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捨てられ第三王子は、信頼を取り戻したいだけなのに、崩壊寸前の辺境領と婚約破棄寸前の令嬢まで任されました  作者: 玖城イサ
第一章

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133/179

第133話 市を開く理由

 

 境の関所詰所から戻った翌朝、領都の空気は勝ったとも負けたとも言えない温度をしていた。


 レオンは北門の上から外を見ていた。


 道は変わらない。

 泥があり、轍があり、その先に関所がある。


 ただ、昨日までと少し違うのは、向こうが好き放題に押し切れる顔ではなくなったことだ。


 通達そのものは、まだ残っている。

 税も、完全には下ろせていない。


 だが、古い協定を突きつけられたことで、隣領側も「正当な補修負担です」と言い切ったまま押し通すのは難しくなった。

 持ち帰り。

 再確認。

 協議継続。


 綺麗な言葉で言えばそうなる。


 要するに、すぐには楽にならないということだった。


「嫌な引き分けでしたね」

 とセリスが言った。


「引き分けならまだましだ」

 とレオンは答えた。

「向こうの好きな形で終わらなかっただけ、昨日よりはましだろ」


「ええ」

 セリスは頷いた。

「ただし、楽になったわけではありません」


「知ってる」


 北門の下では、小荷車が二台、順番を待っている。

 縄。

 塩。

 修理上がりの金具。

 どれも小さい。


 小さいからこそ、境で少し止められるだけで利益が死ぬ。


 外へ向かう流れは、まだ細い。

 なら、細いままでも別の流れを作るしかない。


 その考えを口にしたのは、実務室へ戻ってからだった。


「市を開く」


 紙を見ていたフィアナが顔を上げる。


「定期市ですか」


「そう」

 レオンは頷いた。

「大きいものじゃなくていい」

「でも、決まった日に決まった場所で人と物が動く場は要る」


 ヘルマンが眼鏡を押し上げた。


「いきなりですな」


「いきなりじゃない」

 とレオン。

「必要なものは前から揃い始めてる」


 鍛冶場の火。

 木工場。

 試験工区。

 小口の便。

 村ごとに少しずつ戻り始めた畑。


 今のフェルドには、余るほどの品はまだない。

 だが、動かせる品はある。


 鍬の柄。

 修理した金具。

 乾豆。

 粗い布。

 木椀。

 縄。

 薬草。

 そして、噂。


「物を売るだけじゃない」

 レオンは続けた。

「人を呼ぶ理由が要る」

「領都へ来る日が決まれば、村の人間も合わせて動ける」

「商人も来やすい」

「何より、外から見た時に“止まってない領地”に見える」


 フィアナは少し考えるように沈黙した。


 それから、机の上の地図ではなく、窓の外の方を見た。


「市場は、領地の顔になります」


 短い言葉だった。

 でも、重さがあった。


「飢えた土地には、飢えた顔の市が立つ」

「荒れた土地には、荒れた顔の市が立つ」

「逆に言えば、そこを整えれば外の見方も変わります」


「君も賛成か」


「はい」

 フィアナは即答した。

「ただし、開けばそれで終わりではありません」

「市は、領地の弱さもそのまま晒します」


 そこは彼女らしかった。


 レオンは頷く。


「分かってる」


 だからこそ、考える価値がある。


 以前のグランフェルは、市場の区画がありながら死んでいた。

 店はあるのに品が薄い。

 人はいるのに声がない。


 あの半分死んだ空気を、レオンは来た日に見ている。


「今のままでも、細かい売り買いはしてます」

 とフィアナ。

「ですが、場としてまとまっていません」

「村から来た者は必要な物だけ買ってすぐ帰る」

「領都側も、外から人が来る前提では動いていない」


「つまり」

 とレオン。


「“出会う場所”がない、ということです」


 その表現はしっくり来た。


 物と物。

 人と人。

 領都と村。

 職人と客。

 商人と次の商人。


 そういうものが偶然ではなく交わる場が、まだない。


「広場を使うか」

 とレオン。


「祭りで使った場所が無難です」

 フィアナは地図の一点を指した。

「通りの抜けもいい」

「鍋場で列整理をした経験もあります」

「見張りも置きやすい」


「宿屋からも近いですね」

 とセリスが言う。

「外から来た者を、領都の真ん中へ迷わせずに済みます」


 ヘルマンが鼻を鳴らした。


「昔は、あの辺りにもっと声がありましたな」


 皆がそちらを見る。


「昔?」

 とレオン。


「ええ」

 ヘルマンは少しだけ遠い顔をした。

「大きな市ではありませんが、北道沿いの小商いが寄る日があった」

「塩、干魚、薬草、粗布、そのあたりです」

「冬と不正で死にましたが」


 死んだものを、そのまま別の形で起こす。


 悪くない、とレオンは思った。


 全部を新しく作るより、前にあった流れを戻す方が、人も受け入れやすい。


「なら名前も大げさにしない」

 とレオン。

「新しい何か、じゃなくて、戻す方でいく」


「定期市、で十分です」

 フィアナが言った。

「言葉を膨らませるほど、空だった時に痛いので」


 それも正しい。


 夢を見るのは悪くない。

 でも看板だけ立派で中が薄ければ、今のフェルドにはその方が傷になる。


 レオンは机の端を指で叩いた。


「まずは小さく」

「村の余り物と、領都の加工品を合わせる」

「日にちを決める」

「外からも少しだけ呼ぶ」


「少しだけ、ですか」

 とセリス。


「最初から大きくは呼ばない」

「でも身内だけでも駄目だ」

「外の目が少しは要る」


 フィアナがその言葉を引き取る。


「外からの人間は、客である前に証人になります」

「良くても悪くても、持ち帰りますから」


「だから顔になる」

 とレオン。


「はい」


 そこまで言ってから、部屋は少し静かになった。


 皆、同じことを考えているのだろう。


 やる価値はある。

 でも、開くだけなら誰にでも言える。


 問題はその先だった。


 外から人を呼ぶ。

 それはつまり、外の目を通しても大丈夫な形にしなければならない、ということだ。


「宿は足りますか」

 セリスが先に聞いた。


 フィアナはすぐには答えなかった。


「……足りません」


「衛生は」

 とレオン。


「十分とは言えません」


「見張りは」


「昼なら回せます」

 とフィアナ。

「夜まで伸びると、まだ薄いです」


 やはり、という感じだった。


 レオンは立ち上がる。


「広場を見よう」


 外へ出ると、風はまだ少し冷たい。


 祭りの時に使った広場は、もう机も飾りも片づいていた。

 石畳の上に、いつもの往来だけが戻っている。


 でも前と違うのは、完全に死んだ場所ではないことだ。

 木工場から運ばれる板。

 鍛冶場へ向かう男。

 塩袋を抱えた女。

 小さくても、動きがある。


 レオンは広場の端へ立ち、通りを見た。


 ここへ、日にちを決めて、人を寄せる。


 それができれば。

 隣領に道を止められても、フェルドの中には別の流れが立つ。


 けれど、その時だった。


 広場の脇を通った旅姿の男が、足を止めもせずにぼそりと言った。


「今のフェルドで市か」


 嫌味ではない。

 ただ、率直な驚きだった。


 そしてその率直さの方が、よほど効く。


 レオンは男の背中を見送った。


 やる価値はある。

 だが、空振ればもっと広く笑われる。


 フィアナが静かに言う。


「市を開く理由は十分あります」

「でも、来る理由はまだ足りません」


 その通りだった。


 開くと決めるのは簡単だ。


 難しいのは、最初の一歩を「空振りだった」と言わせないことだった。

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