第41話 封印された鍵
その夜、実務室の灯りはなかなか落ちなかった。
机の上には、さっきまで広げていた地図と配給見込みの紙がまだ残っている。
その端へ、ドルクが新しく木箱を二つ運び込んだ。
「封じた私物箱の残りです」
「倉庫副書記の分と、徴税役室の裏棚から出た分を分けてあります」
レオンは頷いた。
「立会いは?」
「兵を二人つけてます」
「封も切っていません」
「いい」
フィアナも席へ戻っていた。
昼間までの冷えた緊張は薄れている。
だが、気が抜けたわけでもない。
セリスが箱の目録札を外しながら言う。
「今日はここまでにする、という選択肢もあります」
「ただし、隠す側は休みません」
「知ってる」
レオンは短く答えた。
「だったら今のうちに見られるところまでは見る」
実際、その方がよかった。
処断を出した直後の夜だ。
向こうもまだ、何が押さえられて何が残っているか掴み切れていない。
こちらが止まれば、その分だけ相手の呼吸が整う。
最初の箱には、私物らしいものしか入っていなかった。
厚手の外套。
使い古した手袋。
安物の酒瓶。
銀貨袋。
帳面の切れ端。
どれも小さくはない。
だが今の領地をひっくり返すほどのものでもない。
二つ目の箱を開けた時、ドルクが低く言った。
「……これは」
箱の底に、布へ巻かれた細長いものがあった。
セリスが慎重に取り上げる。
重い金属音がした。
鍵束だった。
一本二本ではない。
大小さまざまな鍵が、革紐でまとめられている。
錆びかけたものもあるが、よく使う鍵の摩耗も混じっていた。
レオンは手を伸ばして一本持ち上げた。
冷たい。
しかも大きい。
「役室の鍵じゃないな」
「はい」
とセリスが答える。
「倉庫詰所や役室で使う鍵より、だいぶ重いです」
フィアナも身を寄せた。
「見せてください」
彼女は鍵束を受け取ると、一本ずつ確かめる。
細い指先が止まった。
「……少なくとも、現行の倉庫鍵ではありません」
「主倉庫、兵糧庫、塩蔵、関所詰所。その鍵はすべて台帳にあります」
「これは載ってない?」
「ええ」
フィアナの声が少し硬くなる。
「私の手元に上がっている鍵台帳にはありません」
セリスが鍵束を見たまま言う。
「倉庫の鍵が、倉庫番ではなく差し押さえた私物箱から出る」
「形としては、かなり悪いですね」
それで十分だった。
台帳にない。
しかも役人の私物箱から出た。
偶然で済ませるには筋が悪すぎる。
レオンは鍵束の下に挟まっていた小さな木札を拾った。
文字は削られている。
だが、完全には消しきれていない。
「……第三、か」
セリスが灯りの近くへ寄せた。
「“第三”か“北三”か」
「そこまでは読み切れませんね」
フィアナは少し考え、ゆっくり言った。
「北外れに、昔の備蓄庫がありました」
「私が実務を握る前から、ほとんど使われていない石造倉です」
「父の代でも、もう空だと聞かされていました」
レオンが顔を上げる。
「帳簿には?」
「閉鎖扱いです」
「屋根と壁の痛みがあるから、正式備蓄から外したと」
「空の倉庫に、台帳にない大きな鍵が残るか?」
フィアナは答えなかった。
答えなくても分かる顔だった。
セリスが静かに口を開く。
「今ここで兵を大きく動かすのは避けるべきです」
「もし本当に未報告倉庫なら、噂が先に走った時点で終わります」
「同感だ」
とレオンは頷く。
「確認は少人数でやる」
ドルクがすぐに返した。
「俺と、信の置ける巡回兵を二人つけます」
「口の軽いのは混ぜません」
「四人で足りるか」
「開けるだけなら」
「中に何かいたら、その時は増やします」
フィアナが鍵束を見下ろしたまま言う。
「……もし空でなかった場合」
「この件は、まだ公にしない方がいいでしょう」
「なぜ」
「領都が飢えている時に、帳簿外の備蓄が出たと知れれば、まず取り合いになります」
「役人だけではありません。領民も、商人も、兵も」
「それは今の体制では受け止めきれません」
正しかった。
正しい手札ほど、切り方を誤ると一番危ない。
今のフェルド領はまだ、配る前の順番すら整っていない。
レオンは立ち上がった。
「行こう」
「今のうちに場所だけでも見ておく」
外へ出ると、夜気は昼よりはっきり冷たかった。
領都の灯りは少ない。
遠くで犬が一度だけ吠え、すぐに静かになる。
北外れの倉庫群は、今の中心通りから少し外れた場所にあった。
主に使われている倉は見張りがついているが、さらに奥の石造倉までは人の気配が薄い。
「ここです」
とフィアナが言った。
暗がりの中、古い石壁が浮かぶ。
たしかに大きい。
だが、入口の板戸は長く使われていないようにも見えた。
見えただけなら、だ。
レオンは足元を見た。
泥は少ない。
だが完全に乾き切っていない。
最近、人が通った跡がある。
ドルクも同じものを見たらしい。
「閉じた倉の前にしちゃ、地面が死んでませんね」
セリスが小さく息を吐く。
「分かりやすい隠し方ではありませんが」
「雑でもありません」
レオンは鍵束から一番大きい一本を選んだ。
重い鉄錠へ差し込む。
最初は入らないかと思った。
だが向きを変えると、ぴたりと噛んだ。
「当たりか」
回す。
鈍い抵抗。
錆びた音。
そのあと、長く閉じていたはずの錠が、思ったより素直に外れた。
長く放置された鍵の音ではなかった。
ドルクが板戸へ手をかける。
「開けます」
ゆっくり押す。
最初は重い。
次の瞬間、内側から冷えた空気と、乾いた匂いが漏れた。
土埃ではない。
穀物の匂いだった。
レオンの目が細くなる。
板戸の隙間の向こうは暗い。
だが、ただの空間じゃない。
積まれた何かの輪郭が、灯りの端でわずかに浮いていた。
閉鎖されたはずの倉は、空ではなかった。




