↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
捨てられ第三王子は、信頼を取り戻したいだけなのに、崩壊寸前の辺境領と婚約破棄寸前の令嬢まで任されました  作者: 玖城イサ
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
132/178

第132話 交渉の席へ

 


 朝の実務室には、怒鳴り声より筆の音が多かった。


 それでいい、とレオンは思った。


 怒るのは簡単だ。

 境界で荷を止められ、春の細い流れへ税を乗せられれば、腹も立つ。

 だが、その腹立ちを先に見せた時点で、向こうの思う若造になる。


 机の上には、昨日まとめた申し入れ文が置かれていた。


 相互通行覚えおよび補足文に基づく、境界実務協議の正式要請。

 春季補修負担の説明請求。

 登録荷車と工房資材への追加扱いの確認。

 会談場所は境の番屋、または両領中間の関所詰所。


「もっと柔らかくもできます」

 とセリスが言った。


「いや、このままでいい」

 とレオン。


「下手に柔らかいと、頼みごとに見える」

「でも喧嘩にも見せたくない」


「その中間ですね」

 セリスは文の端を見直した。

「殿下らしいです」


 褒めているのかどうか分からない言い方だったが、悪くはなかった。


 ノアが腕を組んだまま立っている。


「正直に言えば、まだるっこしいです」

 と彼は言った。

「向こうは先に金を取ってる」

「こっちは文を送って席をください、でしょう」


「だからだよ」

 とレオン。


「こっちが焦ってる顔を見せたら、次も乗る」

「今は困ってないふりをする方がましだ」


「困ってはいますけどね」

 とノア。


「知ってる」

 とレオンは返した。

「でも知ってるのと見せるのは別だ」


 フィアナがそこで紙束を差し出した。


「会談用の控えです」

「古い協定の写し、補足文、今回の通達、足止めされた便の記録」

「あと、試験交易便への影響も簡単にまとめました」


「向こうへ全部出す?」

 とレオン。


「最初からは出しません」

 フィアナは首を振る。

「必要な分だけです」

「先に全部見せると、逃げ道まで渡します」


 それを聞いて、ノアがようやく少しだけ納得した顔になった。


「……やっぱり、怒ってる時ほど静かな二人ですね」


「怒ってるから静かなんだろ」

 とレオン。


 フィアナは否定しなかった。


 昼前、使者が出た。


 こちらからは若い騎手ではなく、書面の扱いに慣れた中年の文使いを立てた。

 服も飾らない。

 余計な威圧もない。

 ただ、正式な文を正式に置いてくるための人選だった。


「馬を飛ばしますか」

 とカイルが聞いた。


「飛ばさない」

 とレオン。

「急ぎすぎると、こっちが慌ててるように見える」


「本当に面倒なところだけ冷静ですね……」

 とカイルは半分呆れた顔で言った。


「褒め言葉として受け取っとく」


 使者が門を出たあと、領都の空気は妙に普通だった。


 鍛冶場には火が入る。

 ミルは戸板の寸法を取り直している。

 ゲルト親子は試験工区の受け石を見に出た。

 鍋場もまだ完全には畳まれていない。


 春は待ってくれない。

 境の嫌がらせがあっても、止まれるほど余裕はない。


 だからこそ、止まっていない顔を保つ必要がある。


「本当に席につくと思いますか」

 とフィアナが静かに聞いた。


 レオンは窓の外を見たまま答えた。


「つく」


「そこまで言い切れますか」


「言い切れる」

 レオンは短く言った。

「断れば、あっちが協定を無視した形になる」

「受ければ、辺境の若造を値踏みできる」

「どっちにしても、ローデリヒは自分が損しない方を選ぶ」


 フィアナは小さく息を吐いた。


 たしかにそうだ。

 あの種の人間は、怒りより勘定で動く。

 こちらが感情で来ると思っているなら、なおさら席は受ける。


「相手に“辺境の若造”と思わせたまま席につく方が得だ」

 とレオンは続けた。

