第22話 実務を回す女
最初に連れて行かれたのは、南門近くの炊き出し場だった。
昨日、門外にいた人々の一部が、順を決められて中へ入っている。
粗末な屋根の下で大鍋が煮え、細い列が伸びていた。
湯気は立っているのに、空気は冷たい。
列は静かだった。
騒ぐ元気もないのか、それとも騒げば切られると知っているのか。
たぶん、その両方だ。
フィアナが姿を見せると、場の空気が少し変わった。
歓声はない。
愛想笑いもない。
だが、炊き出し役の女たちがすぐに姿勢を正し、列の見張りも口数を減らす。
怖がられているだけではない。
この場を崩さない人間だと、皆が知っている反応だった。
「今朝、人数が増えたと聞いた」
フィアナが鍋のそばの女へ問う。
「はい、お嬢さま。夜のうちに北道側から十七人」
「年寄りと子どもの比率は」
「子が多めです」
「寝床を先に寄せてください。列は二つに。動けない者は別へ」
「分かりました」
返事が早い。
フィアナも確認して終わりではない。
鍋の中を見て、塩袋の残りまで見て、列の終わりまで視線を流す。
「菜が少ないですね」
「朝の便がまだで」
「来ない前提で組んでください。待って足りなくなる方が悪い」
言い方は硬い。
だが現実的だった。
レオンは隣でそのやり取りを見ていた。
どこかで聞いた“冷たい令嬢”という響きと、目の前で人を生かすために順番を切っている女が、うまく重ならない。
炊き出し場を出ると、次は配給庫の仮場だった。
袋の山は低い。
そこでもフィアナは迷わず質問を飛ばす。
昨日の残量。
今夜の見込み。
兵舎へ回した分。
門外分との兼ね合い。
返ってくる数字に対して、彼女はほとんど間を置かず次を指示した。
紙を一枚見るより早く、頭の中で順番ができている。
「ここを支えているのは、帳簿より記憶か」
レオンが小さく言うと、フィアナは歩きながら答えた。
「記憶だけでは崩れます。ですから本当はもっと紙を整えたい。ですが、人も時間も足りません」
「それでも回してる」
「回すしかないので」
領都の裏通りを抜け、今度は兵舎寄りの連絡詰め所へ入る。
そこには粗い地図と巡回札が置かれていた。
「北道班が一つ減っています」
フィアナが机の札を見て言う。
兵士の一人が慌てて頭を下げた。
「昨夜、発熱者が二人出まして」
「代えは」
「門番を削れば」
「削らないでください。夜盗より流入の混乱が先です」
判断が速い。
しかも、ただ厳しいのではなく、どこを削ると何が崩れるかを前提で話している。
兵士は不満そうではなかった。
むしろ、無駄な希望論を言われないことに慣れている顔だった。
領主館へ戻る途中、レオンはようやく口を開いた。
「全部覚えてるのか」
「全部ではありません」
フィアナは前を向いたまま答える。
「覚えるべきものを絞っています」
「それでも多いだろ」
「多いです」
そこで彼女は初めて、ほんの少しだけ疲れの混じった息を吐いた。
「ですから、人が必要なのです。本来なら」
その言葉は、弱音というより事実確認だった。
一人で背負いすぎている自覚はあるのだろう。
ただ、それを口にして助けを求める段階は過ぎている。
館に戻り、実務室へ入ったところで、レオンは自然に言った。
「有能だな」
空気が止まった。
フィアナの手が、机上の札の上でぴたりと止まる。
「……その言い方は、おやめください」
声は静かだった。
けれど、昨日より少しだけ硬い。
レオンは一瞬だけ目を瞬いた。
「褒めたつもりだった」
「存じています。ですが、好きではありません」
彼女は札を整え直しながら続けた。
「王都でそう言われる時は、たいてい次にこう続きます。“では任せます”“あなたならできるでしょう”“だから少しくらい我慢を”」
セリスが壁際で小さく視線を落とした。
刺さるものがあるのかもしれない。
フィアナは表情を崩さないまま言う。
「有能という言葉は便利です。
責任を押しつける側にとっては」
レオンは黙って彼女を見た。
そういうことか、と思う。
ただ優秀だと認められたいわけではない。
認められたあと、それを都合よく使われてきたのだ。
「悪かった」
素直にそう言うと、今度はフィアナの方が少しだけ止まった。
「……謝られるとは思っておりませんでした」
「地雷なら踏み直さない方がいい」
「軽いですね」
「重く謝るほど、まだ信用されてないだろ」
言うと、フィアナは本当にわずかだけ目を細めた。
呆れたのか、意外だったのか、その両方に見える。
レオンは机の上の札へ視線を落とした。
「でも、言い換えるならこうだな」
「何でしょう」
「あなたがいなかったら、ここはもっと早く崩れてた」
今度は、フィアナはすぐに返さなかった。
沈黙は短い。
だが、その短さの中に迷いがあった。
「……それは、私一人の力ではありません」
「分かってる。でも、あなたが順番を切ってるのも事実だ」
フィアナは薄く息を吐いた。
「順番を切るだけでは足りません。誰が何を隠しているか、まだ見えていない部分も多い」
昨日の倉庫。
曖昧な役人たち。
不足する備蓄。
結局、話はそこへ戻る。
レオンは頷いた。
「だから数字が要る」
フィアナはその言葉に、また少しだけ顔を固くした。
有能さを認めることと、警戒が解けることは別なのだと分かる。
この人は現場を見せることはできる。
だが、奥の紙はまだ渡す気がない。
「殿下」
フィアナが言った。
「お聞きしてもよろしいですか」
「何を」
「あなたは、何ができますか」
率直だった。
王子としての権威でも、王都から来た肩書きでもない。
お前自身は何を回せるのか、と問われている。
レオンは少し考えてから答えた。
「派手なことはできない」
「それは見れば分かります」
「ひどいな」
「事実です」
息が合っているのか、合っていないのか分からない会話だった。
レオンは肩をすくめた。
「でも、崩れた流れを順番に戻すのは嫌いじゃない。数字と人の置き方を見るのも」
「数字」
フィアナの声がわずかに低くなる。
「ええ。そこに戻るのですね」
「戻るよ。現場を見たから余計にな」
フィアナは返事をしなかった。
ただ、その横顔は昨日より少しだけ厳しかった。
実務を見せた。
だからこそ、渡したくないものがある。
その線が、はっきり見えてきた。
レオンはそれを見ながら思う。
この人は領地を回している。
そして同時に、王都から来た人間をまだ敵の側へ置いている。
それが当然だとも思えた。
「分かった」
レオンは静かに言った。
「じゃあ次は、そこを話そう」




