第16話 難民たち
フェルド領都グランフェルの外壁が見えた時、最初に浮かんだ感想は「思ったより低い」だった。
王都の城壁と比べれば、どうしてもそう見える。
石は厚い。
造りも古く、辺境の守りとしての役目はあるのだろう。
だが、威容より先に疲れが目についた。
補修跡の色が合っていない。
見張り台の木材は新旧が混ざっている。
門前の地面は踏み固められすぎて、雨でも降ればすぐに泥へ変わりそうだった。
そして、その門の外に、人がいた。
列、というほど整っていない。
塊、と呼ぶ方が近い。
痩せた親子。
外套に身を縮めた老人。
荷物とも呼べない布の包みを抱えた女。
焚き火の跡がいくつもある。
一晩だけ足止めされた旅人の数ではない。
もっと長くいる者たちの痕跡だった。
馬車の中で、レオンはしばらく言葉を失った。
想像はしていた。
流民が増えているとは聞いていた。
道中でも、そういう人の流れは見た。
それでも、領都の門前にこれだけ溜まっているとは思っていなかった。
「……中へ入れてないのか」
「そのようです」
セリスの声も、今までより少し硬い。
門の前では兵たちが対応していた。
追い払っているわけではない。
だが通してもいない。
その半端さが、かえって厄介だった。
一行の到着に気づいた門兵が慌てて駆け寄ってくる。
王家の紋章を見て、顔色が変わった。
「第三王子殿下……!」
「説明してくれ」
挨拶より先にそう言うと、門兵は喉を詰まらせた。
「こ、こちらは……領内各村からの流入者です。冬前に食い扶持を失った者、家を畳んだ者、病や盗難で村に戻れぬ者などが……」
「なぜ門外にいる」
「領都内も余裕がありません!」
返答は早かった。
言い訳として準備していたのだろう。
だが、その切実さまで嘘ではなさそうだった。
「中へ入れれば、配給はさらに逼迫します。宿も寝床も足りません。かといって追い返せば、道中で死にます」
レオンは門前の火跡を見た。
確かに、完全に放置しているわけではない。
水桶もある。
薄い粥でも配っているのか、粗末な鍋も見えた。
だが全然足りていない。
足りていないのに、切り捨てきれない。
その中途半端が門の外に積もっていた。
一人の子どもが咳き込んだ。
母親らしい女が背を撫でる。
焚き火の近くには、まだ温まりきっていない灰がある。
王都なら、こういう景色は城壁の外へ追いやられる前に見えなくなる。
ここでは見えたままになっている。
隠す余裕すらないのだ。
「いつからだ」
「増え始めたのは秋口からです。ですが、この十日ほどで一気に……」
十日。
つまり、道中で見た止まる荷や流れる人の延長が、そのままここへ溜まっている。
レオンは馬車を降りた。
門兵が慌てる。
「殿下、危のうございます」
「何が危ない」
言いながら、レオンは群れの方へ歩いた。
護衛がつく。
セリスも後ろから来る。
視線が集まる。
王族らしい服装に気づいた者もいるだろう。
だが、ざわめきは小さい。
怒号も期待の声もない。
皆、疲れすぎている。
その中の一人、痩せた女が抱いていた子の顔を上げた。
年は三つか四つくらいだろう。
目だけが妙に大きく見える。
「どこから来た」
レオンがしゃがんで聞くと、女は少しだけ迷い、それから答えた。
「東の外れの村です。畑が駄目で……夫も、道で荷を盗られて……」
それだけで大体分かった。
全部が一つの原因ではない。
不作、盗難、流通不全、寒さ。
弱った家から順に落ちてきたのだ。
「領都へ入れないのか」
女は門を振り返った。
「中も苦しいと……お嬢さまが、順番を決めてると聞きました」
お嬢さま。
つまりフィアナだ。
「お前は、その令嬢を恨んでるか」
自分でも、少し唐突な問いだと思った。
だが聞かずにいられなかった。
女は驚いた顔をしたあと、弱く首を振る。
「恨むほど会ってません。でも……」
「でも?」
「悪いのは、あの人だけじゃないと思います」
その言葉は静かだった。
むしろ、静かすぎた。
怒り切る元気もない人間の声だった。
「前に来た役人は、村を見もしませんでした。お嬢さまは、見には来たんです」
それで全部免罪されるわけではない。
救われてもいない。
だが、領民の言葉としては重い。
王都で聞いた悪女の像とは、少し違う輪郭がそこにあった。
レオンは立ち上がった。
門前に溜まる人々。
中も外も限界で、どちらへも振り切れない門兵。
そして、その上で順番を決めているらしい辺境伯令嬢。
面倒だ。
想像以上に。
ただ、雑に怒れる話でもなかった。
「殿下」
セリスが小さく呼ぶ。
門の方では、領都側が慌ただしく動き始めていた。
第三王子の到着が伝わったのだろう。
門兵が息を切らして戻ってくる。
「お通しします。領都側へ連絡がつきました」
通す。
王族だから。
その事実が、門外の人々との距離をひどくはっきりさせた。
レオンは一瞬だけ足を止めた。
今ここでできることは少ない。
旅用の備蓄を全部配ったところで、門前の数日を少し延ばすだけだ。
それでも何もしないまま入るのも、気分が悪い。
「水と乾パンだけ、下ろせる分を置いていけ」
護衛長にそう告げる。
「ですが」
「全部じゃない。今夜の分だけでいい」
最低限だ。
それでも、何もしないよりはましだった。
護衛長は渋い顔のまま従者へ合図を出す。
門前にいた人々の目が少しだけ動く。
希望というほど強いものではない。
ただ、今日を越えるための計算がそこに混じった。
レオンはその視線を受けたまま、門へ向き直った。
石の門の向こうには、フェルド領都グランフェルがある。
荒れた辺境の中心。
王都の紙の上では見えなかった現実の集積。
そして、その奥にはたぶん、悪女と呼ばれた令嬢がいる。
門が軋んで開く。
レオンは冷たい空気を吸い込み、ゆっくりと中へ入った。
思っていた以上に、この領地は遅く壊れていた。
だからこそ、立て直すなら、壊れ方そのものから見ないといけない。