「油断して喋る」

「見下している相手には、たいてい余計なことも言う」


「嫌な学び方をしましたね」

 とセリス。


「王都で覚えた」

 とレオン。


 その言い方が軽すぎなくて、フィアナは少しだけ視線を下げた。

 王都で彼が積んだものは、たぶん楽なものではない。


 夕方近く、返事は思ったより早く来た。


 北門で受け取った封を、セリスがその場で確かめる。

 濃茶の封蝋。

 隣領代官府の印。


「早いな」

 とレオン。


「断るより得だと思ったのでしょう」

 とセリス。


 封を切る。

 文面は整っていた。


 境界路補修負担は、隣領の安全維持に必要な正当措置である。

 ただし、フェルド領より正式な実務確認の申し入れがあった以上、誤解なきよう話し合いの席を設けることに異存はない。

 日時は三日後。

 場所は境の関所詰所。

 対応者は代官ローデリヒ・シュタン。


 最後にだけ、余計な一文がついていた。


 ――若き殿下の見識を伺う機会を、当方も楽しみにしている。


 ノアが顔をしかめる。


「完全に舐めてますね」


「そうだな」

 とレオンは答えた。


 だが、その返事に苛立ちは混ぜなかった。

 舐めてくれるなら、その方が話はしやすい。


 フィアナは文の端を見たまま言う。


「受けるのが早すぎます」

「こちらの資料が薄いと思っているのでしょう」

「あるいは、古い協定の効力を切れる算段がある」


「どっちでもいい」

 とレオン。


「席は取れた」

「まずはそこだ」


 ヘルマンが低く唸る。


「境の番屋ですか」

「向こうの空気が強い場所ですな」


「だから行く」

 とレオン。


「領主館へ呼びつけても、向こうは来ない」

「こっちが境へ出る方が、相手は余計に若造扱いする」

「その方が、喋る」


 セリスが一瞬だけ目を上げた。


「殿下」


「何だ」


「その考え方、嫌いではありません」


 珍しい言い方だった。

 レオンは少しだけ笑う。


「今日は褒める日か」


「事実を言っただけです」


 笑いはそこで終わった。

 終わってからの方が、部屋は静かだった。


 三日後。

 場所は関所詰所。

 相手は、最初からこちらを軽く見ている代官。


 紙で席は作れた。

 だが席に着いたあと、向こうが紙の文言だけで引くはずがない。


「準備は二つです」

 とフィアナが言った。

「協定の効力を押す準備」

「それと、相手がどう言い逃れるかを先に潰す準備」


「あと一つある」

 とレオン。


 皆がそちらを見る。


「こっちが、どこまで譲らないか決めることだ」


 部屋が少しだけ引き締まった。


 そこが曖昧だと、交渉の席では必ず崩れる。

 通達の撤回か。

 確認料の停止か。

 協議書がない限り適用しない線か。


 最初の交渉で全部取れるとは思っていない。

 だが、最初に押し返せなければ、この先も刺され続ける。


 夕暮れ、北門の上から外を見ると、道はまだ細い春の色をしていた。


 境まで続く泥道。

 その先に関所。

 その先に、いまのフェルドを面白く思っていない人間たち。


 物が通れば、金が動く。

 人が移れば、領地の形が変わる。

 だから境の話は、ただの税で終わらない。


 工房区画の方から、炭の匂いが風に乗る。


 あそこに灯が増えた。

 それを嫌がる相手が、もう隣で動き始めている。


 レオンは返書を畳んだ。


「準備しよう」

 と彼は言った。

「怒って席につくより、舐められたまま座る方が得だ」


 フィアナが静かに頷く。


「はい」

「その代わり、席の上では下がりません」


「分かってる」


 三日後、フェルド領は初めて、自分の名で隣領の卓に座ることになる。


 それは境界税を下ろすための会談ではない。


 向こうがまだ、弱った隣を食い続けられると思っているのか。

 それとも、ここから先は別の付き合い方を覚えるのか。


 その最初の線を引く席になる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。