただの隠し備蓄では済まなくなった。
この印を追えば、もっと別のものが出る。
そしてたぶん、それは領都の役人だけでは終わらない。




