第26話 消えた穀物
翌朝、実務室の机は紙で埋まっていた。
倉庫の出納帳。
村配分の控え。
兵舎への搬出札。
門外仮設区画の臨時配給記録。
それに、関所を通った荷の通過控え。
全部が揃っているわけではない。
むしろ欠けが多い。
だが、欠け方にも癖があると分かるだけで十分だった。
レオンは、関所控えの束を開いた。
「これ、全部北道分か」
向かいでフィアナが頷く。
「主に。東側は記録がさらに荒いので、先にこちらを」
「正しい順番だな」
「褒め言葉なら別の形でお願いします」
「気をつける」
昨日より会話が少しだけ速い。
たぶん、まだ信用ではない。
仕事として噛み合い始めただけだ。
それでも大きい。
レオンは紙を広げた。
関所を通った荷の数は、倉庫の搬入記録より多い日がある。
少ない日もある。
それ自体はあり得る。
遅れもあるし、天候もある。
だが、一定期間で束ねると、おかしさが残った。
「十日で見ると、入った数は合う」
レオンが言う。
「でも出た先が足りない」
フィアナは兵舎控えを寄せる。
「兵舎へ回した分を足しても、なお足りません」
「村側は?」
「ここです」
彼女が並べた村控えを見て、レオンは小さく眉を寄せた。
北道沿い二村。
東寄り一村。
門外仮設区画。
どれも不足している。
だが、不足の仕方が自然ではない。
「一気に消えてるんじゃないな」
「少しずつ、ですか」
「うん。少しずつ抜かれてる」
一度の大きな横領なら、もっと目立つ。
帳面にも現場にも傷が残る。
だがこれは、毎回少し薄くして、全体では大きく消している形だった。
フィアナが低く言う。
「最悪ですね」
「最悪だな」
レオンは関所控えの一枚を持ち上げた。
「この便、関所通過では四十八袋。倉庫搬入では四十六。ここまではまだいい」
「破袋と湿りなら、二つはあり得ます」
「でも村と兵舎と門外に出た合計が三十一」
「……十五足りません」
「次の便も似てる。今度は十二」
フィアナは紙の端を押さえたまま、しばらく黙った。
彼女はここまで露骨だとは思っていなかったのだろう。
顔色は変わらない。
でも、視線の硬さが昨日までと違う。
レオンはさらに数枚を並べる。
「一回ごとの不足は十前後。時々、十五。だから現場の混乱に紛れる」
「不作や盗賊被害のせいにもできる」
「そう。しかも全部じゃない。少しはちゃんと届かせてる」
「飢えが爆発しない程度には回しつつ、抜ける分だけ抜く」
フィアナが言葉にした瞬間、部屋の空気がさらに冷えた気がした。
一番質が悪い形だ。
領地を殺しきらない。
だからすぐには露見しない。
けれど確実に血を抜く。
「帳簿の上では、全部“何となく足りない”に見える」
レオンが言う。
「誰か一人のせいにしにくいように」
フィアナが問う。
「そこまで考えて?」
「考えてると思う」
レオンは即答した。
「少なくとも、無能の偶然だけでこうは揃わない」
そこへ、扉の外から控えめな咳払いがした。
ヘルマンだった。
「入れ」
レオンが言うと、老書記が紙束を抱えて入ってくる。
「昔の税収控えを持ってきましたわ」
「頼んだ覚えはないけど」
「今の話を聞いとれば、いると思いましたので」
嫌味なようで、役には立つ。
そういう老人だ。
ヘルマンは机の端へ紙を置いた。
「村ごとの納入と徴税の控えです。雑ですがな」
レオンは受け取り、ざっと目を通した。
そして、また嫌な感じが背中を走る。
「……なるほど」
フィアナが顔を上げる。
「何か」
「これ、足りない穀物を別の線で薄めてる」
「別の線?」
レオンは徴税控えを彼女へ向けた。
「この時期、北道二村の納入額が妙に落ちてる」
「収穫不足では」
「それにしては落ち方が揃いすぎてる」
フィアナも紙を見る。
理解が速い。
数秒で意味に辿り着いたらしく、目が細くなる。
「村が受け取っていない分を、最初から取れなかったことに寄せている……?」
「たぶん」
実際に村へ届かなかった。
その分を、収穫低下や輸送損耗で薄める。
帳簿同士を合わせれば、上から見た時に大崩れしない。
倉庫で減る。
村へ届かない。
税でも少し形を変える。
一本の線ではなく、複数の線で薄めるやり方だ。
ヘルマンが鼻を鳴らした。
「えげつないですな」
「知ってたのか」
「ここまで綺麗とは思っておりませんでした」
老人は肩をすくめる。
「ただ、数字を読む人間がおらなんだ。皆、忙しすぎる」
その言い方に、フィアナは何も返さなかった。
反論できないからだろう。
忙しい。
人が足りない。
現場が崩れかけている。
だからこそ、こういう抜き方が長く残る。
レオンは紙を順に並べ直した。
「消えてるのは穀物だけじゃないな」
「塩も一部あります」
フィアナが答える。
「乾菜も少し。ただ、量として大きいのは穀物です」
「一番ごまかしやすいからか」
「ええ。袋数が多く、臨時搬出の名目も作りやすい」
レオンは机に指を置いたまま考える。
盗賊。
不作。
流民。
兵舎不足。
全部、本当だ。
だからこそ混ぜやすい。
本当の苦境の中へ、誰かが少しずつ手を入れている。
「殿下」
フィアナが静かに呼ぶ。
「何」
「私、ここまで露骨だとは思っていませんでした」
声は低い。
怒りより先に、呆れに近い硬さがある。
「もっと雑に崩れているのだと。単に人が足りず、回っていないのだと」
「回ってない部分もあるよ」
レオンは答える。
「でも、その崩れを使ってる人間がいる」
フィアナはしばらく黙った。
机の上の数字を見る目が、昨日までより一段冷えている。
それはきっと、自分の読み違いへの苛立ちでもあるのだろう。
現場を回してきた人間にとって、見えなかった穴は重い。
レオンは少しだけ声を落とした。
「あなたのせいじゃない」
「慰めは結構です」
すぐに返ってくる。
「慰めじゃない。これだけ薄く広くやられたら、一人で追い切れる形じゃない」
フィアナは返事をしなかった。
けれど、否定もしなかった。
セリスが壁際から口を挟む。
「ここまで来ると、倉庫だけで閉じる話ではありませんね」
「うん」
レオンは頷く。
「搬入、保管、配給、徴税。少なくとも複数の手が入ってる」
フィアナがゆっくりと言う。
「一人の倉庫番を吊るして終わる形ではない、と」
「終わらない」
その答えは、思っていた以上に重かった。
誰か一人が盗んでいたなら、話は早い。
だが、今見えているのはそういう形ではない。
少しずつ。
長く。
複数で。
そして、おそらく上へも下へも適度に迷惑が分散するように。
レオンは、机上に並ぶ紙を見渡した。
「次は、人の線を見る」
フィアナが顔を上げる。
「人の線」
「誰が触ったか。どこで止まるか。どの手が一緒に動いてるか」
暖炉の火が小さく弾けた。
消えた穀物は、もうただの不足ではなかった。
帳面の中に、誰かの手順が残り始めている。
そしてその手順は、倉庫一つでは作れない。




