第37話 悪評の出どころ
中庭のざわめきがようやく遠のいた頃、レオンは実務室へ戻っていた。
暖炉はついている。
だが部屋の空気は、昼より少しだけ冷えている。
机の上には、差し押さえた封書の束。
横には村配分控え、徴税記録、役人の私物箱から出た目録。
処断は終わった。
でも、あれで片づいたとは思っていない。
止めた先に何が残るか。
そこからが本当の切り分けだ。
セリスが封を切った紙を、順に机へ並べていく。
「税と倉庫のやり取りだけではありませんでした」
「古い報告文の写しと、王都宛ての私信が混じっています」
フィアナが一枚を手に取った。
目を走らせたあと、無言で机へ戻す。
レオンはその紙を引き寄せた。
文面は事務的だった。
辺境伯家令嬢は独断が多い。
交渉の席でも柔軟性に欠ける。
周囲と歩調を合わせる資質に不安あり。
読んでいて腹が立つというより、嫌な既視感があった。
雑に作られた悪口ではない。
誰かに回すために、使いやすい形へ整えられた言葉だ。
「似た文が多いな」
レオンが言うと、セリスが頷いた。
「ええ。書き手は複数です」
「ですが使っている言い回しが、妙に揃っています」
別の紙も開く。
こちらはもっと露骨だった。
辺境伯家との婚約話を進めるにあたり、令嬢本人の気質には留意が必要。
領内実務へ過剰に口を出し、家臣との不和も見られる。
社交の場へ出すには調整が要る。
「調整、ね」
レオンは紙を置いた。
便利な言葉だ。
前世でも何度も見た。
人をその場に都合のいい形へ削る時、たいてい柔らかい言葉が使われる。
フィアナは窓の方を見たまま言った。
「今さら珍しくもありません」
「王都では、そういう目で見られておりましたので」
声は平坦だった。
だが、その平坦さ自体が長さを物語っていた。
レオンはもう一度、紙の日時を見る。
「これ、時期が重なってる」
「何と、ですか」
「この領地が一番苦しかった頃だ」
「物資を断られて、借りを断って、輸送の融通も利かなくなってた時期」
フィアナの視線が少しだけ動いた。
レオンは続ける。
「その時期に、同じような文が何本も王都へ上がってる」
「ただの陰口なら、ここまで揃わない」
「誰かが先に型を作って、それへ乗せた方が早い」
セリスが別の封書を一枚抜いた。
「こちらもです」
「宛先は王都財務院付きの書記」
「内容は領内事情の報告ですが、末尾にだけ令嬢の性格へ触れています」
レオンは眉を寄せた。
そこに数字はない。
政策もない。
だが、逆に不自然だった。
本当に現場が苦しくて報告するなら、優先されるのは物資や税や兵の話だ。
そこへわざわざ令嬢の気質だけ添える。
それは報告ではなく、印象操作に近い。
「領地が苦しい」
「令嬢は冷たい」
「周囲と揉める」
「だからフェルドはうまく回らない」
レオンは紙を見たまま言った。
「こういう話にしたかったんだな」
フィアナは答えない。
代わりに、別の古い控えを出した。
婚約に関するやり取りの一覧らしい。
「こちらもご覧ください」
そこには王都の有力家との往復日付が並んでいた。
会談延期。
条件再確認。
持参金と後援の見直し。
そして、その合間に不自然な空白がある。
レオンは指で日付を追った。
「この空白の前後で、悪評文が増えてる」
「はい」
フィアナは短く答えた。
「婚約話が停滞し始めた頃からです」
「ただ、当時は領内の維持で手一杯でした。そこまで追う余力がなかった」
責められる話ではない。
むしろ、そこまで見ていられる状況の方が不自然だ。
領地を回し、借りを断り、物資を繋ぎ、父の代わりに矢面へ立つ。
その上で自分の噂の流れまで追えという方が無茶だった。
レオンは紙を重ね直した。
「あなたが悪女だったからじゃない」
「あなたが都合の悪い側だったからだ」
フィアナの指先が、ほんのわずかに止まる。
レオンは言葉を選ばずに続けた。
「領地を守るために断った」
「簡単に借りない」
「王都の都合で頷かない」
「それをそのまま出すと困る人間がいた」
セリスが静かに補足した。
「冷たい令嬢、という形へ変えた方が処理しやすい」
「王都は、そういうやり方を好みます」
レオンは小さく息を吐いた。
嫌な構図だった。
でも、分かりやすくもある。
前世でも、正面から潰せない相手はまず“扱いにくい人間”へ変えられた。
性格が悪い。
協調性がない。
現場しか見えていない。
そういう札を貼ってしまえば、中身を見なくてよくなる。
「……殿下は」
フィアナがようやく口を開いた。
「なぜ、そこまで言い切れるのですか」
「簡単だからだ」
レオンは紙を指で叩いた。
「悪評の中身が、仕事の中身じゃない」
「全部、使いやすい印象だけだ」
「本当に困った相手なら、もっと具体的に書かれる」
「これは違う。“そういう人だと思わせたい”文だ」
暖炉が小さく鳴る。
フィアナはしばらく何も言わなかった。
薄灰の瞳が紙の上を滑る。
怒っているようにも、呆れているようにも見えない。
ただ、長く見慣れてきたものを、別の角度から初めて見せられた顔だった。
やがて彼女は低く言った。
「私自身が悪かったのではなく」
「周囲が、私を悪く見える形へ揃えたと」
「少なくとも、この紙を見る限りは」
レオンは頷く。
「領地だけじゃない」
「あなた自身も、都合よく壊されてた」
その言葉のあと、部屋が少しだけ静かになった。
外では風が鳴っている。
北方の夜は相変わらず早い。
けれどレオンには、さっきまで別の話に見えていたものが、ひとつの線で繋がった気がしていた。
倉庫の数字。
村へ届かない配給。
王都へ流れた報告。
そして、フィアナの悪評。
全部が同じ方向を向いている。
フェルド領を弱らせること。
そして、その責任を“冷たい令嬢”へ寄せること。
レオンは最後の一枚を閉じた。
これで終わりではない。
むしろ入口だ。
だが少なくとも、誰が悪かったかという話は、少し変わった。
フィアナが悪女だったからフェルドが沈んだんじゃない。
フェルドを沈めたい側にとって、彼女を悪女にしておく方が都合がよかったのだ。
そしてその時、フィアナがふいに言った。
「殿下も、同じです」
レオンは顔を上げた。
彼女の目は、今度は紙ではなく、まっすぐこちらを見ていた。




