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捨てられ第三王子は、信頼を取り戻したいだけなのに、崩壊寸前の辺境領と婚約破棄寸前の令嬢まで任されました  作者: 玖城イサ
第一章

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135/180

第135話 盗賊討伐の看板

 


 セリスは、噂というものをあまり美しいものだと思っていない。


 早い。

 軽い。

 都合がいい方へ曲がる。


 王都ではそれで何人も潰れてきた。

 フィアナの悪評だって、その一つだ。


 だが同時に、噂は使い方次第で、紙より速く場を動かす。


 昼過ぎ、宿屋の奥の小部屋には三人の商人がいた。


 ノア・グリース。

 干し草と乾豆を動かす若い商い。

 それに、谷向こうから来た布商の弟分らしい男。

 もう一人は、塩を少量ずつ運ぶ年嵩の御者商人だった。


 大商会ではない。

 だからこそ、空気の変化に敏い顔ぶれでもある。


「で」

 とノアが言った。

「本当に市をやるんですか」


「やります」

 とセリスは答えた。


 彼女は余計な前置きをしない。


「ただし、最初から大きくはしません」

「広場と周辺のみ」

「昼のうちに収める形です」


「慎重ですね」

 と布商の若い男。


「慎重でなければ、二回目がなくなります」

 とセリス。


 その返しに、ノアが少しだけ笑った。


「嫌いじゃないです」


「それは何よりです」


 御者商人がそこで腕を組んだ。


「でも、こっちが聞きたいのはそこじゃない」

「何で今、フェルドへ寄る理由があるのかだ」


 そこが本題だった。


 市をやる、では遅い。

 商人は、来る理由があるから来る。


 セリスは机の上へ薄い紙を二枚置いた。


 一枚は、巡回再編後の北道記録。

 もう一枚は、盗賊討伐後の襲撃減少を簡単にまとめた控えだった。


 数字は派手ではない。

 だが、十分だった。


「盗賊網壊滅後、北道の大きな襲撃は途絶えています」

「巡回路も固定しました」

「当然、絶対安全とは言いません」

「ですが、去年の北道とは別物です」


 御者商人が紙を見下ろす。


「去年の北道とは別物、か」


「ええ」

 とセリス。

「言い換えれば、“今なら通る理由がある”です」


 商人たちはすぐには喋らなかった。


 でも、その沈黙は悪くない。

 完全に笑っている時の沈黙ではなかった。


 ノアが先に口を開く。


「実際、それは外でも言われてますよ」


 セリスは顔を上げる。


「誰が」


「御者です。小口の」

 ノアは肩をすくめた。

「フェルドの山は前よりましだ、って」

「前ならあそこを通るくらいなら遠回りするって顔でしたけど、最近は“荷が軽いなら通してもいい”って話が出る」


「理由は」

 とセリス。


「盗賊を切ったのが大きい」

 ノアは即答した。

「あと、見張りの火」

「夜の灯があると、御者はそれだけで喋ります」


 それはもっともだった。


 制度や協定より先に、人は見たものを口にする。

 夜に灯があった。

 道で荷を抜かれなかった。

 領都の門で札を見せれば通った。


 そういうものの方が、よほど早く広がる。


「盗賊討伐が、看板になってるわけですね」

 と布商の若い男が言う。


「看板というより、ようやく普通へ戻った証拠です」

 とセリスは答えた。


「でも商人は、普通へ戻ったことに一番敏いですよ」

 ノアは笑った。

「前まで危ない場所が、危なくなくなった」

「それ、十分看板です」


 嫌な言い方ではあったが、正しい。


 フェルドは今まで「通りたくない場所」だった。

 それが「通ってもいいかもしれない場所」へ変わりつつある。


 それだけでも、人は動く。


 セリスは紙を引き寄せた。


「なら使いましょう」


「何を」

 とノア。


「その空気をです」


 彼女は短い文面をその場でまとめ始めた。


 北道沿い巡回再編済。

 市場試行。

 宿泊枠は限定。

 広場周辺にて昼市。

 鍛冶、木工、乾物、粗布、農具修理品あり。


 大げさには書かない。

 勝ち誇らない。

 ただ、読む側が「前と違う」と判断する材料だけを置く。


 ノアが横から覗き込み、口笛を飲み込んだ顔をした。


「薄いですね」


「薄くて結構です」

 とセリス。

「厚い文は、売り込みに見えます」

「今欲しいのは、“珍しいから一度見ておくか”という反応です」


 それは以前、公開査定後の報せを外へ流した時と同じやり方だった。


 派手に叫ばない。

 でも、外の判断材料になる骨だけは置く。


「王都筋にも?」

 ノアがにやりとした。


「ええ」

 セリスは平然と答えた。

「少しだけ」


「性格悪いですね」


「褒め言葉として受け取ります」


 外の商人へ届けば、人が動く。

 王都へ届けば、面倒な連中が顔をしかめる。


 どちらにせよ、悪くない。


 夕方には、返りの便へその紙が差し込まれた。

 封蝋は少ない。

 飾りもない。


 でも向きははっきりしている。


 フェルドは止まっていない。

 しかも、前より通っていい。


 それだけの報せだ。


 それで十分だと、セリスは思った。


 夜、宿屋通りを戻る頃には、ノアが早足で追いついてきた。


「一つ」

 と彼は言った。

「谷向こうの若い連中、二人来るかもしれません」


「市に?」

 とセリス。


「ええ」

 ノアは頷く。

「鍛冶場を見たいそうです」

「前にフェルドの山は危ないって避けてた連中ですけど、今なら様子見くらいはって」


 想定より早い。


 しかも、来る理由がただの物見遊山ではない。

 通れるか。

 商売になるか。

 その目で見たいのだろう。


「宿は足りますかね」

 とノアが言う。


「足りるようにします」

 セリスは短く返した。


 ノアは少し笑って、手を振って去っていった。


 その背中を見送りながら、セリスは考える。


 噂は嫌いだ。

 でも、嫌いだからと放置すれば、いつも別の誰かが先に使う。


 なら、先に置くべき骨くらいは自分たちで選ぶ。


 それだけのことだ。


 領主館へ戻ると、レオンとフィアナがまだ机についていた。


「どうでした」

 とフィアナが聞く。


「思ったより良いです」

 とセリスは答えた。

「盗賊討伐は、もう外で“通ってもいい理由”として使われています」

「こちらが言う前に、です」


 レオンが少しだけ目を細める。


「じゃあ、乗るか」


「はい」

 セリスは頷いた。

「そして、王都にも少しだけ混ぜておきました」


「君、本当にそういうの好きだな」


「好きではありません」

「必要なだけです」


 その返しに、レオンは肩だけで笑った。


 だが笑いはすぐに消える。


 ノアが残していった最後の一言が、少し重かったからだ。


 若い商人が二人。

 鍛冶場を見に来る。

 つまり、来る側も市を試すつもりでいる。


 第一回は、身内だけの小さな賑わいでは終わらない。


 外の目が、もうこちらへ向き始めていた。

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